No.4

タートル

1997. 3.1.
中途視覚障害者の復職を考える会
(タートルの会)



【巻頭言】

「のろま」協奏曲

野呂真堂

 「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く」という流行語があった。このフレ ーズを思い浮かべるたびに、私ども、中途視覚障害者の初期乃至中期の前半頃ま での様子を、皮肉たっぷりに揶揄しているように聞こえてしまう。この時期、そ ろそろ動作も緩慢になり、よそ目には危なっかしく見えるのであるが、白杖・手 帳に抵抗感があり、ことに白杖については、長い長い間、無駄な抵抗をし、なか なか使おうとしないのである。この辺の心境は、自らの障害を否定したい気持ち と、現代医学によって、もう一度視力を回復したいとの願望とが、複雑に錯綜し ながら絡み合っているからだろうと推測するのであるが、その結果は、急ぐこと は苦手なのにそれを忘れ、つい手を出し、見事に失敗し、大恥をかいたり、ケガ をしたりして、どうしようもない罪悪感に陥るのである。
 たとえば、電柱等にぶつかり、「ご免なさい」と詫びたり、側溝に足を落と して痛い思いをしたり、ホームから転落したり、近所では挨拶しなければとの思 い込みから、すれ違いざま「今晩は」とやれば、家族の者だったり、名刺は裏返 しでかつ逆さまに手渡したり、電車やバスでは他人が掴んでいるつり皮をつかん だり、容赦ならざるは腰掛けている先客の膝に腰を下ろしたり等々、いちいち上 げればキリがなく、非礼千万の数々、今思えば冷汗ものである。しかしながら、 この頃でも、本人は決して悪ふざけしていたわけではなく、いたって真面目なの だから恐ろしい。
 このような愚行を繰り返したのち、ようやく、障害とは仲よくしなければな らないと観念し、目覚めはじめるのである。この頃から「のろま」への心構えに も微妙な変化が生じ、周囲に対しても、障害者として心を開けられるようになっ ているように思うのであるが、ここまでが、いかにも長過ぎるのである。
 既にご承知のとおり、障害者基本法等、法社会面では、「障害者の社会参加 の促進」が決められていることに鑑み、障害者の心の内面の変革が社会制度に遅 れることのないように、少数派の私ども一人ひとりが、積極的にありのままの姿 で「のろま」であることを周囲に奏で、周囲が助力しやすい雰囲気づくりと同時 に、パソコンや拡大読書器等を前向きに活用し、コツコツと実績を明示すること が重要であると思う次第である。
 アリストテレスは「希望」とはと問われ、「目覚めている人が見る夢である 」と言ったそうであるが、目覚めた視覚障害者は、きっといい夢を見ることがで きると思うので、アリストテレスが言う希望をもって、高らかに「のろま協奏曲 」を力一杯奏でながら、千里の道も一歩からと、前へ前へと進みたいものである 。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

【交流会T 1996/11/16】

社会心理学から見た差別・偏見

東京家政大学文学部心理教育学科
講師  杉森 伸吉

 差別・偏見の問題は我々の日常につきまとうものですが、社会心理学から得 られた視点が、少しでも考えを進める上でお役に立つことができれば幸いだと思 います。また、外国では障害者の方が、差別からはどのように法的に守られてい るのか、イギリスで1995年11月に制定された「障害差別禁止法」を例に概観して みましょう。
T.差別・偏見の問題
[1]差別は、その対象となる人や集団に対する否定的な見方(偏見)に基づいた 否定的行動。
 偏見は、対象となる人や要因に対する否定的な見方。
 心理学の中では以上のように偏見、差別という言葉を区別しています。
[2]偏見・差別の種類
 人種、血液型(AB型だけネガティブ)、髪の色(染めているとバイトができ ない)、少数者、反体制派、思想など、あらゆるものが差別・偏見の理由となる ことが可能とも言えます。
[3]障害児の教育と差別
 統合教育の必要性と問題点(相互理解と学習の特殊性)
[4]社会的カテゴリー化理論
 些細な基準で2グループに分けるだけでも差別行動が生まれる(内集団びい き)。
[5]集団の同質性
 日本では特に、集団の同質性が高い。逆に言えば、多様なあり方を認めるの が苦手。
 しかし「人間はみな異質である」ことを認め、異質性を受容できなければ、 それに応じた真摯な対応も生まれにくいだろう。
[6]障害をあかすこと(conning out)の恐怖
 誰が考えても視覚を失ったこと、失いつつあることを職場の同僚に知られる のは恐怖。このことはエイズであることを周りの人に告げる場合も同じであろう し、そのほかにも類似の場合がある。
 一方、周囲に告知することが周囲の理解が得られ、かえって仕事がしやすく なった、という例もある。
[7]少数者の立場を理解させる
 少数者の立場は多数者からの理解を得にくいものです。なぜか?
 それは十分情報が伝わりにくいからです。それでも、少数者の立場を効果的 に多数者に伝える方法についてはいろいろと研究もされています。
 主張を変えず、一貫して、何度も繰り返し訴えること(moscovitch)。
 小規模団体ごとに少数者の主張を採択し、より大きな上位団体の決議に持ち 込む(KAMEDA & SUGIMORI)。
U.イギリスの障害差別禁止法
[1]雇用
 ・使用者の処遇か差別かどうかの判断基準。
 ・障害を理由に一般雇用者に比べ、より不当な処遇を行ったにもかかわらず 、その根拠を十分に示せないとき。
 ・また、職場環境において障害者が一般雇用者より不利にならないように職 場環境を改善する義務を持つ(建物、リハビリ治療時間、障害者の仕事の一部の 他者委託など)。
 ・労働審判所への差別申し立ての権利が障害者にある。
[2]物品とサービス
 一般市民にサービスを提供する者が、障害者に同等のサービスの提供を拒否 すると、違法になる。
[3]教育
 障害者に対してどのように適切な処遇をしたか、学校には国への報告義務が ある。
[4]交通機関
 タクシー、バスの運転手には、障害者が安全に、かつ安心して乗り降り利用 できるための義務がある。
[5]イギリスの障害者雇用の現状
 1994年には、650万人の障害者中、38万人が働くことができる。そのうち38 パーセントが雇用されていない。
[6]障害者差別法の問題点
 全国障害者協議会が直接に被差別者である障害者を代理して訴訟を起こすこ とができない(代理訴訟権がない)。
 一般の障害者への援助額が非常に限られている。
【ディスカッション】
○司会(和泉) どうもありがとうございました。それではこれから皆さんの 質問や意見を受けたいと思います。
○新井 先生のお話を大変興味深く聞かせていただきました。日本は、同質性 であり、多様な面を認め合わない社会だということは常々思っていました。逆に 障害者自身が社会の中で、企業の中で多様な面を素直に出しながら生きていく、 そのことが異質性を排除する同質性社会への問題提起になるのではないかと思う んです。また、今の日本の社会はペースが極めて速い。ゆっくり歩いていたら、 突き飛ばされてしまうような、障害者や高齢者には住みにくい、そんな忙しげな 世の中です。
 まさに日本は、行きすぎた効率性やスピードを追求する競争社会です。これ が教育界でも疑問視され、画一教育から個性を尊重する教育へと反省の動きはあ ります。でも、こういったペースの速さとか、多様性を否定するといったことが 、差別に結びついているのではないかと思うんです。この点はいかがでしょうか 。
○杉森 社会のペースの速さというのは、本当に最近激しくなっています。競 争ということは、勝ち負けにつながるわけです。競争というのはもともと、ある 結果、あるいは成功を手に入れることです。全員が成功を手に入れるのではなく 、一部分であるという前提で、競争が行われるわけですから、背景に差別的なも のを根強くもっているのかもしれないですね。
 競争社会ということは、それだけ余裕がない。あるいは、余裕が必要な部分 に関して奪ってしまっているようなことにつながっていると思います。僕自身に とっても今のご指摘は非常に新鮮なものでした。
○新井 障害の重さ、軽さは別にして、自分を否定しながら、この競争社会に 無理して参加しようとする意識があるように思うんです。これは僕自身がそうで すから質問してみました。
○司会 復職の問題を考えるのは、この会の趣旨ではあるんだけれど、よくよ く考えてみると、その同質性にすり寄っていく考え方をしている。つまり、復職 する職場の現場に歩調を合わせていくという考え方に立っている。
 個別性を追求することは、それができればいうことはないわけですが、個別 性の問題は、どうしても同質性にかき消されてしまう。そうなると、現実的な方 法は自分の生活を確保し、その地位を確保するという、社会の中の同質性の中で 追求せざるを得ない、という面を持っていると言えるだろうと思うんです。だか ら、そこら辺がジレンマになる部分ではある。できるだけ職場の問題と、自分と いう人格の問題と、切り離して考えていく以外にないのかなあという感じであり ます。ただ、日進月歩の技術革新が行われている現状では、自分の立場だけをう まく守っていくというのは、障害を持っているからというばかりではなくて、障 害のない人でも変化についていくのがやっとという現実もあるわけです。
 だから、同質性の問題は、切磋琢磨せざるを得ない。まさに競争社会の中で 生き残るための問題に、常に直面をしているということです。復職問題はまさに それです。違った意見もあるかもしれないけれど、私自身はそんなふうな受け止 め方をしています。
 だから、テンポが違うあり方で復職をすることが、果たしていいのかどうか 。つまり、A君が復職をしましたが、では彼は将来ラインに乗って、係長になり 、課長補佐になり、課長になっていくかというと、その部分だって今何ともいえ ないわけです。昇進していける方もいるかもしれないけれども。
 一方では昇進するということが、非常に大変な作業になっている。そういう 問題をいつも考えていかなければいけないですね。ただ復職させるだけでは、完 成はしていないです。物事の解決にはなっていない。障害を持っていない人と互 して、まさに戦って昇進をしていく、普通の人生の歩みに乗っていくことが本来 の復職のあり方ではないかという捉え方が強いものですから、個別性を追求する というのは、逆に非常に苦しい選択を迫られて、「自分一人でやったら」という 話になりかねない。そういう心配はあります。それは、どこかでその節を曲げて でも、同質性につき合わなければならない現実はあるのではないかという気がし ます。その是非の問題ではなくてですね。
(次号へつづく)

【職場で頑張っています】

【現況報告その1】

−職場に復帰して2年−

埼玉県自治研修センター 青山 茂

 私は網膜色素変性症で、現在身体障害の1級であります。3年間近くにわた る病休、休職の期間を経まして、平成7年の4月に職場に復帰いたしましたが、 それから約2年が経過しようとしております。その病休、休職の期間中に、上尾 市の県立リハビリセンターで、点字の習得や生活基礎訓練を受けまして、そのセ ンターの紹介により、日本盲人職能開発センターで1年間の訓練を受けました。
 この日本盲人職能開発センターでは、おんくん方式の六点漢字による録音速 記や、データベースソフトの使い方などの訓練を受けましたが、その際には職場 復帰に向けて、先生方にはいろいろと指導や助言をいただきまして、深く感謝し ております。
 私は埼玉県の職員で、現在は埼玉県自治研修センターに勤務しております。 通勤には電車を利用しておりますが、通勤時間は約30分ぐらいで、比較的恵ま れていると思っております。この職場は、県職員の研修、県内市町村職員の研修 、政策研究、海外研修生の受入れなどを主な業務として実施しておりますが、研 修や政策研究に伴う各種の講演会が、多数開催されております。
 現在の私の仕事の内容は、パソコンの音声ワープロ機能を使用して、これら の講演会の講演録を作成しております。講演者は、大学の教授、評論家、スポー ツ関係者、その他有識者など各界の多岐にわたっておりまして、専門用語や難解 な表現、あるいは人名、英語などが多数飛び出してきまして、その都度電子ブッ クの広辞苑や人名辞典などを駆使して作成しております。
 現在の課題としては、情報の不足ということと、職域の拡大ということがあ ります。情報不足の問題については、必要と思われる書類や回覧文書は、上司や 同僚に読んでもらっておりまして、ニュースなどはテレビ、ラジオの番組を極力 聞くようにしておりますが、決して十分とはいえないというのが現状であります 。また職域拡大の問題については、現在のところ模索中でありまして、なかなか これといった発想が思い浮かびませんが、それでも何か自分にできるものを増や していくように、地道に一歩ずつ努力していきたいと考えております。
        …………………………
【現況報告その2】

事務職から三療業(ヘルスキーパー)へ

千木良 賢二

 タートルの会の皆様、こんにちは。
 まず、私のプロフィールを少し紹介します。眼疾患は網膜色素変性症で、現 在の視力は左右とも手動弁、外側の視野がやや残っているだけで、中心部は見え ません。歩行時は白杖を使用し、墨字は読み書きができないので、点字を使用し ています。
 昭和58年春に大学を卒業し、建設会社へ入社しました。その当時は視力も0 .4ほどありましたので、墨字の処理もあまり不自由はなかったのですが、この6 、7年でかなり低下し、現在の視力に至っております。この建設会社では、事務 職として主に不動産部門で経理や税務、不動産物件の資料作りなどの仕事に携わ っていました。自分の視力が徐々に衰えていく中で、事務処理に限界を感じてい たころの毎日を今思い出すと、先々の不安ばかりがつのり、暗中模索の時期が長 く続いたように思います。
− 三療業への転身 −
 そのような中で、平成4年秋、会社側の協力もあり、思い切って新たな道、 つまり「三療の世界」へ踏み込む決意をし、平成5年1月より、所沢の国立身体 障害者リハビリテーションセンターへ入所しました。このセンターでの3年間の 訓練期間中を、会社側の配慮で休職扱いという形で考えていただきました。私も10 年間勤めた会社であったので、大変愛着もあり、周りの同僚の方々も随分心配し 、応援もしてくれました。そしてこの訓練期間中も、何とかヘルスキーパーとし て復職させてもらえないかと、人事に再三持ちかけましたが、会社側のガードは 堅く、結局退職を迫られることになりました。
− 新たな職場へ −
 平成8年3月、この建設会社を退職するのと同時期に、池袋の職安からある 生命保険会社でヘルスキーパーを募集しているという紹介がありました。早速連 絡を取り、面接を受け、運良く採用ということになりました。そして同年8月に 新たな職場であるこの生命保険会社に入社し、会社の福利厚生の1つとして、社 員の健康の保持、増進のためマッサージを施し、ヘルスキーパーの第一歩を踏み 出しました。この会社ではヘルスキーパーを雇用するのも初めてであり、昨年10 月にマッサージルームがオープンし、早4カ月が過ぎました。お陰様で利用者も 徐々に増え、少しずつ社員の間に浸透しつつあるようです。
 マッサージの施術以外に、カルテの管理や月報、アンケートの作成など、墨 字による文書作成業務を行わなければならず、そのため、現在、会社側の配慮も あって、音声対応のパソコンを導入すべく、助成金の申請をしています。特にカ ルテ管理の業務効率をアップさせるため、日本盲人職能開発センターのご援助に より、音声対応のカルテ管理のプログラムを製作していただいています。
 事務職から三療業(ヘルスキーパー)へと仕事内容は随分変わりましたが、 会社という1つの組織の中で働くという点は同じです。前職での経験をもとに、 今後も社内でマッサージルームを確かなものとして位置づけていきたいと思いま す。
…………………………
【現況報告その3】

明るく、楽しく、着実に

宮城県仙台市役所 金子光宏

 点字の練習に汗だくになっている私の傍らで妻が一言。
 「私も点字を覚えようかな。」
私がその理由を尋ねると、
 「だって、あなたが点字を覚えて、もし愛人から点字で手紙がきても私はわ からないでしょう。」
 私は、その言葉のおかげで、張り詰めた神経を和らぐ事ができた。それまで は、とにかく頑張らなくては、何かしなくては、と気持ちの余裕を無くしていた からだ。そのことに気づかせてくれたのが妻の一言だった。もちろん愛人などい るわけもないが、同じ事をするのにも楽しくするほうがいいにきまっている。ま た、その方が活路も開ける。その時から私は、視覚障害者として亀の一歩をよう やく歩み出した。3年前の暑い夏の一こまである。
 この年には、F1レーサーのセナのレース事故や、大きな飛行機事故があっ た。私は、それらのニュースを入院中のベッドの上で聞いた。緑内障と網膜円孔 だった。結局、左眼の左隅の視野と、0.05程度の視力が残った。今迄どおりの生 活はできないという事だけが、現実のものとして私の前につきつけられた。
 指導員から習ったのは、県の点字図書館で、数回点字の基礎を教えてもらっ たのが唯一だ。なんとか点字は読めるようになった。視覚障害者として毎日を暮 らすためには、何よりも自分がこの社会のどの場所で生きられるのかを知りたか った。その座標を探すためには、まずは点字を覚える必要があると思った。四苦 八苦しながら点字毎日に掲載されている情報を中心に資料を集めた。集めるだけ で精一杯で、整理するには至っていない。まずは視覚障害者の全体を知ることが 第一目標だった。それ以上は何もできなかった。
 それでも、5カ月後には職場に戻った。職場に戻る条件は、自力で通勤でき ることだった。とにかく職場に対して、通勤できる事を示す必要があった。それ で白杖を手にしたが、ただ持っているだけだった。だが、白杖を持って職場に顔 を出せば歩けるものと思ってくれた。白杖を持って歩いていれば安全、との誤解 があったのが幸いした。反面、白杖を使わなくてはいけないのだから、仕事はで きないだろう、という偏見をもまねいた。
 職場は、障害者の福祉を担当するセクションだ。偶然にも、その部署に異動 になった4月に入院したので、職場に戻っても、業務は、すべて初めて手がける ものだった。出勤するにあたって、人事で拡大読書器とPCワイドを用意してく れた。パソコンは、既に設置されている帳票管理用のものを共用した。すべての 業務をこの2つの機器を使って行っている。当初は、仕事らしいものは何ひとつ なかった。私の担当として割り当てられた業務は、私が休んでいる間に補われた アルバイトの女性がそのまま引き続き処理した。私は、その女性の手伝いをする 形になった。そのことが、作業訓練の役割を果たしてくれた。
 それでも少しずつ分担が増え、この3年の間にある程度の業務がこなせるよ うになった。とはいっても業務のほとんどが文書処理なので拡大読書器のない所 では仕事にならない。ルーペや単眼鏡はうまく使えない。現在のところこの状況 は改善すべくもない。しかし、自分の一挙手一投足が後に続く人たちの前例にな るかもしれないと考えると、どのような事でもおろそかにできない。また、福祉 の担当者としての私の仕事がそのまま市民としての自分の生活にも関わると思う と、一つとして無駄にはできない。
 とにかく私の新しい人生その途に就いたばかりである。まずは、亀の一歩を 歩みだした。次は、その歩みを2歩、3歩と進めて行くだけだ。そのためにも、 しっかり自分自身のなすべき事を見極め、社会の動きを見定めていくことが大切 だと思っている。
 ところで、妻はまだ点字を覚えていない。愛人をつくるチャンスはある‥‥ ‥かな?

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

◇郡さんの解雇撤回と中途視覚障害者の働く権利

郡さんが特別休職で生活訓練へ

 タートルの会には会員内外から様々な相談が寄せられています。昨年11月、 大手コンピューター会社に勤務する郡悟さんから、「いつ解雇されるか分からな い」という深刻な相談がありました。会長以下幹事会を中心に緊急に支援体制を 整えて対応した結果、郡さんに対する解雇通告は撤回されました。今、郡さんは 会社から「頑張ってきなさい」との励ましを受け、この2月から都内の施設で復 職を目指して生活訓練に励んでいます。この経過は、『点字毎日』やNHKラジ オ「視覚障害者の皆さんへ」でも報道されました。以下に、その経過等について 報告します。
 郡さんは視覚障害(網膜色素変性症)があることを承知の上で、1984年、今 の会社に総合専門職として採用されました。視覚障害が進行し、仕事に困難を感 じて悩んでいたところ、昨年11月、会社から12月31日付けでの解雇通告を受けま した。会社には、私傷病休職と特別休職(無給)の二つの休職制度がありました が、いずれも適用してもらえず、「依願退職か解雇か」と決断を迫られました。 労働組合にも相談しましたが、就業規則に違反していないから、依願退職をしな ければ、解雇されても止むなしということでした。もちろん、郡さんはリハビリ を受けて働き続けたいと考えていました。何とかしなければと思いながらも、適 切な情報もなく、どうしてよいか分からないといった矢先の出来事でした。
 多くの中途視覚障害者は多かれ少なかれ似たような体験をしていることと思 います。実際、中途視覚障害で働き続けることを考えた場合、本人も職場の関係 者も、どうしていいか分からないというのが実情です。しかし、これがまかり通 ったら、中途視覚障害者の働く権利はもちろん、生きる権利さえ奪われてしまい ます。
 具体的な支援として、12月3日、日本盲人職能開発センターの協力で会社と 労働組合が同席の下に、視覚障害者用機器のデモンストレーションの場を設け、 意見交換をしました。私たちは、休職を認めてリハビリを保障するようお願いし ました。しかし、その後も、「まず、解雇ありき」という会社の基本姿勢は変わ りませんでした。そこで、郡さんも私たちも、もし、これが解雇になったら、人 権侵害の不当解雇事件として裁判で闘うしかないと考えました。このように、解 雇必至という緊迫した状況でしたが、多くの関係者の支援の下、郡さんの粘り強 い交渉で、仕事納めの12月27日、解雇を撤回させることができました。
 解雇を撤回させることのできた要因を整理すると、[1]解雇は不当で道理がな いこと(障害者差別、人権侵害)、[2]当事者団体が人権問題として支援に立ち上 がったこと、[3]郡さん自身が頑張り抜いたこと、[4]郡さんの頑張りを励ます仲間 が社内にいたこと、[5]地域の労働組合など民主団体の支援体制を整えたこと、[6] マスコミが関心を持ったこと、[7]職安が関与したこと―などがあります。
 ところで、同じ時期、郡さん以外に2人の中途視覚障害者から解雇に関する 相談が寄せられました。いずれも大企業で、労働組合も守ってくれず、一人は12 月1日付けで解雇され、今、解雇無効の裁判を大阪地裁に提訴(2月19日予定) 、もう一人は今年4月の解雇通告を受けています。その他に、新潟、群馬、神奈 川などからも数件の相談が寄せられています。
 今回の郡さんやその他の事例を通して思うことは、今働いている障害者の雇 用を守れないで、どうして障害者の雇用が守れるかということです。今一つは、 障害者の人権を守り、かつ、会社の不安感や負担感を軽減し、中途視覚障害者の 復職を現実に可能にする具体的な支援制度がどうしても必要だということです。
 何はともあれ、郡さんは新たなスタートを切ったばかりで、まさに、これか らが本番です。郡さんが名実共に復職を果たすまで、皆さんと共に温かく見守り 、会社に対してもできる限りの協力をしていきたいと思います。
  (工藤正一)

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

【交流会U 97/2/1】

中途視覚障害者の歩行について

国立身体障害者リハビリテーションセンター
渡辺明夫

 1979年に英国バーミンガムのナショナルモビリティーセンターにて視覚障害 者の歩行訓練を学び、1982年より国リハに勤務。同氏は歩行について「評価」と 本人への「フィードバック」の重要性を強調された。
 講演のあと参加者との意見交換が行われた。点字ブロック、つまり色や形の 諸々の問題、ホーム転落事故の問題、自転車との関係、高齢者や子供に対し事故 により加害者になり得ること、雪国の積雪時の歩行など現実的で深刻な議論がな された。詳細は次号にゆずる。

◇会合日誌◇
◆96/10/4 幹事会(企画)
◆96/11/16 交流会(杉森氏講演)
◆96/11/28 幹事会(打合せ)
◆96/12/3 幹事会(郡氏支援)
◆96/12/19 幹事会(郡氏支援打合せ)
◆96/12/20 郡氏支援交流集会
◆97/1/9 郡氏支援交流集会
◆97/1/24 幹事会(企画)
◆97/2/1  交流会(渡辺氏講演)
◆97/2/14 幹事会(企画)
◆97/3/8 交流会(田辺氏講演)
……………
◇お知らせ◇
◎第2回定期総会
  日時:1997年6月14日(土)
12:30〜16:30
  場所:未定
  講演:「中途視覚障害者の社会・ 職場復帰に関する調査研究会」報告
  講師:松原信雄
(労働省・障害者専門官)
◎個別相談会の実施
 会員の皆さんへの個別相談を始めます。具体的な悩みや諸問題をお寄せくだ さい。それぞれの問題に適切な担当者が当たります。日程の調整をしますので、 事務局まで電話ください。
◎『タートル』のテープ版を用意しています。ご希望の方は電話でどうぞ。
……………
◇編集後記◇
 昨年11月16日に行われた「差別と偏見」についての講演と意見交換は内容が 深く重いものでしたが、活発な議論がなされました。紙数の関係で十分に記録で きませんでした。また、次の交流会「歩行について」も全く掲載できませんでし たので、次号に掲載したいと思います。
 編集する際に、収録テープが文字化されていると、作業がしやすいことを実 感しました。テープ起こしは「福祉作業所ワークアイ船橋」(タートル3号参照 )にお願いしました。ご用のむきは、電話(0473-36-5112)へ。
  (篠島永一)

中途視覚障害者の復職を考える会
タートルの会
会 長   和 泉 森 太
  〒160 東京都新宿区本塩町 10-3
  社会福祉法人 日本盲人職能開発センター
  東京ワークショップ内 電話 03-3351-3188 Fax.03-3351-3189


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