No.5

タートル

1997. 6.1.
中途視覚障害者の復職を考える会
(タートルの会)


【巻頭言】

通信ネットにチャレンジしてみませんか

タートルの会幹事 吉泉 豊晴

 最近は、マスコミでインターネットの話題をみかけることが多くなってきま した。私も本格的とはいえませんが、PC-VAN や NIFTY といった商用ネットを経 由してインターネットにアクセスすることを少しずつ始めているところです。音 声装置をパソコンに接続して使っていますが、残念ながら、晴眼者と同じように 容易にインターネットにアクセスできるというにはまだまだソフトウェアなどが 未整備です。それでも、それなりに工夫すればアクセスして欲しい情報を入手で きます。
 視覚障害関係でいうと、視覚障害リハビリテーション協会が VIRN というホ ームページを設けていて、そこにはタートルの会も含めた各種視覚障害者団体の 紹介と連絡先のほか、ロービジョンクリニックのある病院やリハビリ施設あるい は盲導犬施設等の紹介、日常生活用具に関する助成制度をはじめとする各種の公 的制度の紹介等々幅広い情報が掲載されています。参考までに同ホームページの URL は次のとおりです。
http://www.twcu.ac.jp/~k-oda/VIRN/
 また、互いに生の声を出し合って情報交換する場としては、電子メールの交 換を基盤にしたメーリングリスト(ML)というシステムがあります。視覚障害 関係の話題を中心にしているMLもあり、そこから貴重な情報を得られることが 少なくありません。もちろん、インターネットに限らず従来からの商用ネット上 でもそうした情報交換の場があります。いずれにしても、通信ネットは、単なる 情報入手の手段ではなく様々な人達と出会う機会をもたらす場でもあります。
 通信上で単にメッセージのやりとりをしているだけでなく、「私はこんなこ とで困っている」という書き込みをきっかけにして支援グループが生まれ、裁判 という具体的な動きに発展していったという例もあります(フリーライターが出 版社側から約束されていた適正な原稿料の支払いを受けられずにいたのを泣き寝 入りせず解決に向けて動いたといった事例など)。
 皆さんも通信ネットに関心のある方はチャレンジされてみてはいかがでしょ うか。タートルの会でも、そうしたチャレンジのお手伝いを通信ネット経験者の メンバーが行うことによって、会員間の交流を更に進めていければと考えている ところです。
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【交流会T 1996/11/16】

社会心理学から見た差別・偏見

意見交換(つづき)
○司会 ほかに何か質問なり意見はありませんか。
○吉泉 杉森先生に質問です。障害者の差別問題は能力ではなく、例えば健常 者の中に障害者がまじってどこかへ旅行に行くなどの具体的な話になると、その 人のサポートが必要であるとか、あるいは車椅子の人であれば設備を改善して車 椅子でも使えるようにしなければいけないとか、ある種のコストがかかってくる わけです。そういう意味で、グループ分けとか人種差別とはまた別の側面を持っ てると思うんです。障害者にはコストがかかるんだという視点、要素を加味した 上での心理的な差別みたいな研究はあるのでしょうか。
○杉森 障害者の統合教育は、人種問題などの統合教育とは質的に違うんでは ないか、それに関する研究はあるかとの質問ですが、実際にはあまりなされてお りません。障害者の場合、コストがかかるという問題は一つ大きな要素としてあ ると思います。
 それからもう一つは、全く同じように教育することがいいかどうかというこ ともあると思います。障害児教育を目指している教え子の体験で、ある高校に実 習に行ったときの聴覚障害児の例をお話しましょう。聴覚障害児の場合だと手話 ができないといけないわけですが、たまたまその生徒はずうっと一般の子供と一 緒に教育を受けたそうです。その結果、手話を十分学習することなく、コミュニ ケーションがかえってできなくなってしまった。ただ逆に一般の子供たちと一緒 に暮らしていたので、独りでいろんな所に出かけたりという自主性は比較的ある 。けれども、聴覚障害者として、よりスムーズなコミュニケーションを行うため に学習しなければいけないようなことは学習されなくて、今は聴覚障害児学級に いるんですが、なかなか学習の進展が思うようにいかないという問題があるとい うことです。これは障害者の場合、統合教育するときには、まず当然学校とか施 設の側でコスト的なものを考慮しなければいけないということと、障害があるた めにコミュニケーションを増大させておく必要があり、例えば視覚の場合は音声 ワープロとか、聴覚の場合は手話といった必要な手だてをプラスする。そのほか に必要な教育も同時にしなければ、全く同じように教育しているだけでは不十分 な部分が出てきてしまう。そういう問題点はあるようです。
○内山 一般的な話として、障害者に対する偏見は無知、無理解から来ている 面が大きいと言われますが、まったくその通りで、「ご飯は独りで食べられます か」に始まって、ほんとに驚いてしまうぐらいです。常々理解を深めるためには 障害者と知り合う機会を作ることだろうと思うんですね。
○杉森 統合教育、大学の門戸開放、点字受験による公務員への道を開くこと など、受け入れ側の理解も進んで広がりはみせていると思うんです。しかし、も っと地域に根ざした共生という考え方や、視覚障害者というマイノリティの理解 の輪をどう広めていくかですね。
○阿部 「ワークアイ船橋」という視覚障害者の作業所が出来ました。その地 域の中学1年生の生徒7、8人が先生と一緒に、ワークアイの見学にみえたんで す。いろいろ話を聞いてみると、「実は視覚障害者のことをテーマに、学園祭で 発表したい。ついては、皆さんの日常の生活を教えていただきたい」と。私たち は協力しました。そして当日学校に表敬訪問して、その学園祭を見せてもらいま した。生徒たちも、私たちが行ったことに対して、すごく感激してくれて、いろ いろ案内してくれました。教室一面に視覚障害者のことをパネルにしたり、スラ イド写真で説明したり、これらは生徒みずからやってるんですね。私たちもそれ を見たときに感動しましたね。これは先生からテーマが出たのか、生徒みずから やろうということになったのか、そこのところはわかりませんが、教育の中で芽 生えとして地域にあるんだろうと思いました。
 それが発展して、千葉県の障害者リハビリテーション大会の前段に同校の太 鼓クラブに出演をお願いしました。というのは、学園祭でたまたま隣の教室で太 鼓演奏をしていたんです。すばらしい演奏だなと思い、立ち止まって、訪問した 私たちみんなで聞きました。「ぜひリハビリテーション大会の前段にやってもら えないか」と先生にお願いして、急遽ボランティアとして出演してもらったんで すね。だからちょっとしたきっかけで、私たちは地域の中で啓蒙・啓発活動がで きていくんではないか。身近にある「無知」という部分から発展させて、知り合 えるきっかけがつかめるというのも事実です。
 それと、私たちの作業所が出来たことによって、地域に変化が生じた。駅ホ ームの誘導チャイムも沿線上でも4カ所も付いた。またJR全体ではかかわらな いけれども、船橋駅では駅長が相当の認識をもって弱視者の意見を取り入れ、階 段の踏み込みの所が見づらいということから、白線を引いたり、黄色い線を引い たりして、われわれ視覚障害者の意見を求めてくる。これは運動でもなんでもな い。本当に日常生活の中で、白杖をついて作業所に通う視覚障害者の姿を見て、 地域の住民も周りの自転車に気をつけたり、こういうことなんですね。私たちが 動き回ることから街が変わる。すべてを全体的に動かすのは非常に難しいことで すが、身の回りのことからやっていける。これは運動にまさるものだなと私も感 じました。
○吉泉 無知・無理解からくる問題をどう解決していったらいいかということ について、単なる一つの方便なんですけれど、障害者と健常者の仲立ちをする仲 人役みたいな人がいることは大きいと思うんです。職場でもそうですし、いろん な場面であるんです。
 身近な例でいうと、私の経験では、電車に乗りますと、一人で乗ってるとき は、「ここが空いてますよ」と、声をかけてもらうこと多いんですが、だれか晴 眼者と一緒にいると、さらに声をかけられることが多いんですよ。私にしてみた ら、晴眼者と一緒にいるんだったらその人に聞けばいいと思っている。電車の中 の人に教えてもらわなくてもいい。晴眼者の仲間と一緒の時に限って声掛けが多 いんですよ。それは何故かなと思うと、恐らく視覚障害者が一人でポツンと立っ ていると、声をかけにくいというのはあると思うんです。それに対して知り合い みたいな晴眼者がそばにいると、その人を通じて「ここ空いていますよ」と話し かけやすいという、心理的な抵抗感がかなり軽減されるという健常者側の心理で 、そういうことってあると思うんですね。
 もう少し大きい例で言っても、例えばJRでタッチ式の券売機があって、「 視覚障害者には使いにくい」ということで、いろいろ活動していたグループがあ るんです。そのグループの取りまとめ役になっていた晴眼者がいるんですが、J R側がどういう態度をとったかというと、視覚障害者側に直接というわけではな くて、取りまとめ役の晴眼者にことごとく連絡をとってくるんです。ある意味で は非常に残念なことなんですが、方便としては有効ですよね。そういう仲人役の 人を見つけて、うまく問題をこちらの都合に合わせた形で解決していくのは、一 つの戦略としてあるといえると思うんです。
 ただ、それからさらに進んで、本当にその無知とか無理解が解消していける ようなところまでだんだんに発展していくかどうかは、また別の問題もあるかも しれないですね。その意味では杉森先生のお話の中で、マイノリティがどういう ふうに自分たちの意見を伝えていくかというノウハウみたいなものとして、繰り 返して同じ主張をするとか、マイノリティの人がある部分で多数になるようなグ ループ分けをして、それぞれのグループをまた全体でまとめて意見を集約してい くような戦略はあるという話は非常に興味深かったんです。
…………………………

【交流会U 97/2/1】

視覚障害者の歩行について

国立身体障害者リハビリテーションセンター
渡辺 明夫

 視覚障害者の歩行訓練は、現在では低視力の方の訓練も実施していますが、 基本となる技術は全く目が使えない人のために開発されたものです。
 私は、今から10数年前にイギリスのバーミンガムにあったナショナル・モ ビリティ・センターという歩行訓練士の養成施設で全盲を中心とした歩行訓練を 習いました。使われている本や技術はアメリカから導入されたもので、日本で読 んでおいた日本ライトハウスの本や七沢ライトホームでの研修が役に立ちました 。基本となる考え方は海外でも日本でも同じだと感じました。すなわち、歩行訓 練をオリエンテーションとモビリティとに分け、自分の位置を知り、環境を知り 、自分と環境との関係を正確にとらえるオリエンテーションの技能を習得するこ と、そして白杖を使った歩行技術を習得することです。
 オリエンテーションの大切さは次のような引用でよくあらわされます。子供 などは目が見えていても未知の場所では迷子になります。また大人でも都市圏で 地下街に入ると地上との関係を頭のなかで組み立てられず、地下街から地上に出 て自分の位置がわからなくなることがあります。子供は別としても晴眼者がなん とか道に迷わずに行動できるのは視覚によってオリエンテーション技能の不足を 補っているからだと思います。これに対して、視覚障害者の場合は対象が見えな いこともあり、自分のいる場所も周囲の環境も視覚によって知ることができませ ん。従って、自分の位置を知り、環境との関係を頭の中で構築するメンタルマッ ピッングが大切になります。メンタルマップをつくり白杖を操作して歩行するわ けですが、環境は常に均質なものではありません。時間帯によっては人や車が多 かったり、住宅街ではゴミが山のように積まれていたりします。また、道路や建 物の工事で暫く行かなかった街が様変わりしていることもあります。このように しばらく行かなかった地域を歩行する場合には、新しい情報を得るなんらかの方 策を考えた方が賢明ではないかと思います。
 視覚障害者の訓練では空間よりは面が、面よりは線が分かりやすいという考 え方にたっています。歩行の分野では幅の広い歩道を自由に歩行するのは困難な ので、場所によっては壁を伝わって歩くテクニックに応用したり、誘導ブロック により歩道を面から線に近い状態にするなどして取り入れています。このような 考えは非常に効果的で、視覚障害者向けのスポーツである盲野球や盲バレーでは とっくの昔から空間を行き交うボールを平面上で扱うという工夫がなされていま した。イギリスでの研修中には、何人かの方々から点字ブロックの有効性を聞か れたり、また、視覚障害者の方々からは点字ブロックの敷設をうらやましがられ たりしました。一昨年イギリスに行ったときには歩道の誘導ブロックは見当たり ませんでしたが、横断歩道の位置表示として使われている例がありました。
 以上、手短に歩行訓練について述べさせていただきましたが、私は、実は、 今のところ歩行訓練士として働いていません。歩行訓練の仕事を離れて既に5年 ほど経っており、現役時代のことを忘れかけていることも多々あったように思い ます。大変拙い話になってしまったことをお詫びいたします。今回頂いた皆様と の貴重な交わりを良い機会として、再び歩行訓練士として働く機会がくるまで自 己研鑽を重ねたいと思います。白杖は腰から上の防備は不完全ですし、訓練によ って全てが解決するわけではないのが残念です。皆様の歩行の安全を祈念すると ともに、歩行しやすい環境づくりに目を向けていきたいと思います。
【質疑】
○質問 私は中途失明でつい先日生活リハ施設に入り、歩行訓練を受け始めた ばかりです。先生のお話を伺って、いちばん大切なことは、自分がどの程度歩け るのかを認識して、訓練を受けなけなければいけない、と。それ以外に、訓練を 受ける上で、心がけておくべき点があれば、教えてください。
○渡辺 視覚障害者は変化に弱い、つまり瞬時に全体を把握できない。気を付 けて欲しいのは思い込み、思い違いから事故につながる場合が多いということで す。自分の行動を振り返り、フィードバックを積み上げて、確実性を増すように 心掛けることです。
○質問 歩行訓練を受けた施設の周辺が視覚障害者に優しい環境になっていた 。ところが、現実に自分の地域に戻れば点字ブロックはない、音響信号もない。 このギャップは大きい。このギャップは自己訓練で埋めている。しかし、安全か どうかはわからない。チェックや評価を受ける必要がある。自分の住まいを中心 とした歩行訓練と、定期的な再訓練や評価が保障されるといいと思うんですが。
○渡辺 自分の地域で必要な場所に必要に応じて行ける、また何の目的もなく 歩く散歩を楽しむ。こういったことは地域の地理的・構造的な環境情報を基にマ ッピングをつくれるように情報収集が必要です。施設訓練から在宅訓練へ、基礎 訓練から応用訓練への橋渡し、といった地域福祉重視の方向性は推進されていま すが、現実は歩行訓練士の絶対数の不足の問題があって難しいですね。
○質問 ある目的地に行くために、情報収集してメンタルマップをつくろうと する。歩行訓練士に道順を聞くと、的確に教えてくれて間違いなくたどり着ける 。ところが、一般の人に聞くとめちゃくちゃになって、思うように行き着けない 。一般の人が環境情報を過不足なく的確に伝えるノウハウ、あるいは視覚障害者 が的確に情報を取る聞き方はあるのか、マニュアルみたいなものがあるといいの ですが。
○渡辺 多分いまはないと思います。横断歩道や曲がり角は幾つかのパターン がある。例えば、横断歩道だと、傾斜ができてる、段差が切れてる、ガードレー ルが切れるパターン、曲がり角だと隅切りがあるパターン、ないパターンなどが あります。道路構造の中で幾つかのパターンを、訓練施設で基礎訓練としてなさ れている。訓練するときに最初は、隅切りがある四つ角だとか、何がどうだとか やりますので、かなり自分が選択するというか、どのパターンかを探せばいいと いう訓練をするので、そのパターンの中から自分で選択できる力がある。そこで 、情報を与える側としては、そういった基本的な手がかりとなる情報を提供する わけです。
○質問 肩幅に振りなさいという杖の振り方ですが、路面をはわせるんですか 、それとも1ミリでも、1センチでも上げて振るんですか。
○渡辺 もともと触っていく、引きずっていく方法では、糖尿からの視覚障害 者やなかなか路面情報がわかりにくい人のために、最初じゃりじゃりこすって歩 く方法をとったんですね。そのほうが現実的には安全性が高い。今、路面を引き ずって行くような方法が中心になっています。ただ、路面が荒れていたり、砂利 道は無理です。だから変則的に真ん中から横について、真ん中を浮かすけど左右 は引きずっていく。使い分けて現実的にはやっています。ただ、今、杖の先が直 線のものが多いんですが、引っかかりやすいですね。外国だとマシュマロ型とか 、ペアシェイプ、洋梨みたいな形をしているものとか、メタルのチップをつけた りとかで、若干でも引きずりやすい形になっているんですが、安全性としては、 基本的には引きずっていく方法で指導しているのが中心かと思います。
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【職場で頑張っています】


【現況報告その1】

過去の自分は忘れて
今、自分が出来ることを!

(株)大みかクリエイテイブサービス
川瀬 信秀

 はじめまして、私は昨年夏にこの会に入会しましたが、いわゆるペーパー会 員で会報を読ませていただいているだけの会員です。発病から約18年、全盲にな ってからでも8年になるので、視覚障害者としてはベテラン??の域に達していな ければならないのですが・・・。日立に入って丁度丸27年の4月1日付で新会社 が設立され、職場が丸ごと別会社になりました。56歳までは出向ということなの で日立に籍は後6年程ある予定です。
 現在コンピュータやコントローラのマニュアル制作及び提供業務が主体の10 人程度の職場で約10年になります。私の立場は職場全体の取りまとめといったと ころでしょうか。介助機器はオプタコンと盲人用ワープロでんぴつ、個人的な資 料等の管理や簡単なメモには点字を利用しますが作業指示等は手書きかワープロ で処理しています。定型的な業務なので慣れが幸いしているように思います。今 一番の問題はネットワークに直接接続できないことです。社内の電子メール(c :cメール)やイントラネット(ネットスケープ)の音声化が出来ないからです 。他部門への発信は紙によるか一旦テキストデータとしてFDに落とし、人の手 を借りて転送、着信も人のマシン経由で読んでもらったり、テキストデータに変 換してもらうなどかなり手間がかかっています。要は1人では何もできないとい うことです。一日も早くネットワークで職場の人達とデータが共用できるように ならないと今後の中途視覚障害者、特に全盲の人にとっての職場復帰は一層困難 になるのではと心配しています。ちなみに単独歩行できないのでは一人前の社会 人とはいえないといわれていますが、その面でも私は半人前です。自宅から車で 7、8分なので女房の送迎で出勤しているからです。やはり私は恵まれた環境に あるといえるのかも知れません。
 これから私は仕事4、地域活動6の割合でやっていこうと思っています。頼 まれれば仕事に支障のない限り年休やフレックス制度を利用して自分の経験を話 に出かけたりイベントに参加したりしています(行政が行う行事や会合は平日の 日中が多い)。地域に出ていくことが視覚障害について知ってもらうのに役立ち ますし、中途視覚障害者への情報提供の機会も増えるのではと思うからです。助 けてもらうだけの弱者でなく、助け合える障害者でありたいと願っています。
…………………………
【現況報告その2】

職場に復帰して8年、
これからどうする?

横浜市役所 中澤 治己

 平成元年3月1日に職場復帰を果たしてから8年余が経過しました。この間 、十年一日の如く、私は電車とバスを乗り継いで職場に通い続け、同じ机に向か って仕事をしてきました。こういうと、何か平々凡々と、平穏無事に、ただ歳月 のみが流れ去ったように聞こえますが、現実はさにあらず、毎日それこそ一心不 乱、精一杯、目前の仕事、課題に取り組んできたと、客観的な評価はともかく、 自身の心境としてはまさに戦場にあるが如く気の休まることのない毎日だったと 感じています。
 思えば、ちょうど10年前の昭和62年、私は日本盲人職能開発センターで点字 ワープロの訓練を受けていました。その前年、緑内障で度重なる手術のはてに身 体障害者手帳の交付を受けるはめになり、病院から神奈川県の七沢ライトホーム に入所を余儀なくされ、休職の身分になっていました。ライトホームでは、事務 職として続けられる見通しは全くなく、前途暗澹たる思いの中で、とにかく1日 も早く点字、歩行等の訓練を終えることだけを考えて生活していましたが、幸運 にもそこで盲人職能開発センターと録音速記の存在を知り、何か光明を見いだせ るのではないかという一縷の望みを託す思いで通所を願い出たのでした。そして 、同センターで、故松井先生を初め職員の皆様、先輩諸氏の教えと励ましを受け る中で、事務職としてやれるのではないか、職場復帰が可能ではないか、これに かけてみようという思いを固めることができ、人事当局への強い働きかけの源泉 となりました。
 それから10年、まさに十年一昔です。当時はバブルの絶頂期を駆け上がって いる時で、世の中は「日出ずる国ニッポン」の自信と楽観ムードがあふれ、「日 本型」がもてはやされていました。今にして思えば私の復職も、決して平坦な道 筋ではなかったのですが、バブルが追い風になったことは否めません。しかし、 世の中は一変しました。バブルはとっくに崩壊し、不景気、デフレ、リストラの 大嵐が吹き荒れ、世は世紀末の閉塞感と悲観的なムードに支配されるようになり ました。
 そして何よりも、復職当時にはわずかに残されていた視力が、懲りずに受け た2回の手術の揚げ句、とうとう全く光りも何も感じることができなくなってし まいました。もう3年前になります。それまでは、拡大読書器を使用して何とか 独力で文書から情報を入手するとともに、資料、起案文書の作成等をこなしてき ましたが、独力では困難になってしまいました。それまで独力でやってきたこと が逆に災いとなって、今や情報の入手には大変な苦労を強いられるはめに陥って おり、毎週土曜日に図書館の対面朗読サービスを受けるなどのことをしてしのい でいます。
 私のいる職場は港湾局といい、横浜港の管理運営をしているところです。仕 事も、テープ起こしを核とすることで復職が実現したのですが、着実に広がって いき、新しく建設した施設の管理運営にかかわるなど第一線に立つところまでい きました。しかし、その施設も第三セクターによる運営が軌道に乗って一段落し 、前述の事情もあってまた元のテープ起こし中心になりつつあります。
 今や港も規制緩和と構造変革の例外ではなく、これまでの制度や仕組みが一 挙に取り払われ、大競争時代にさらされようとしています。しかも、横浜市では マイナス予算が組まれ、人員削減が日程に上りそうな現在、雰囲気も何やら騒然 としてきた感があります。
 こうした激動の時代にどう対処していったらいいか、ますます意気軒昂に情 熱をもって闘っていきたいといいたいところですが、情けないことに、この頃は やゝもすれば積もりつもった憤懣が頭をもたげ、思うようにならないもどかしさ 、焦燥感にかられるようになってきました。一応、定年まであと12年、その後の ことも含めてどう生きていくべきか、悩みは尽きそうもありません。
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【交流会V 97/3/8】

会社に戻って思うこと
〜肩身が広い会社生活〜

コクヨ株式会社東京支社
システム管理部ヘルスキーパー室
田辺 和平

なぜ肩身が広いか
 勝手知ったるわが家に戻った気持ちなのである。長年勤めて通い慣れ、オフ ィスの中は十分に知り尽くしているので自在に歩ける。この安心感がまず第一。 それから人間関係。上司、同僚、部下、それぞれみんな顔馴染みである。4年間 のブランクは部下が上司になっていた。このような状況にもなる。しかし、こち らが「こだわらず、とらわれず、現実をありのままに受け入れる」姿勢であれば 、人間関係は誰とでもうまくいく。初代のヘルスキーパー室の責任者として自分 の意見を全面的に受け入れてもらい、仕事がしやすい環境が整えられた。
いま何をしているか
 もちろん毎日ヘルスキーパーの仕事をしている。1日に30分コースの予約7 人程度を揉んでいる状況である。
なぜ職場に戻れたか
 まず自分が復職を強く望んだこと。つぎに生活リハを含めた4年間の空白期 間に忘れられないように自分の存在をPRしたこと。具体的には近況報告を多方 面の人たちに続けたこと。もう一つ大事なことは、休職して三療の勉強をさせて もらっていることへの感謝の気持ちを表わす意味で、会社のトップに毎月給料日 にハガキでお礼を4年間出し続けたこと。この3つが成功のカギとなった。(障害程度1級、50歳)
◇会合日誌◇
◆97/4/3  役員会(総会企画)
◆97/4/18 役員会(手記集出版企画)
◆97/5/7  役員会(手記集出版企画)
◆97/5/16 役員会(総会企画)
◆97/5/21 編集委員会(出版企画)
……………
◇お知らせ◇
◎第2回定期総会
  日時:1997年6月14日(土)
12:30〜16:30
  場所:港区勤労福祉会館
〒108 東京都港区芝 5-18-2
TEL:03-3455-6381
  講演:「中途視覚障害者の職場復
    帰に関する調査研究会」報告
  講師:松原伸夫 氏
 (労働省・障害者雇用対策課専門官)
◎個別相談会の実施
 会員の皆さんへの個別相談を始めます。具体的な悩みや諸問題をお寄せくだ さい。それぞれの問題に適切な担当者が当たります。日程の調整をしますので、 事務局まで連絡ください。
◎『タートル』のテープ版を用意しています。ご希望の方は電話でどうぞ。
……………
◇編集後記◇
 交流会で歩行の問題を取り上げるのは2回目ですが、何度でも繰り返し行う のがよいようです。実に奥が深い。個人差はありますが、最初に独りで街に出る 勇気は大変なものと思います。生命にかかわる怖さはもちろん、迷子の怖さがあ ります。幼児期に迷子の経験を持つ人は多い。見えている大人でも地下街から地 上に上がったとき、手がかりが全くなく方向感覚を失うことがあります。メンタ ルマップをつくれずにやみくもに歩き回る怖さは想像を絶します。また逆に、慣 れてきたときに思い込み、勘違い、うっかり等々、これらは慌てている状況で起 きます。ホームの転落事故は後を絶ちません。皆さん、くれぐれも慎重に、急が ず、慌てず、亀のごとくに思慮深く、ゆったりと歩んでいこうではありませんか 。 (篠島永一)

中途視覚障害者の復職を考える会
タートルの会
会 長   和 泉 森 太
  〒160 東京都新宿区本塩町 10-3
  社会福祉法人 日本盲人職能開発センター
  東京ワークショップ内 電話 03-3351-3188 Fax.03-3351-3189


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