タ ー ト ル No.7

1997. 11.15.
中途視覚障害者の復職を考える会
(タートルの会)

「見えなくなる..?!」・・・そんな想いのときに..

タートルの会幹事 滝口賢一

 最近ふと考えてみると、自分自身のまわりで「えっ?見えなくなるの?!」 といった会話を交わす機会がなくなったことを感じる。
 社会に出てから入院など経験したことのなかった私が、数年前、病院で過ご した1ヵ月、そして、その後しばらくの間、知人友人との話題の中には、「えっ ?見えなくなってしまう..?」「本当に視力は戻らないの?」「見えなくなった ら、どうしよう」「この目で仕事はどうなる?」・・・、そんな言葉が幾度とな く出ていたように記憶している。
 今、こうして『タートルの会』のメンバーのひとりとして、楽しく活動し、 充実した生活を過ごしていると、そんな時期を忘れがちだ。
 しかし、一般社会で生活している中で、突然「失明は避けられない」「視力 は戻りません」などといった失明への道を告げられる頃、大きな不安がうずまく のは、誰しも同じであろうし、また、実際に今そんな時期にさしかかっている人 もきっといるはずである。

 あらためて自分をふりかえり、この『タートルの会』を考えるとき、こうい った不安な想いを持った時期の人たちの支えになることは、とても重要だろう。 そんな想いで、この夏から運営委員の一人として携わってきた『タートルの会』 のホームページが、12月の手記集発刊にあわせ、近く公開されることになった 。
 ホームページ開設に多大な協力をしてくださった方々に心から感謝するとと もに、悩み苦しむ方々のささやかながらも役に立ってくれればと願う。
【職場で頑張っています・その1】

復職してから5カ月経って

宮沢 佳

 私が職場に復帰したのは、今年の6月。音声ワープロの情報を知り、千葉市 の障害者職業総合センターでOA講習を受講する機会を得、仕事を再開すること ができた。勤務先である編集室は、朝日新聞の関連紙を週1回、群馬県全域に発 行しており、企画から取材、編集、製版までをすべて行っている。この種の職業 全般に共通することだが、労働条件は劣悪で、好きな仕事だから我慢できる状況 だ。不規則、長時間労働は、当たり前で、肉体的、精神的な負担は、相当なもの がある。復帰できたからといって正社員だった以前と同じ状況に身を置くことは とても不可能。男性は別だが、女性の編集部員で結婚しているのは、私ひとりな 上、ハンデがあるとあって、前例のないことばかりなのだ。
 嘱託社員で、週1、2回ほど出社する在宅勤務という形でスタートした。自 分のペースで仕事がしやすいだろうということから、シリーズを持たせてもらっ た。県内在住で、障害を持ちながらも、パワフルに生きている人達をザ・チャレ ンジド(挑戦する人達)というタイトルで9回にわたり連載した。取材する側も 障害を抱えているためか、心を開いて話をしてくれる。共通していたのは、自分 の出来ること、可能性を追求する姿勢だった。それが生きるエネルギー源になり 、障害のつらさを跳ね返している。この取材は、私にとって再スタートを意味す る思い出深い記事になった。
 これまで好きだった美術や音楽の取材、車で飛び回るような機動力を要求さ れる取材は無理に思え、今のところ敬遠している。最近も陶芸家の人を取材した のだが、こちらの状況を率直に伝えても見えない事を理解するのは難しいようだ った。その場で見せられた資料に対する質問ができず、歯がゆい思いをしてしま った。また、官庁などに出向く場合、必ず膨大な資料を提示されるので困ってし まう。資料のコピーをもらったり、後で FAXで送ってもらい、拡大読書器で 確認し、電話で再確認したり・・。見えればその場で簡単に済むことだが、手間 がかかる。様々な不都合や新たな問題がその都度出てくるが、カルーイ気持ちで 乗り越えたいと思う。
 今、次のシリーズを何にするか検討中だ。電車、バス、タクシーをつかって 動ける範囲で取材でき、私にできることを模索中。それと、編集室の仕事にかか わらず、職域を拡大できればと願っている。なにか、有効な情報をご存じですか 。


【職場で頑張っています・その2】

管理栄養士にも職場介助者を……

北村まゆみ

 はじめまして、私は、5歳の時、インスリン依存型糖尿病と診断されました 。24歳で目に合併症をおこし、昨年7月にリハビリテーションを終え、様々な 方々のご協力により、小平市にある糖尿病専門医療機関に就職することができま した。
 私の勤務する、医療法人糖和会近藤医院は、スタッフがチームを組んで診療 をしています。入院設備はなく、外来診療は、午前のみで、朝7時から診療をし ています。午後は、眼底検査の他に集団・個別指導があります。集団指導の中心 は、糖尿病教室で、看護婦と管理栄養士が10から15人ぐらいの患者さんを1 グループとして4回に分け、[1]病気や合併症について、[2]薬物療法と検査につい て、[3]食事療法について、[4]運動療法について、それぞれ講義しています。この 講義を終了しても、まだなお、血糖コントロールが取れない方や、食事療法の具 体的なやり方を指導した方が良いと思われる場合は、個別栄養相談に移ります。
 私は、管理栄養士として視覚に障害を受けるまでは、病院で勤めていました 。リハビリを受けている時、以前から栄養と運動について学んでみたいという希 望がありましたので、研修を受け、厚生省認定の健康運動指導士の資格を取得し ました。
 就職してから現在までは、看護婦さんや、その他のスタッフの方々の協力で 、診療の流れや、患者さんの把握をするために、尿検査をさせていただいたり、 医師に付いて、病態や、患者さんとの関わり方を学ばせていただきました。職場 に私のパソコンも入って、そろそろ本業の仕事を始めようかと考えていたところ 、大きな壁があることを知りました。それは、管理栄養士という職種には、ヒュ ーマンアシスタントが付けられないということです。今は、どこの職場も、人件 費の削減をいわれているようですが、医療機関も非常に厳しく、突然ひとり休ん だら、診療の流れが止まってしまうほど、ぎりぎりの人数で診療をしているわけ です。職員の中でも、十分な休日さえ取れない方もいます。こんな状態の中で、 カルテを読んだり、集団指導の時、私の目の代わりとなって、患者さんの反応を 一緒にみてくれるような時間はとれません。私がいくらパソコン通信や大勢のボ ランティアさんに書物やデータを作成していただいても、研修会や学会に参加し て知識を得たとしても、管理栄養士として、仕事を続けていくことは、とても難 しくなります。
 以上のような現状をふまえて、管理栄養士でも、ヒューマンアシスタントを 利用できるよう、制度の改正をして頂きたいと思います。

<私のリハビリ体験記:その1>

「思い余っての一本の電話から」

古木達雄(会社員、46歳)

 私の現在の視力は左が0.07、右が0.05で、障害等級は4級、中心暗点の症状 があります。病名が明確になった時期は1987年7月で、黄斑部変性でした。
 このたび「タートルの会」にアクセスしました経緯をお話します。
 まず、今年の5月中旬、上司から業務分担の変更即ち配置転換に関する話が ありました。これが、3カ月にわたる悩みの始まりでした。私は、上司に欠如し ていた唯一大事なことは障害者に対する優しさだったと思います。上司たる者は 自分自身がストレス状況にある時でも、自制心を失い、いじめといえる言動を行 うべきではないと確信します。
 そこで、私は社内の健康管理センターの保健婦さんに事情を詳しくお話して 、相談にのってもらいました。
 そして、第一歩として、身体障害者手帳を取得すべく通院し、6月10日に市 役所に申請し、7月29日に手帳の交付を受けました。早速、拡大読書器ビジョン スキャナの使用申請を市役所に行い、自宅で使い始めました。ビションスキャナ の個人負担はゼロでしたので助かりました。
 しかし、上司による精神的な圧力に耐え切れず、8月7日、休暇をとった午 前中に初めてタートルの会に電話をし、篠島先生に助けを求めました。早速、工 藤さんより電話を頂き、悩みを打ち明けました。
 ちなみに、私がタートルの会にアクセスできましたきっかけは、以前、NH Kのラジオ第2放送の番組である「視覚障害者の皆さんへ」(毎週日曜日)を聞 いていた時、タートルの会の事が放送され、その時にタートルの会の電話番号を 将来のために書き留めていたからです。今思いますと、電話番号をメモしておい て本当に良かったと思います。
 さて、このようにしてタートルの会にアクセスして2日後の8月9日に、新 宿で和泉会長以下6名の方々と初めてお会いする機会を私のために設けて頂きま した。私の置かれている状況を皆様にお話し、助言を頂きました。
 私は苦肉の策として“リハビリ”を是非受けて職場に復帰したい旨を上司に 思い切って話したところ、しぶしぶ了解してくれたので、少しホッとしました。 しかし、リハビリの具体的な日程をすぐに立てろという全く時間的な余裕がない 状態でした。
 そこで、今度は早急なリハビリのため、当初の計画に沿って、和泉会長と会 社の保健婦の方との間でコンタクトを取って頂きました。和泉会長の計らいによ り8月29日に所沢の国立身体障害者リハビリテーションセンター病院でリハビリ に向けての検査を受け、併せてロービジョン・クリニックにて単眼鏡・ルーペに ついて私に合うものの現物を見せて頂き、選定した後、3種類の現物を1カ月ほ ど試用させて頂きました。また、パソコンに関しても、Windows95上での画面拡 大及び音声によるガイドのデモをして頂きました。
 そして、次のステップとして、8月19日に和泉会長、会社の保健婦の方と私 が神奈川障害者職業センターを訪問し、石黒主任職業カウンセラーに相談をしま した。
 今度は、石黒さんの計らいにより、幕張の日本障害者雇用促進協会障害者職 業総合センターにてリハビリが受けられる運びとなり、希望が持てるようになり ました。
 9月9日には、幕張の障害者職業総合センターより援助課職業講習係の高瀬 さんが会社に来られて、入所前の状況確認及びリハビリの日程に関し相談しまし た。リハビリの開始時期については、上司と私の考えが合わずぶつかりましたが 、私の所属する事業部の事業部長の配慮により、「リハビリを最優先で考えなさ い」という言葉も頂き、私の希望通り9月17日より1カ月の予定でようやくリハ ビリが実現致しました。
 このようにして、私のために多くの皆様の手助けを頂き、心の底から御礼を 申し上げます。「死を何度となく考えておりました」ので、本当に感謝の気持ち で一杯です。


社内キーパースンとの連携の重要性

 この8月から9月にかけて、タートルの会にとって大変うれしい出来事があ りました。
 それは、あるオーディオ・通信機器メーカーに勤務されていて、中途で視覚 障害者となられた古木さんが、短期の職業リハビリテーションを経て、無事に職 場復帰を果たされたということです。
 相談を受けた時の彼は、身体障害者手帳を取得したばかりでした。拡大読書 器は申請中でしたが、まだ自分に適合したルーペなどについての情報も持ち合わ せていませんでした。
 そのような彼から電話があったのが8月7日。その内容は、すぐにでも別の 部門に異動するように言われていて、彼の目の状態では、そのまま退職に追い込 まれてしまうのではないかというものでした。
 そこで、翌々日の8月9日の土曜日、本人を交じえて、「まずは、今の仕事 を続けるためには何が必要か」ということを基本に話し合いました。
 その結果、リハビリテーションなしには仕事の継続には無理があること、関 係者に自分の目の状況を正しく理解してもらう必要があること、当面、今の仕事 なら文字を拡大し、音声に対応させることで十分に可能であることが確認されま した。いずれにしても、古木さん自身がリハビリテーションを受けたいという明 確な意思表示をする必要があることなどを確認しました。国立身体障害者リハビ リテーション病院第三機能回復訓練部(ロービジョン)と障害者職業総合センタ ー職業センター、日本盲人職能開発センターなどに繋げる方向で、具体的な任務 分担とスケジュールを確認しました。
 また、いろいろと話し合う中で、会社内のキーパースンとして保健婦さんの 存在がクローズアップされてきました。そこで、その保健婦さんにリハビリテー ションと継続雇用に関する情報を提供するとともに、必要な協力をお願いするこ とにしました。早速、地域障害者職業センターに事前にコンタクトをとり、保健 婦さんと本人と当会会長の3人が地域障害者職業センターを訪問し、リハビリテ ーションのための相談をしました。
 一本の電話を契機に、それまでの暗く重々しい雰囲気から明るい方向へと、 流れが大きく変わりました。国立身体障害者リハビリテーションセンター病院で のロービジョントレーニングの相談を経て、障害者職業総合センター職業センタ ーで職業講習を受けることができました。
 今回のケースは、社内のキーパースン(健康管理センターの保健婦)が文字 通りキーパースンとしての役割を果たしてくれました。
 しかし、それ以前の問題として、古木さんがタートルの会の存在を知ってい なかったら、そして、当会の機敏な対応がなかったら、今回のような解決にはな らなかったかも知れません。彼がNHKラジオ第二放送の「視覚障害者の皆さん へ」でタートルの会の存在を知っていて、その連絡先をメモされておられたこと が幸運でした。
 ところで、今回の訓練に当たっては、会社の特別な計らいで、職業訓練を研 修として認めていただき、会社からパソコンを持ち込んで訓練を受けることがで きました。訓練期間中の彼は、まるで水を得た魚のように、実に精力的に訓練に 励んでおられました。
 繰り返しになりますが、今回のケースは当会の機敏な対応と、関係者の連携 プレーで成功したといえます。その中で、特に当会としてしたことは、関係者に 対する当事者の立場からの豊富な情報提供と、本人の立場で、ある程度のところ まで本人に成り代わって具体的な行動をとったことです。
 もう一つ、今回の成果の背景には、障害者職業総合センター職業センターの 職業訓練(講習)が、随時柔軟な対応をしてくれるようになったことがあります 。
 古木さんは、お子さんもまだ小学生と中学生で、まだまだこれからという時 だけに、大変な心労だったようです。それだけに、厳しい苦難を乗り越え、安心 して訓練を受けることができ、無事に職場に戻られた喜びは一入(ひとしお)だ ろうと思います。
 最後に、エピソードを一つ紹介します。
 それは、訓練に入る前日のことです。早速、会社から持ち込んだパソコンに 95リーダーとズームテキストをインストールしてもらいました。すると、音声 は出る、文字は拡大される・・・。これは、自分のために開発されたのではない かと錯覚したそうです。

(工藤正一)


連続交流会(その1)(H9.09.20)

どんな仕事をどのようにこなしているか

○司会 どんな仕事をどんなふうにしているのかというのを具体的にお話しし ていただきたいと思います。特に補助具とか、人的支援をどんなふうに受けてい るのかという点をポイントにしながら、お願いしたいと思います。
○野呂 勤め先は運輸省の出先の機関で、そこの責任者をしています。
視力は左が、0.01、右が光覚というか、光もはっきりわかりません。
使用器具は、机の左側に拡大読書器、バンテージの14インチ型、もう7年か8 年になると思います。いわゆるカラー、黄色になるやつで、反転がききます。右 側の方にノートパソコン9821型とプリンター。机の引き出しには、ルーペ5倍型 。これが通常の仕事を支えてくれる私の仲間です。つけ落としましたけども、最 近は、ちょうど1年ぐらいになりますかね、まじめに白杖も使っています。
私の職場は地方の出先で人は多くありません。延べ14名ほどいますけれども、24 時間勤務なもので、組み合わせは交替勤務する側が11名、私ども管理事務する方 が私を含めて3名です。3名の中に、私が行ってから非常勤の女性に来てもらっ ています。だから通常は、先ほど拡大読書器とワープロ類を私の友達と言いまし たが、最も頼りになるのはその女性です。
 私は文字を読むのはそのバンテージを使いますが、そんなたくさん読むと疲 れちゃって。とにかく書類が多くて疲れて、どこのだれが発信したかということ と、件名等を見れば、もう30年以上勤めてますので、どういう時期にどういうよ うな書類が流れるということは大体身をもって体験してますので、ほとんど判こ を押すだけで流すものもあります。
仕事のやり方は、ややこしい、これは新しい、状況が変わってきたなというも のについては、その女性に読んでもらいます。自分でこれはつくるべきだなとい う場合は自分でつくる場合もありますし、これは指示すればそれで済むなと思え ば、指示して、つくって報告させるとか、提出させるとか、いろいろそういう手 段をとってますけど。私が主にやっている内容は、現在は人事管理部門が多く、 勤務評定の書類が、B4にたくさん書く項目があるんです。それをワープロにた たき込みましてね。たたき込むのはもちろん自分でつくりました。とにかく項目 が多いんです。そしてB4サイズにしなきゃならないんですけど、私のプリンタ ーはA4の縦しか入らなくて。それに似たのがもう一つ、人事の希望調書という のがありまして、それがやはりB4サイズで出さなきゃならないし、20項目ぐら いある。
1回入れちゃえば、もうあとは簡単ですから。だからつくるまでがえらい苦労 したんですけど。で、B5しか入らないのをどうしたかといいますと、B5に2 分の1で打ち込みまして、実際はB5で打ち出して、それをゼロックスで倍のB 4に拡大しまして、それで報告するというような手段をとっているんですけれど も、その拡大なんかも自分でやっています、要領だけ覚えて。私のところはキヤ ノン製ですけど、あれも放っておくと全然要領がわからないですけど、私はそう いうチョコチョコやるのが好きなもんですから、「どうすりゃいいんだ」という ようなことで、いろいろ聞いて、要領さえ覚えれば自分でわかるから。人事管理 面のものは人に見てもらいたくないもんですから、どうしても自分でやる。現在 はそういうことが主力です。
それでもう一つ、これは前職で、企画立案してから終結するまで6カ月かかる 行事があったんですけど、「よし、これはおれに任せろ」というわけで、周りに いた者が「できるの?だいじょうぶか」というような感じで受けとめたんですけ ど。簡単に言うと、歌手を呼んで歌謡ショーをやろうというわけです。記念行事 が役所にありまして、それを私が一人で、交渉から、報告までやりました。
この仕事をやるにはほとんどワープロを使いました。自分が企画し、たたき込 んでやっていくと、全部覚えていますから、「おまえは何やれ、おまえはこれ」 なんて仕事の分担など決めまして、全部報告させて、報告した内容は全部ワープ ロにたたき込んでいるから、彼らは私が指示したことをただやるだけと。整理は 私が会計報告まで全部やりましたから、そういう意味ではワープロ様々でしたね 。あんな便利なものはないですよね。私は画面は全然見ないんです、ワープロを 使う場合ですね。表をつくる場合でもディスプレイは全然見なくて、音で聞きな がらやります。もちろん表をつくる場合は、最初の文字数、横が何文字で縦が何 行というふうに、そこはまず基本を頭に入れておいて、そこで割り出していくん です。
私の場合はワープロをそれぐらいしかやれないんです。だから本当のワープロ の基礎、入り口だと思うんですよね。
入り口部門の仕事をしながらでも、私みたいに、今のところ今の事務所の責任 者をやらせてもらっていますけれども、周りの皆さんの協力を得ながら、ふだん は「いや、留守番程度だよ」という話で通っております。
○工藤 自己紹介の前に、3点ほど。1つは、点字の使用ということ。全盲で あるか弱視であるかということが非常に重要になるが、点字の使用というのは、 視力が一定以下に落ちた人には絶対必要であり、それをどういうふうに利用でき るかというあたりですね。それと、機器については私自身の失敗例になるんです が、有効に活用するためには自分の機器を常に持ち歩けるような状態にしてもら えたらいいなということ。そのためには個人助成をぜひしてほしいと。そういう 制度があってもいいんじゃないかなということ。そして、訓練内容について、私 も正式にはワープロしか教わってないんですが、もう少し広げる必要があると。 時間はかかっても、プログラマーまではいかなくても、ある程度プログラムを組 める程度。少なくともそういう用語とか、専門的な知識を多少修めるっていう必 要はあるんじゃないかなということを感じています。
私は今48歳。32歳のときにベーチェット病を発病。もちろんそれは必ずしも失 明はしないという病気だったんですが、ほぼ5年後に失明。1981年に発病で、87 年に失明です。ちょうどその失明する直前というのは、大体半年間ぐらいは視力 をもっていた。拡大コピーをすると、かなり小さい文字が見えていた。実際それ を見ながら最後の仕事をしたという記憶があるが、そういう視力があったのが半 年の間に落ちて、完全にゼロになってしまった。
失明する直前に職場の方と、多分もう一回炎症が起きると、もうこれは失明す る可能性があると、自分でそういうふうに判断して、職場には話して、リハビリ の道を探った。結果的には盲学校に3年間行って、1987年から3年間。職場に形 式的に一応戻った。それから事務職を目指して1年間国立リハに入って、生活訓 練を3カ月、そして6カ月の職場適応指導コースという、主にワープロの講習を 6カ月やって職場復帰。だから1991年の4月から労働省に職場復帰しました。
どういう仕事をしてきたかということですが、訓練の内容からしてワープロだ けなんです。その訓練期間中にかなり無理を言ったんです。そこでMS−DOS の基礎知識だけはぜひということを、これはかなり強引にお願いして、それで2 日くらいやったんですかね、それが実際にはかなり役立っております。そのとき の知識があって、労働省の吉泉豊晴さんによく聞きながら、勤めてから勉強して いったということです。
仕事の内容というのは、その訓練の延長ということで、テープを起こして議事 録をつくるということが労働省の中での仕事でした。もちろん業務の一環という ことで、研究会などがあれば一緒に出張したり。ちょうど視覚障害者に関する研 究会をやったりとか、新しいプロジェクト事業がスタートしたときだった。ヘル スキーパーがマニュアル化される、ちょうど企業でも雇用し始めて少しずつふえ てきたというときだったので、そういう調査をしたり。そういう点では単なるテ ープ起こし以外に若干の業務的な仕事にもかかわってきたということはあります 。
話は前後しますけども、盲学校に行っている間の3年間。これは、とにかく人 脈をつくろうということに徹しました。見えなくても本当によくあんなに歩いた もんだなというくらい、そこで視覚障害者の人と会って、こちらは非常に刺激を 受けたりしたということがたくさんあります。そこで歩行訓練士の先生方とか、 盲学校の先生はもちろん、各都道府県の更生訓練施設の職員とか、そういう人た ちと随分知り合いになりました。それが今、正規の仕事を離れたところで結構電 話がかかってきたり、そういうことが今現実にたくさんあります。そういう相談 事というのは往々にして視覚障害者の非常に深刻な相談ということで、かかって きた電話については一応必要な情報を提供したり、それはやっていこうというこ とで、ある程度周囲に気兼ねしながらやってきました。
労働省から今いる日本障害者雇用促進協会に移って、企画調整室という所に配 属されています。そこは研究機関ですから、障害特性とか、雇用開発とか、そう いうすべての障害についての労働能力、雇用管理、そういう研究をやっている所 なんですが、そこでも基本的な仕事は、研究会のテープ起こしをしております。 もちろん視覚障害者関係の研究会もあるわけで、そういうときには自分がこれま で習得できた情報が役立つこともあります。内部の研究のいわばヒヤリングの対 象として参加して発言をしたということもありますし、特に中途視覚障害者のこ とについては、工藤に聞けば詳しいだろうということで、内々にそういう打ち合 わせみたいなことがあったり、そういう形の仕事もあるが、基本的には、先ほど 自己紹介の中にも何人かの方がやっているような、会議録をつくる、講演録をつ くる、そういう仕事が中心です。
職場の機器で失敗したというふうに僕は話したんですけども、結局、機器はあ れども使えないという状況なんです。これがなぜこうなるかというと、インスト ールが自分でできないということなんです。これはそういう知識もないし、マニ ュアルを読むということもなかなか大変なときに、やっぱり自分でやるには限界 があると。うちの場合、なまじっか周りにそういう専門的な人がいるだけに、い っそのこと全部、「使えるようにして私に渡してください」と、そういうふうに はっきり言えばよかったんですね。使える状態で渡してくださいと。それが、「 注文はしました」ということで、1カ月おきくらいにポツポツポツと機器が入っ てくるんですね。そうすると、どうしようもないんですね。
現実には書くということが中心ですから、ワープロさえうまく機能していれば 問題ないわけです。そういうことで済んできております。現在使っているのはN RCDーPenという、国立身体障害者リハビリテーションセンターで開発され た、DOS上で動くワープロソフトです。これは非常に私にとっては使いやすい ワープロソフトなんですが、ただ、いろんなアプリケーションソフトと一緒に使 おうと思ったときに、私の技術では切りかえがうまくいかなくて、一旦終了させ てからほかのソフトを動かすとか、そういうふうな使い方をしておりますので、 非常に非能率的な使い方をしております。そういう意味でも、多少プログラミン グできるような知識がもしあれば、その辺は自分で改善できただろうというふう に考えております。
機器については、パソコンはNECのノート型を今使っております。それと「 ユリーカ」です。これは電話帳として非常に便利に使わせてもらっております。 これは私物ですけども。ピンディスプレイはありますけども、使っておりません 。CD−ROMも同じような状態ですね。
あとはテープレコーダーを使うということは多いです。これはだれでもそうな んでしょうけども。それと、便利なものとしては、相談の電話がかかってきたと きに記録をとるということをよくやるんです。点字を書きながら記録をとります けども、便利なものとしてイヤホンマイクというのを使っております。これは、 イヤホンを耳に入れながら、これをテープレコーダーにつないで、その上に受話 器を重ねて使います。
人的な介助ということで、私たちの所ではヒューマンアシスタントを、ジョブ パートナーという呼び方をしてますけども、週3回来てもらってます。一週間に 3回、月・水・金という形ですね。その方の仕事の内容というのは、回覧物を読 んでいただくということが多いです。それから研究所ということで、いろんな研 究報告書が出るんです。その中で、私は特に視覚障害に関する情報を入力しても らっております。それと、「雇用促進のために」という助成金のガイドとか、職 安の一覧表とか、うちの関係の職業センターの一覧表。その中に職業カウンセラ ーの名前まで打ち込んでもらって、それを何かのときに活用しております。あと は雑誌のたぐいですね、私がそういうふうにどんどん蓄積していたデータは、う ちの中にほかの視覚障害を持った方がおられますので、結構そちらの方に活用し ていただいたりとか、そういうふうに情報のやりとりをしております。そんなこ とが私の仕事の内容ということですね。
あと一つ言うとすれば、公務員ということと民間ということでは、仕事の厳し さが随分違うんじゃないかなと思うんです。多分民間会社に勤めていたら、自分 自身はどうなっていたかわからないというのはあると思います。今話を聞いてお わかりになったように、仕事としては十分やってないんじゃないかなという気は しているんですね。多分、国民の税金のむだ遣いをしているんじゃないかな、と いうふうに感じております。でも、むだ遣いなのかな、というふうに問い直すと きもあるんですね。まだまだここに参加してきている人の中にも、これからどう しようという人もたくさんいらっしゃるわけで、そういう人たちが安心して働き 続けていけるために、労働省としてもやるべきことはあるんじゃないかなという ふうに自分は考えています。
今仕事はないようで、いわばそれで頑張っているという状況なんですが、これ が今の私の仕事でもあると。そういうのを通して将来的には中途視覚障害者の職 場復帰がどんどん進んでいくような環境につながっていければいいなと、そうい う期待を持ちながら仕事をしております。
○内山 私は現在、「ハローワーク墨田」、墨田公共職業安定所で障害者の方 の職業紹介相談等を担当しています。私の目の状況は現在、右がゼロで左が0.04 ぐらい。ちょっと今、かすみがかかってきていますけれども、目の病気は88年に 右目の網膜剥離をやりまして、94年に左目の網膜剥離、両方とも網膜剥離を起こ したんですね。直接の原因というのは、もともと僕は小さいころから強度近視で 、よくみんなから言われてたんだけども、牛乳瓶の底みたいな分厚いメガネをか けていまして、強度近視は網膜剥離を、何かの衝撃によっては起こしやすいんだ そうです。直接の引き金になったのは職場で40キロの段ボールを思いきり持ち 上げましてね。後で後悔です。今大変な思いしてるんですけども。闘病生活は長 かったんですが、僕自身も突然網膜剥離を起こしたので、病院生活の中でいろい ろと四苦八苦しました。
 3年前です。半年間入院し、職場復帰をする頃には、もう右目が大体見えな くなってまして、左目は手術を5回ほどしてやっと見えるようになったんです。 退院近くなって職場復帰を考え始めました。どうしようかと思って、取りあえず 文字が見えないと、この仕事も続けていけないわけですから、病院で悶々として る中で、お年寄りの使う倍率が2倍とか、そのぐらいのルーペはよく使ってたん ですが、それでは見えない。もっと倍率の強いルーペを病院の中で借りて試し、 これで見えるんじゃないかと、早速ルーペ探しから始めました。そして、とりあ えずこのルーペを使って文字が見えるので、仕事ができる、と。
 そのころ僕は学卒担当といいまして、新規学卒者、高校生、大卒、短大生の 方の職業相談や求人を受理するという仕事を担当していました。ところが、求人 票そのものがものすごく細かいんですね。高校の先生方や他の皆さんの中にも、 ルーペを使う人もいました。
 僕のルーペは最初は5倍ぐらいのを使っていましたが、書くのもルーペを使 うので、相当に緊張して、首と肩がすごく痛くなり、よくマッサージに通いまし た。でも何とかこれでやっていけるのかなと思いましたね。しかし、相手は事業 主や人事担当部長といった役付きの方が来られるわけですが、変な格好をしてい る僕も気にしながら、求人を受理したんですけども。
 そうこうしているうちに、これじゃちょっと続けていけないんじゃないかと 思い、いろんな情報等を見まして、拡大読書器や音声ワープロなどがあることを 知りまして。それを何とか職場に入れてもらわなくてはいけないなと、このまま ルーペだけでは、ちょっときついというのが実際ありましてね。その熱意のせい もあったかわかりませんが、90年の10月に復帰して、次の年の4月の下旬ごろ、 拡大読書器と音声ワープロ、そしてテープ起こし用のフットスイッチ付テープレ コーダーを入れていただきました。現在、それを使って仕事をしています。
 今は、障害者の職業紹介ということでやってるんですけれども、視覚障害だ けではなく、聴覚、知的障害、内部など、いろんな障害の方と毎日接しながら仕 事をしています。特にその中で視覚障害の方も何人か相談をしてますが、ほかの 障害と比べてみた場合、本当に就職が厳しい。
 僕自身も毎日相談していると同時に事業所訪問という形で、要するに開拓で すが、職場探し、仕事取り、求人開拓といってますけど。最初は1人で行ってた んですが、最近は視力の関係でうちの訪問担当職員とか相談員の方がいますので 、一緒になって毎週いろんな所へ行っています。
 そこで、これからの課題として、職業総合センターと職業安定所との密接な 連携が必要だろうと思います。センターは障害者の職域開拓も含めて、雇用の管 理、本人の能力開発などを総合的に研究してる所ですが、職業安定所と連携をと り、今でもやってるんですけども、視覚障害者の場合は、より一層専門家と連携 をとって、この程度まで勉強すればいいとか、このように訓練すればいいという ように、職能評価と職能訓練の具体策を専門的、実践的に積み上げていけば、も っと雇用も増えていくんではないかと思っています。

(新井愛一郎)


お待たせしました!!
『手記集』が単行本として出版され、発売されます。
書名: 『中途失明』
〜それでも朝はくる〜
定価: 1,000円(税込み)送料実費
発売: 1997年12月9日
編集・発行: 「タートルの会」
出版: (株)まほろば
03ー3503ー7846
予約受け付けます。お早めにどうぞ。
インターネット
<『タートルの会』のホームページ URL>
http://www.asahi-net.or.jp/~ae3k-tkgc/turtle/index.html

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タートルの由来、会の発足経過、活動状況、
こんな職場で働いています(事例紹介)、雇用ノウハウなど各種掲載

◇会合日誌◇
◆97/8/6  幹事会(交流会・出版企画、タートル6号発送)
◆97/8/21  出版編集会議
◆97/9/10  出版編集会議
◆97/9/20  交流会「仕事を聞くT」
    ホームページ作成委員会
◆97/9/26 出版編集会議
◆97/10/2  出版編集会議
◆97/10/18 出版編集会議
  交流会「仕事を聞くU」
◆97/10/27 出版編集会議
◆97/11/1 ホームページ作成委員会
◆1997/11/5 出版編集会議
◆1997/11/11 出版編集会議
◇お知らせ◇
◎交流会
 講演:「中途視覚障害者の歩行」
 講師:坂本洋一 氏
国リハ学院視覚障害生活訓練専門職員養成課程主任教官
 日時:1998年1月17日(土)
14:00 〜 17:00
 場所:未定
◇編集後記◇
連続交流会をスタートさせ、多くの参加者の関心を集めました。とりあえず、 本号には初回の3人分の概要を掲載しました。次号には残りの6人の事例を報告 します。
 ようやく手記集の発刊にこぎつけました。特に広告企画の仕事をされていた 持田健史会員には本書『中途失明』の装丁や、会のロゴ、あるいはシンボルマー クを作っていただき、さすが専門分野の人脈は……とほとほと感心しているとこ ろです。
 また、タートルの会のメーリングリストに参加しませんか。問い合わせは吉 泉豊晴幹事(03-3593-1211)の内線5585へどうぞ。 (篠島永一)
『タートル』(第7号)
中途視覚障害者の復職を考える会
タートルの会
会 長   和 泉 森 太
〒160 東京都新宿区本塩町 10-3
社会福祉法人 日本盲人職能開発センター東京ワークショップ内
電話 03-3351-3188 Fax.03-3351-3189
郵便振替番号 00130-7-671967



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