(以下本文)

1998年10月9日第三種郵便物認可 (毎月3回8の日発行)
2025年2月7日発行 SSKU増刊通巻 第8094号

SSKU
特定非営利活動法人 視覚障害者の就労を支援する会  情報誌

タートル 第65号

表紙の人

大岡 義博 製薬会社勤務。
写真は趣味のランニングで2024年10月、佐賀国体で金メダルをもらった
右側、大岡、左側、伴走者とともにガッツポーズをしている。

目次

巻頭言…………………………………………………… 2 
理事長 重田 雅敏

2023年9月交流会講演「視覚障害者の就労について思うこと ~これまでを振り返って~」………………………………………… 4
視覚障害者の就労を支援する会
運営委員  吉田重子(よしだ しげこ)氏

2023年11月交流会講演「歩行訓練とはどんな訓練なのか」………………… 13
東京視覚障害者生活支援センター
機能訓練課長 中村 亮(なかむら りょう)氏

お知らせコーナー……………………………………… 26

奥付……………………………………………………… 30

巻頭言

理事長 重田雅敏

今回65号の内容について思うこと

北海道在住の吉田重子先生は、長く札幌などの盲学校で勤務され、現在は大学の非常勤講師をされています。約20年前に初めてお会いした時は、盲学校の先生方のための点字指導の講師をされていました。

その後全国視覚障害教師の会の研修大会でお会いし、盲教育に大変見識のある方だと分かりました。視覚障害者の就労についても長年にわたり研究を重ねられて、長文の研究報告をまとめておられます。この研究に当たっては、当時タートル副理事長だった工藤正一氏の助言も受けていたそうです。今回のお話では、その内容が中心となり、視覚障害者の就労問題の変遷と、大元にある課題について話していただきました。

また、先天性視覚障害者の立場から、多数派の中途視覚障害者と比べて理解されていない面が多いと、具体的な事例を挙げて、理解不足の現状や、視覚障害者として一律に扱われる弊害について紹介されています。

さらに、現地北海道で就労相談をされてきた経験から、地域的な特徴として対象者が広い地域にまたがっていること、相談や訓練を受ける場所やチャンスがほとんどないことなどを指摘されていました。

また、寒さや雪など視覚障害者の移動を妨げている問題や、東京などの大都市圏と比べて就職先が少ないという厳しい現状があり、視覚障害の方から就労相談を受けてもなかなか良い解決策が見つけられないことが残念ですと話されていました。北海道地区の運営委員である吉田重子先生のお話は、タートルが抱える地方における問題点について、全国共通の課題があるように感じました。

中村亮先生は、私が東京都視覚障害者生活支援センターに1年間入所していた時の歩行訓練の先生でした。現在は東京視覚障害者生活支援センターとして民営化し、宿泊しながら訓練を受けることはできなくなりましたが、約20年前の当時は、宿泊訓練者を十数名受け入れて、歩行・点字・パソコン操作・日常生活について訓練や指導を実施していました。殆どの訓練が一対一で行われていた上、毎時間とても優しく丁寧に接していただきました。そのため先生方と利用者が身近にかかわる場面も多く、楽しくてアットホームな雰囲気がいつでもありました。

宿泊する夜も消灯の点呼時間間際まで、宿直の先生がロビーで利用者たちに囲まれながら、みんなで話したり、一緒に歌ったりする場面もよく見られました。突然、視覚障害者となって生きる気力さえ失った人も、視力が低下して職場でできる仕事が一つまた一つとなくなっていき、孤立して何かと心細く肩身の狭い思いをしていた人も、いつの間にか元気を取り戻していきました。

中村亮先生の歩行訓練は、筋道の通った説明が特徴で大変分かり易く、新しい課題に入るときも、路上でステップアップする場面でも、とても説明に説得力がありました。質問すると理路整然とした答えが返ってくるので、「なるほど」といつも納得しながら訓練を受けていました。

今回のお話では、歩行訓練の意義や必要性、歩行訓練全体の体系やステップアップの順序などについて、さらに理論的に整理されており、とても明快で誰にでも分かり易く教えていただきました。

歩行能力を身に着けることは、視覚障害者が就職するうえでも、働き続けるうえでも、大変重要な要素となっています。受け入れ先の管理職の方も、職場の方々も、視覚障害者が単独で安全に通勤できることを、やはり採用の前提条件としています。

歩行訓練とは何か、歩行訓練の考え方や具体的な訓練の内容について、ぜひこの機会にご一読いただき、知っていただきたいと願っております。

2023年9月交流会講演
「視覚障害者の就労について思うこと ~これまでを振り返って~」

視覚障害者の就労を支援する会運営委員  吉田重子(よしだ しげこ)氏

ただいま過分なご紹介をいただき困っている吉田重子です。よろしくお願いします。私は「重たい子ども」と書いて「重子(しげこ)」と読みます。「名は体を表すか」という点は、皆さまにご想像いただきたいと思います。オンライン講演では、聞いてくれている皆さんが仮に笑っていても、そして眠っていても、こちらには全くわかりません。
一方、今回はハイブリッドで皆さん久しぶりにお会いになっているようですね。四ツ谷にいる人たちは空気を共有されているので、私としては「恐ろしや」という感じですが、少しの間めげずに話しますので、よろしくお願いします。
まずは、お送りしたプリントに従うつもりですが、初めに申し上げたいことがあります。幼少期から盲学校で学んだ私にとって、向上心の源は何かということです。誤解をおそれず言えば、あんま・鍼・灸という、あはき業以外の仕事をするため大学に行くことが、小さい時から自分を先へ進ませる原動力でした。恐らく周囲の大半の視覚障害者も、私と同じ信条ではないかと考えています。
私の学生時代は60年代~70年代のため古い話のようですが、回想にとどまるものではないと思います。東京や大阪など大都市周辺では、視覚障害者の職種が少しずつ増えた感じでしたが、私の住む北海道では50年近くの時を経ても、視覚障害者を取り巻く社会状況や就労環境はほぼ変わっておりません。そういう前提のもとで今日は話をしますが、盲学校の教師時代には「新たな仕事に挑戦したい」というエネルギーのある生徒を応援したい思いを、常に心に持っていました。しかし、一方で自分自身の力の無さを痛感することの連続でした。
では、「これまでの歩み」として少し自己紹介的な話をします。私は先天性の全盲のため、本当に生まれた時から見えませんでした。小学校は地元の札幌ですが、中学生になる12歳で東京の盲学校に入学しました。これを聞くと大抵の人は驚き「相当高い志(こころざし)があった」と想像されたりしますが、私に大きな志などなくて、自分で言うのも変ですが、私の母は「障害児を持つ親の鏡」のような、すごい人だったと改めて思います。
しかし、教員や担任の立場で言うと、学校を先取りして積極的に情報を集めたり、様々なことを調べていたので、先生方は非常にやりにくかったと思います。なぜなら全国すべての盲学校高等部に普通科が設置され始めたのは1973年で、私はまさに直前世代でした。当時、まだ障害者の学校状況等に関する情報が本当にない時代、ましてやインターネットもなかった時代に、私の母は「東京・大阪・京都島の盲学校しか普通科を設置していない」といった教育情報を集めてきました。そして、「中学の早いうちから東京の学校に入学した方が良い」という結論を出して私を送り出したのです。
学校の先生たちも応援してくださり、話が進んで私は東京の学校に入学となりました。「とにかく大学に行きたい」という思いがあって、中学のお受験をしたわけです。私が入学したのは当時の東京教育大学の附属校で、現在の筑波大学附属視覚特別支援学校です。この学校はある意味「自立している」ことが前提で、校風は実に自由でした。自由でしたが、何かを必要と感じる時には自ら声をあげ、支援を求めたり情報を集めなければ全く過ごしていけない場所でした。
そして、実際には校風に馴染めず帰郷した仲間もいました。私の成績もあまり振るわず、上位ではありませんでしたが、多くの人たちに支えられ中・高6年間を踏みとどまることができました。親戚が東京にいたことも大きな支えでした。私には学生生活の楽しい思い出はありますが、実は日頃から母校を好ましいと思えませんでした。自主性という部分は良いのですが、なぜか冷たい雰囲気で「必要があれば、自分から言いなさい」というスタンスでした。自らのし上がらなければ、どうにもならない感じの学校でした。
ただ、年を経るにつれて「私はあの学校に育てられた」と感じることが多くなりました。あの6年間がなければ、大学生活や長く続いた教師生活、そして勤め上げるのは難しかったと思います。外に目を向けた活動に積極的に取り組むことも、この学校で教えられたのだと思います。
先ほど重田理事長の挨拶で「地方と東京で感覚の違いもある」という話がありましたが、私はこの歳になって「附属盲の精神で育てられた」とつくづく感じ、同級生にその話をしました。でも、東京出身の人たちには意味がわからないようでした。意味がわからないというより「吉田さんは最近そんなことばかり言うけど、あの学校はそんなに影響があったの」という感じでした。これが地方との差なのでしょうか。そんな学生生活を過ごした後は、点字受験を認める大学が非常に珍しかったので、自分で一つずつ開拓しないといけない状況でした。交渉の末に北海道の北星学園大学を受験し、幸いにも入学許可を貰えました。
12歳で東京に行った時は「早く家に帰りたい」と思いましたが、高校3年生にもなるとずっと東京にいたい気持ちもありました。しかし、いろいろな大学を自由に受けられるほど成績が良くなかったので、「どこかに絞りなさい」と言われ札幌に戻りました。札幌の大学生活ではとにかく各研究室の扉を叩き、配付される資料やレポート、試験に関して先生一人ひとりに状況を説明し交渉を始めましたが、大学時代からこの連続となりました。
 他学生は自分のゼミや関係する先生としか話をしませんでしたが、私はほとんどの先生の研究室に行って話をしました。これも附属で得た力ですが、こういう経験は決して盲学校では味わえず、50名とか100名の講義は私にとって非常に重要な経験となりました。
現在、視覚障害の大学生には、大学側のバリアフリー委員会という部署が教材をテキストで配付したり、講義内容によっては隣で図解やグラフを説明してくれるサービスもあると聞いて、私は非常に驚きました。羨ましいと思う反面、あまり優遇されると、就職した時にギャップが大きすぎて大丈夫かなという気もします。
大学生活から少しブランクを経たあと、私は当時の札幌盲学校に採用されました。先ほど「3つの盲学校を経験」と紹介いただきましたが、北海道の人には大変申し訳ないことに、私は札幌周辺でしか勤務したことがなく、遠くの学校に転勤することはありませんでした。はじめに札幌盲学校に着任し、中学部に配属されました。本来、持っていたのは社会科免許でしたが、担当の時間割には「英語」「国語」という免許外の教科名が並んでいたので、私はとても驚きました。
その後、音楽の担当や小学部への所属移動といった様々なことがありました。私が盲学校に就職した頃は、各教科免許の有無に関しては今ほど厳しくない時代でした。現在はよほどの事情がない限り、免許外教科を持たせることは絶対にありませんが、当時はこんな状況でした。今以上に、全国的に少数だった全盲の普通教科教師に対し、お手並み拝見というのか、何ができるか積極的にやらせてみようという感じだったと思います。
そして、数年が経った頃、私が今でも尊敬する先輩の先生から「教師を続けたいのなら、これから社会科の免許一本で仕事を続けるのは難しくなりますよ」と言われました。そして、「免許をもう一教科取った方が良い」という助言のもと、通信教育で他の教科の免許を取得することになりました。
実際、その後は保有免許と担当教科の関係は次第に厳しくなり、私の担当は本当に2本の免許の2教科授業となりました。最初はいろいろ担当させてもらえても、免許制度が厳しくなると、免許1本では担当させるものが無い状況になりそうでした。しかし、2本目の免許を取得したことで、私は何とか頑張ることができました。よく言えば二刀流ですが、有名な大谷さんの靴の先にも及ばない状態です。毎年、教務担当者から言われるまま社会科ともう一つの教科を担当する感じになりました。
盲学校も含めた特別支援学校では、一般の先生も幼稚部、小学部、中学部、高等部などの各学部で勤務します。免許教科だけではなくて、かなり振り幅の大きい様々な仕事が回ってきますが、先生たちはそれで力をつけていくと思います。そういう中、障害を持ちながらも引き受けられる可能性のあるものを増やし、適応することに私は必死の日々を送りました。特に最初の10年、20年は「とにかく適応していく」という感じでした。音声ガイド使用で視覚障害者のパソコン操作が可能となったのは、90年代に入ってからですから、10年以上もの長い間、私はどんな形で教師としての実務をしていたのでしょうか。
今思えば、わずかな情報量で生徒たちに向かっていたので、皆さんには「本当にお粗末で申し訳なかった」と思います。ここで言うのも何ですが、申し訳なかったと感じています。それでも、とにかく周囲の人たちを巻き込んで切り抜けてきました。ボランティアや友人、家族も動員し、教科指導書や様々な資料の点訳・音訳を依頼しました。普段忙しい私の父親までが「仕事の合間に点字を打つか」と言ったほどでした。
実際、90年代に入った頃からパソコンを使用して教材を集められるようになり、それが私を今日まで導いてくれました。特に、高等盲学校に異動して、高等学校・社会科の「現代社会」や「政治・経済」を担当するにあたり、最新ニュースや新聞記事の読み比べといった情報検索が必要で、それがないと教員として全く話にならない状況でした。そういう意味で、パソコンである程度のことが可能になったのは一つの救いでした。そんな教師生活を、行政が定めた賞味期限まで何とか続けました。以上が「これまでの歩み」という話です。
次に2番目ですが、少し順番を入れ替え「視覚支援学校の功績と罪」について話をします。「盲学校」と言ったり、「視覚支援学校」と言ったりすると紛らわしいので、盲学校で統一してみます。「盲学校の功績と罪」という恐れ多い見出しですが、多くの方は盲学校に足を踏み入れたことがなく、「特殊な社会」と思われるのではないでしょうか。後ほど「職場としての盲学校」という話もしますが、確かに特殊な社会と言われて仕方のない部分も数多くあると思います。
まず「功績」という部分を考えると、最近は国連条約との絡みもあり、「障害のない子もある子も一緒に」といったインクルーシブ教育の考え方が出てきました。全国の各盲学校が夏休みなどを利用し、サマースクールといった名前でイベントを催し、いろいろな体験学習をしています。普段は一般学校で学ぶ視覚障害児にも、イベントに参加してもらって一緒に学習します。すると、終了後の様々な感想の中には「初めて自分も実験に参加できました」「初めて自分でマッチを使って火をつける経験をしました」というものがあったのです。
どういうことかと言うと、障害児の場合は「危ないから」という理由で、一般校では最初から何もさせてもらえないケースがあるのです。その点では、盲学校は丁寧にという感じでしょうか。人数も少ないため個人の状況に合わせ、体験を通じて体得できるような手助けをしています。これが盲学校のやり方です。一人できるようになるかは別ですが、少なくともそういった体験をさせています。
関連した話をすると、盲学校ではロービジョンの生徒に、ルーペや拡大読書器等の使い方を、時間をかけて学習させます。また、全盲の生徒には地図やグラフの読み取り方も体系的にしっかり教えます。これが盲学校の持つ重要な専門性になると思います。理想を言えば、一般の学校でもこうした指導内容が一人ひとりの生徒に必要と認知され、生徒が力をつけたら良いと最終的に考えます。ここまで、盲学校の果たす功績や役割を紹介しました。
では、次に「罪」という話ですが、罪というよりも「これが現状」という話です。以前、私が生徒だった時代はクラスメートが10人以上在籍し、全盲も弱視もかなり混ざり合って、遊んだり勉強したり競争し合っていました。しかし、現在は生徒数が大きく減って、一学級が3人以下の場合も少なくない状況です。ある時、私がマンツーマン指導していた生徒から「僕はクラスの人と話すより、先生たちと話をしている方が楽しい」「何だか話が合う」と言われました。でも、話が合うのではなくて、教師は大人だから話を合わせているだけなのです。高校生なのにそれに気づかないのかと思い、「大抵の高校生は、先生なんて授業中に話をするだけ。何か教えてほしい時以外は近づかないし、お喋りなどしない」と話しました。そして「高校生同士で考えたり行動したりするんだよ」と言ったのです。
彼の様子を見ると、「どこまでわかったかな」という感じで、卒業しても周囲の同年代の人とは現在も馴染めないようです。しかし、これは彼個人の特殊な感覚が原因と思えないし、ある意味で盲学校を卒業した場合の典型的な例だと思います。盲学校の生徒の少人数化は何年も前から言われており、こういう現象が起きてしまうのです。仕方がないと言えばそれまでですが、社会人になってからもコミュニケーションの部分で問題を抱えてしまいます。
現在はオンラインが発達していますから、授業だけでも全国の同学年クラスをつないで行い、各地区の盲学校で連携を取れば、授業中の発表を通じて他の生徒が考えていることを、理解できると思います。また、オンラインをつなぎ各学校の担当教員が傍らで見守ることで、必要な時のみサポートができたらと考えます。ただ、隣に生身の友達がいないため、「休み時間」の大切な教育的意味は改善されませんが、少しは違うのではないでしょうか。盲学校の環境を改善するのは難しいですが、皆さんにも知ってほしいと思い話しました。
次に、「職場としての盲学校」を考えてみます。どう捉えるかを話すため、私が退職時に同窓会報に掲載した原稿を、昨夜探し出したので紹介したいと思います。若干、書き換えている箇所があるかもしれません。タイトルは「職場としての盲学校を振り返りながら」で、以下がその中身です。

「いよいよ、私にも順番が回ってきました。定年退職。仕事を続けている限り、これだけは順番をたがえず、実に平等にやってくるのでした。働く場としての盲学校を考えてみれば、同窓生の皆さんの多くが働いている職場の環境に比べて、はるかに過ごしやすいものだと考えます。というのも、皆さんの場合、視覚障害のために、職場内で移動中に上司や同僚等の身体に接触しそうになったこともあるでしょう。いつも無い筈の場所に置いてあるモノにつまずいて、ひっくり返したこともあるかもしれません。用事のある同僚がどこにいるかわからず、他の同僚に所在を確かめなければならないのに、「皆忙しそうで困った」などの経験はありませんか。
そんな日常の数々のトラブルに対して、同僚たちから奇異な目を向けられたり、大げさなまでに驚きの声をあげられたりと様々な反応があるでしょう。皆さんは、そんな中でいつもかなりの緊張を伴って仕事をしていることと想像できます。
一方、盲学校はどうでしょう。廊下で立ち話をしていたり廊下を走ったりする職員・先生がいれば、「ここは盲学校ですよ」と注意されます。行事の準備等で、いつもと違う場所に何かを置く場合には、全校放送等でお知らせしなければ、盲学校職員としての資質が問われます。それが盲学校です。
そのような環境に長時間 身を置いてきた私が、これから新たな世界を視野に入れて行動しなければなりません。改めて同窓生の皆さんから教わることが多いように思います。同窓生の皆さん、時には面白くないことがあっても、できるだけ面白く生きていきましょう。我が節目の年にあたって、これが私から皆さんへのエールです」

普通は退職の挨拶ですから、こういう場合は学校の思い出や、「皆さんと何々しましたね」と書けば良いのでしょうが、私はどうしてもこれを書きたいと思いました。なぜ、この拙文を引っ張り出したかというと、文章を読んだ同窓生の中に「涙が出た」というリアクションをくれた人が数名いたからです。改めて職場としての盲学校を考えた時に、訴えたいものがあって書きましたが、そういう反応を得てさらに考えさせられたのです。
確かにパソコンなど職務遂行のための環境は、一般企業と比較すると当然ながら盲学校はすごく整っています。そして日常の移動時でも、同僚との関わりによるトラブルは、ほぼありません。この「騒がれたりする」ことがないのは、案外大きなことではないでしょうか。ちょっと変な例ですが、全盲の男性職員が女性職員にうっかり接触しそうになっても、むやみに「セクハラ」と騒がない空気が盲学校にはあります。なぜなら「やむを得ない」という理解が共通認識にあるからです。
私は、この「移動」に関する緊張がとても大きいと思います。でも、私たち盲学校教師は、自分たちが他と違う特殊な職場環境にいることに無自覚ではないでしょうか。特殊な環境にいる事実を、無自覚なままでなく常に意識する必要があると思います。なぜなら、私たちは「盲学校」という一般社会と異なる環境から、生徒を職業人として一般社会や一般企業に送り出すからで、送り出す側はそれを意識しなければいけないと思います。これは、あはきも含めどんな仕事も同じであって、移動面での大変さは変わらないと思います。
盲学校を退職後、短い時間ですが非常勤講師として大学や専門学校に通っています。非常勤講師は担当授業を全うすることだけが求められ、出勤簿や出席簿など様々な事務処理の書類は、職員の皆さんが親切に対応してくれます。例えば、ロッカーの位置などにもかなり気を遣ってくれますが、常勤で働くとなるとクリアしないといけない点も多く、話を聞いている皆さんの抱える様々な課題もきっと起きてくると思います。
ところで、私は「職場としての盲学校で学んだ点が二つある」という点も、皆さんに伝えなければなりません。職場としての盲学校というより、長い間勤めていたからこそ得られた見地でしょうか。そして、これは私の懺悔にもなります。
一点目は、「ロービジョン者や中途視覚障害の人たちを理解しようとする姿勢」に関して考えが及ぶようになったことです。先天性の全盲の私が、盲学校で一緒だったロービジョンや弱視の生徒は、もちろん友達であり、先ほど話したように一緒に遊んだり勉強して仲良くしている人でした。しかし、一方では意地悪な友人でもありました。私は典型的な鈍くさい全盲の子だったので、モノを動かされたりからかわれたりしました。それで、「見えているだけで偉そうにしている」と感じたことも少なくなかったのです。ケンカにならなかったし、お互い口に出しませんでしたが、私はそういう気持ちを持っていました。また、全盲の子はお菓子等の貢ぎ物を差し出し、買い物や遊びに連れて行ってもらいました。これは盲学校で今も続く関係性ではないかと思います。
当時感じていたことを正直に言うと、中途視覚障害の人たちは少しでも見えていた時期があるので、それだけでも羨ましいと思いました。そう捉えていた私ですが、盲学校で様々な事情を抱えるロービジョン者や、中途の視覚障害の生徒に数多く出会い、その人たちから多くを学ぶことになりました。自分の障害を考えれば、「ロービジョン」「全盲」「先天性」「中途障害」と視覚障害の大変さを比較しても意味はありません。個々の違いを知って互いを受けとめ、互いに持つ力を出し合う必要性を知らされたのです。これが一つ目です。
二つ目は、「あはき業の素晴らしさ」です。とはいえ、あはき業以外の仕事をすることが私の原動力であることに変わりはないし他の職業を希望する人たちも応援したい気持ちに何ら変わりはありません。しかし、「あんま、鍼、灸」という仕事は、職業の一分野として大変素晴らしいものと認め、応援活動をすべきだと知りました。身体の痛みやその他苦痛を和らげる大事な仕事であると知ったからです。これが、高等盲学校に勤めたことで、学べたことだと思っています。この「見え方や見える具合による違い」と「あはき業に対する考え方」は、懺悔しなければならないと思います。
次は、「視覚障害者の就労について思うこと」です。先ほど紹介いただきましたが、私は1997年に夜間の大学院で「視覚障害者の就労」をテーマに修士論文を書きました。公務員、民間企業、技術職や事務職、電話交換手など、いわゆる「あはき業」以外の職種に就く8名の視覚障害者から聞き取り調査を行い、論文に加えました。
インタビューの部分では各自が職に就くまでの経緯を伺いましたが、私が重視したのは「現在、達成感を持って働いているか」という点です。達成感というのは意外と難しくて、感じ方による部分もあると思います。なぜそれを聞いたかというと、当時は個人情報に関し気遣いの少ない時代だったからです。つまり当時は「全盲の○○さん△△社に就職」という記事が、新聞に名前入りで大きく掲載されました。珍しいケースだからだとは思いますが、その人たちは、それぞれ採用後「職場の1員として順調に働いておられるか」という点を、私は知りたかったのです。
「○○さんが△△社に就職」と聞くと、最初の頃は「華々しい」と思いましたが、同時に「あまりすることがない」という声も聞いていました。そこで、「職場でどうしているか」をインタビューし、それを論文に入れたいと考えたのです。8名の該当者のうち、やむなく退職に至った2名の事例を敢えて入れ、視覚障害者が働く際の課題も洗い出しました。
この修士論文の作成にあたり、いろいろお世話になったのが、このタートルの会でした。約25年が過ぎた現在では、パソコンなどOA機器の発達により、視覚障害者の就労環境はかなり改善されたと考えます。しかし、障害の理解や人間関係、地域格差、社会そのものが持つ構造的な問題は当時とほぼ変わらないし、そう感じることも数多く存在しています。
例えば、私が就労に関し提起したことが一つあります。何かというと、日本では専門性というよりも、人を評価する時に「何でもある程度できること」を重視し、そのような人材を便利に使う傾向があることです。先ほど、盲学校でも様々な経験をさせ、一般の先生も多くの部署を回る話をしました。広く経験できる良さがある一方で、何でもこなせる人の方が高く評価されがちなのです。
つまり、よほどのスペシャリストや専門分野でない限り、ある程度は何でもこなすことが大事で、「車も運転できれば便利」といった評価や価値観が徹底していると書きましたが、これは現在も変わらないと思います。「できる部分を皆が出しあう」という発想は資本主義社会では難しいと思いますが、そういう体質を特に日本で強く感じました。
視覚障害者の就労問題はずっと頭にありましたが、修士論文を書いただけで何もできていません。レジュメの「遠方の盲学校から挑戦することのハードル」や、「いわゆる三療業(あはき業)以外の職に就くことへのハードル」は、その難しさもあり、何もできていないという反省ばかりを感じています。
私は長いこと盲学校にいましたが、進路指導部の担当にはなりませんでした。進路指導部への希望は毎年出しましたが、「吉田にそういう仕事は無理だ」と思われたのか、あるいは私の胸のウチを察し「これはまずい」と思われたのでしょうか。やはり「盲学校は最終的にあはき業の従事者を育てるところ」という認識が、先生方に根強く残っています。ですから、「あはきも素晴らしい」とか、「それはよくわかっている」と言っても、先ほどから述べている原動力について認めてもらえないのだと思います。札幌が特別ではなくて、首都圏以外の盲学校ではそのように考え、まずは免許取得を推奨しているからだと思います。
私が今でも忘れられないのは、数少ない担任をした時に「ウチの子には、寝た子を起こすような話をしないでください」とお母さんからクギを刺されたことです。そして退職直前の現代でも「視覚障害者にはあん摩・マッサージという素晴らしい仕事があるのに、なぜ先生は苦労を買って出たのか」という盲学校の同僚がいたことです。新たな職業を考えたり進路指導を行うことは北海道ではまだ珍しく、特殊と考える人が少なくないと思います。北海道では産業基盤が薄いこともあり、就職先を見つけられないのが現状です。
次は「現在の活動状況と今後に向けて」という話です。私は、視覚障害者の就労への関心から、就労継続支援B型の事業所を作れないかと考えました。口にするのも苦しいのですが、経営ノウハウはないし協力者と出会うタイミングも見つからないまま時が流れました。果たしえなかった悔いを発表することもないのですが、それを考えていた話をします。
障害者の中でも特に視覚障害の場合、「どんな仕事があるのか」と施設関係者でさえ首をひねってしまいがちです。特に重度視覚障害の全盲は、事業所から「何もないね」と言われてしまいます。しかし、北海道でも全盲の人たちが少しずつ様々な事業所で働き始めるようになりました。ただ、最近でも「自分が思った仕事は与えられない」という悩みを聞かされています。もともと「あはき以外の仕事を」と言っていましたが、免許を取るかどうかだけでなくて、就労に関する様々なレベルの悩みが集まって来ています。
このような状況下、退職後の昨年11月から「視覚障害者 仕事の困りごと情報交換会」を始めました。仮称ですが月イチで定例開催し9月に9回目を迎えました。就労問題が進んでいない北海道で、特に札幌周辺での試みです。なかなかハイブリットにできず、オンラインと対面の集いを1か月おきに実施しています。もちろん札幌だけでなく、遠方からも集まってもらっています。ハローワークでも役所でもないので、仕事を見つかるわけではないですが、職場で困っていることや、求職と休職、転職に際しての困りごとに一人ひとりが事例を出し合っています。それを受けて誰かが工夫体験を話したり、具体的資料やその他の情報を出し、取り組みを進めています。
メンバーには盲学校の卒業生もいるし、中途視覚障害者もいます。支援者や家族の方などの参加も歓迎しています。垣根を越え多くの人が集まれたら良いし、常連になりつつある人、初参加の人もいてメンバーは固定化されていません。そんな状況ですが、何かを形作れるのではないかと思います。最近は、話されたことや受け取った情報から得られた成果も、次の月に出し合っています。そういう小さな成果を積み上げればいいし、今後も同様の方向づけをしたいと思います。ハローワークに対する要望等も少しずつ届けて繋がっています。
この会についての願いを語るのなら、事業所関係の方々も巻き込めたら良いと考えます。先のことはわかりませんが、少しずつ積み上げられたらと思います。そして、一人でも多くの人が働きやすい状況になれば良いと思います。今までの札幌にこういう団体がなかったので、「仕事に関わる」という共通項の場を作りました。あとは集まる皆さんで次の一歩を踏み出せたら良いと願っています。
最後に、私のストレス解消法を手短に紹介します。私自身は苦労が少ないと思いますが、職場で上手くいかない時どうしたかというと、時間が許す限りよく外出しました。何にでも準備時間のかかる私ですから、余裕があったわけではないですが、年代の近い人たちの集会や様々なイベントに行きました。海外青年協力隊に行った若い人たちの経験談を聞く会があるといえば、そこに参加しました。他にも様々なサークルがあり、私の役割はありませんでしたが、そこにも入り込みました。職場ではないため「これができない」とか「やらない」と言っても、誰かが苦々しく感じることはなかったので、図々しく仲間に入っていきました。とにかく職場と違う居場所を見つけようと思っていろいろ参加しました。
今はこの年齢になって同様な時間の使い方はできませんが、当時は日付が変わる頃まで皆で話したり、様々なことをしていました。職場と関係のない世界を知ることで、明日へのエネルギーを得た部分があります。今のようにネットで情報が得られる時代ではなかったので、ストレス解消目的もありましたが、「社会科の情報収集」という大義名分もしっかり持っていました。学校本体とは別な世界と言いつつ、自分の中では意識しながら情報収集やストレス解消をしていたのです。
話を聞いてくれた皆さんにも各々抱えている問題があり、なかなか解消されないこともあると思います。前向きに取り組んでいても、時に「逃げるもよし」という場合もあります。他に一時避難や一時休息できる場所を確保しながら、これからも歩んでほしいと思います。是非、そういう形で一緒に歩んでいきましょう。以上で私の話を終わりにします。長い時間、ご清聴ありがとうございました。

2023年11月交流会講演
「歩行訓練とはどんな訓練なのか」

東京視覚障害者生活支援センター 機能訓練課長 中村 亮(なかむら りょう)氏

皆さん、こんにちは。今、ご紹介いただいた東京視覚障害者生活支援センターの中村 亮です。私は日本ライトハウスで歩行訓練士の資格を取り、そこからは歩行訓練が中心のため多くの方を担当したと思います。しかし、キャリアが長く大勢の訓練をすれば良いわけではないので、今日は皆さんにどう理解いただくかを考えながら話をしたいと思います。皆さんには事前案内が出ていると思いますが、本日の講演内容を大まかにお知らせします。
まず、最初に「勘が悪いと歩けないか」ということです。歩行訓練を考える上で、「歩行とはこうです」と一方的に喋っても理解しづらいため、私が聞いた「勘が悪いと歩けないか」「歩行訓練とは勘を身につけるものか」という面から話してみたいと思います。
さらに、それに関連した「歩行で必要な能力とは何か」という話に入ります。ここからが「歩行訓練」の本丸で一番のメインです。その話が終わったら、その考えに基づき「具体的にどんな訓練をするのか」という訓練内容です。ですから「歩行能力とは何か」「歩行訓練の具体的な内容」が一番メインの話になると思います。
そのあとは「訪問型と施設型」という話です。理念自体は同じですが、訪問タイプと施設タイプには多少違う点があるので、その話をします。ここまでが歩行訓練に関する話です。あとは、実際に歩く人によくあるケースで、「こういう状況になっていた」という事例です。「一人で歩いていたら、こんな危ないことをしていた」「こういう間違いやミス、つまずきをした」など、多くの人から寄せられた声を、歩行能力と関連づけて考えたいと思います。
そして、道具としての「白杖」です。皆さんも白杖をお持ちだと思いますが、白杖を選ぶ基準として「白杖にはどんなものがあり、どういう特徴があって、何を選ぶのが望ましいか」という説明をしたいと思います。
最後には「訓練を受けようか」「本当に自分は受けて大丈夫か」と迷っている人に対し、「このように考えたら如何ですか」という話を伝えたいと思います。また、事前質問をしてくれた方にお答えするという大まかな流れで、講演を始めたいと思います。
では、最初に「勘が悪いと歩けないか」という話です。なぜ、この話から始めるかというと、コロナ前に地方のある事業所から「歩行訓練士の現任研修をしてほしい」という依頼がありました。現任者が対象なのでもう少し専門的な話でしたが、その事業所の訪問は初めてのため一番偉い人も見に来ました。
その方は視覚障害当事者で高齢の方でしたが、講演後に私のところに来て、自分たちの頃は歩行訓練云々ではなく、「オマエは勘が悪いから歩けない」「勘が良いから歩ける」というものだったと。私自身は「それは勘なのかな」「勘ではちょっと...」と思いましたが、そう言われてみると「当たらずといえども遠からず」という部分もあるかと思いました。これは「勘とは何か」ということや、「勘と歩行訓練との関係」を考える上で面白いエビソードだと思ったので、この話からスタートします。
ところで、皆さんの中には「勘が良いから」「勘が悪いから」と言われた人はいますか。もしかしたら、自分で言ってきた人もいるかもしれません。「勘の良い・悪い」と全く関係ないわけではありませんが、今日は「普通の人でもできる」という話をしたいのです。実際、訓練を受ければ「勘が悪い」と言われた人も歩けるようになるため、「歩行訓練は勘を身につけていくもの」という考え方もできるのです。
しかし、一方では「勘ではなく、勘に代わる何かを身につけるもの」と考えることもできます。一体どういうものでしょうか。それを考えると「見えないとどうして歩けないか」という話になるので、「見えるとなぜ歩けるか」という点をまず考えたいと思います。通常、晴眼と言われる人が歩く時、視覚からの情報は80~90%と言われ、人はその情報を瞬時に処理します。モノにぶつかってはいけないと瞬時に判断し、「どこで曲がれば良いか」「どう行けば最短か」と瞬間的に判断しますが、視覚が使えないと情報が入らないため「どう処理をすれば良いか」という判断のもとが入って来ません。一方、「訓練を受けなくても歩ける人がいる」という話もあります。一般的に、勘とは「直感的にものごとを判断する力」で、経験や観察力で身につけ、「勘が良い」と言われる人は瞬時にその能力を発揮しています。
では、歩行訓練とは勘を身につけるものでしょうか。それとも勘以外を身につけるものでしょうか。アメリカでは歩行訓練を「オリエンテーション&モビリティ」と言っています。イメージ的には移動に特化する感じですが、オリエンテーションとは定位で、モビリティは移動ですから「定位と移動」という話です。移動とは当然ながら動くイメージで、可動性や移動できるという意味です。一方、定位は「定める」に「位置の位」と書き、環境内の自分のいる場所と目的との位置関係を、重要な事柄との関係で認知することです。現在、自分がどこにいるかを周りの環境によって認識することで、これも重要と言われています。この「定位と移動」が、歩行訓練の中で非常に大事な概念になってきます。
これはアメリカで始まった概念ですが、日本の環境に合わせて作りあげたものを、私たちは歩行訓練士の勉強で学びました。実際、私が教わった先生の話では、アメリカの方が歩きやすい環境でかなりラクということでした。その先生が勉強のためアメリカに行った時に「日本の環境をどう歩けば良いか」と思い、様々な環境を写真に撮って相手に尋ねたところ、「インポッシブル(それは無理)」と言われたそうです。日本ではそのぐらいモノがゴチャゴチャしていて難しいようですが、それを上手く日本の環境に合わせるように歩行訓練は考えられていると思います。
では日本において、私たちはどう教わってきたかをお話しします。「歩行訓練では実際にこんなことをしている」と具体的に話すこともできますが、それでは理念が明確にならないので、歩行訓練とはどういうものかという話をしたいと思います。歩行訓練とは、「5つの基礎的能力と歩行能力を駆使し、4つの条件のもと歩行できるようにすること」と言われています。では、「基礎的能力・歩行能力」とは具体的にどういうものでしょうか。
まず、5つの歩行能力から説明します。まず1つ目は「技術」、2つ目は「地図的操作」、3つ目は「環境認知」、4つ目は「身体行動」、5つ目は「情報の入手」で、この5つが歩行に必要な能力です。もちろん、具体的に暗記する必要はなく、こういうものだと理解できれば大丈夫です。
一つずつ説明します。まずは「技術」です。今日は歩行訓練に特化した話なので、「白杖の技術」と考えてもらえれば良いです。大きく捉えると、この技術には「盲導犬の技術」も含まれます。今回は白杖技術に限りますが「白杖で必要な情報を入手すること」と「安全を確保していくこと」です。先ほどの「定位と移動」という話の移動面に大変関わる能力です。
2つ目の「地図的操作」も非常に大事です。言葉から何となくわかるかもしれませんが、「スタートからゴールまでどんなルートで歩くか」を、しっかり頭の中に入れる必要があります。さらに、行動計画と言って、そのルートをどう歩いていくかということです。例えば右側を歩くのか、それとも左側を歩くのか、あるいは中央を歩いて良いのか。誘導ブロックがあるのなら、誘導ブロックを使うのかというように、歩く際の行動計画を立てることを「地図的操作」と言います。これは、先ほど話した「定位と移動」の「定位」に関わります。定位とは、自分のいる位置を環境内の他の事物との関係で判断することです。この「地図的操作」は「定位」と大変関わりの深い能力と言えるのです。
そして、3つ目の「環境認知」です。これは、手がかりや目印などの情報を分析し、自分がルート上のどこにいるか知ることです。「今、ここを歩いている」とか、「周りの環境から自分の位置はこの辺りで、この方向を向いている」という認知、「道路のどの位置を歩いているか」など定めることを「環境認知」と言います。こちらも、先ほどの定位概念に非常に密接に関わります。
4つ目の「身体行動」はわかりやすいと思います。今、話した「地図的操作」「環境認知」に沿って、必要に応じ白杖の技術を駆使し自分の身体を動かすこと、つまり身体の動きです。手、腕、足など身体全体の動きや向きですから、先ほど話した「定位と移動」の「移動」に大きく関わるものと言えます。
最後に5つ目の「情報の入手」については、ここでは大きく触れません。なぜかと言うと、歩行の前に家族や友人、スマホやパソコンから目的地までの情報を前もって集めたり、歩いている時に迷ったら周りの人を見つけて情報を入手することだからです。もちろん、これも大事な技術ですが、ここではあまり触れず「技術」「地図的操作」「環境認知」、「身体行動」を理解いただければと思います。
そうすると、歩行とは白杖を使って自分でルートを作成し、そこをどう歩くのか計画し、今自分がいる場所を認識しながら目的地まで歩くことですね。これを「歩行能力」と呼び、歩行訓練はその歩行能力を身につけるものだと理解してください。
では、歩行能力を「勘」との関係で見てみましょう。勘が良い人は「地図的操作」と「環境認知」が大変優れているのではないかといえそうです。実際に、歩行訓練を受けなくても自由に歩く人はいますが、その人たちは白杖の技術をあまり使っていないのです。最初に能力として挙げた「技術」を使わず、他の地図的操作や環境認知、身体の動かし方だけで歩けるのは、そこが突出して高いからです。なぜなら、技術を使わなくても歩けるわけですから。
ただ、本来の歩行訓練では、これらをあまねく身につけることが重要です。タンパク質や脂質等の栄養のように、全体的に身につけてもらうのが良いのです。それに対し勘の良い人、つまり歩行訓練を受けなくても歩ける人はある部分が大変突出し、技術を十分カバーしているのだと思います。そのため、実際に訓練を受けて歩けるようになった人は、当然ながら技術も身につけているため「勘が良くなった」という考え方もできるのではないかと思います。
勘の中には「地図的操作」や「環境を認識する能力」が含まれていて、これを同時に身につけるため、「勘が鋭い」と言われなくても普通の能力なら十分に歩けると考えてもらって構いません。つまり、勘の良い人からすると、他は全員勘の悪い人ですが、訓練を受ければ一人で歩ける可能性のある人が大勢多く含まれているのです。ですから「勘が悪いわけではなく普通だ」と考えてもらうのが一番良いです。そうすると「地図的操作」「環境認知」があれば「技術」は要らないと思われるかもしれません。しかし、「技術」は大変重要です。ここまでが歩行能力の話です。
では、5つの基礎的能力とどのように関連するのでしょうか。5つの基礎的能力とは、1つ目が「知識」、2つ目が「感覚や知覚」、3つ目が「運動」、4つ目が「社会性」、5つ目が「心理的課題」の5つをさします。5つめの心理的課題はとても主観的なものですから後ほど触れたいと思います。まず1つ目の「知識」は、「左はどちらか」「右はどちらか」「東西南北はどちらか」というものです。他には「環境はどんなものか」ということです。2つ目の「感覚や知覚」には、聴覚、触覚、運動感覚などが挙げられますが、こういう基礎的能力は歩くためだけでなく、普通に身につけるものです。なぜなら左右、90度、180度、身体の動かし方は歩行と無関係に皆さんが持つものだからです。
実は皆さんが持つ基礎的能力は、持っていなければ訓練の中で身につけられますが、この基礎的能力をベースに歩行能力を組み立てると考えてもらえれば良いのです。例えば野球やバスケットボール等の運動をする時に、基礎体力がないとそれを身につけるのは難しいです。走るのが苦手だったり、体力がない場合は運動するのが難しく、まずは体力から鍛えることになって、競技を学びながら体力もつけていくのです。
つまり、基礎的能力は歩行との関係云々というより、皆さんが通常持つ能力を歩行に必要なものとして組み立てると言うのでしょうか。それを集めて「歩行能力」という概念を作り、両方を同時に身につけていくものです。これが教科書にどう書いてあるかというと、基礎的能力は小中学校の段階のもので、歩行能力は高校以上のレベルで身につけるものなのです。そういう形で「基礎的能力」と「歩行能力」が考えられています。
先ほど、勘が良い人は歩行能力が高いという話をしました。それは、ベースとなる能力が高く歩行に上手く使えているということです。教わらなくても、「こうすればこの力を歩行に利用できる」というのを自然に身につけ、一人で歩いています。ですから、基礎的能力が非常に高いと言えるのです。
ただ、勘が悪くても基礎的能力を持つ人は多く、その使い方を知らないだけです。歩行には、「皆さんの持つ力をこう使えば歩けるようになる」という使い方があって、それを身につけていきます。基礎的な力さえあれば、それを歩行に必要なものに組み立て歩けるようになりますから、それが歩行訓練と考えてもらえれば良いのです。
つまり、歩行訓練とは人が持つ、あるいは持つことの可能な基礎的能力を使って、それを歩くことに必要な能力に活用することですから、上手くいかなければ基礎的能力に戻って訓練を行えば良いのです。そのため、杖を使わない訓練も歩行訓練には含まれます。例えば、地図を触るだけの訓練もあって、地図が苦手な方には考え方も含めた歩行訓練を実施しています。一般に、歩行訓練とは白杖とその応用と思いがちですが、実際はそのような概念に基づいて行われています。
「誰にでもできるか」というと、基礎的な能力が必要なため「誰にでもできる」とは言えません。高齢になれば感覚や知覚は落ちるし、高次脳機能障害等では記銘力など様々な能力が落ちて、基礎的能力や歩行能力にも影響が及んで歩くのが難しくなるケースもあります。そのため絶対にできるとは言えませんが、通常の力さえあれば歩くことは十分可能です。
そろそろ皆さんも疲れてきたと思うので、少し頭の体操をしてみます。基礎的能力や歩行能力を考えるため、こんなルートを想像してください。まずは、今自分がいる地点から直進しまっすぐに歩きます。そして、一回右折しその後左折します。つまり、右、左に曲がってゴールに着きますが、ここまで良いでしょうか。
次に、「ゴールからスタートまで戻るには、どういう順で曲がれば良いですか」と聞くと、「行きは右・左でしょう。だから帰りは左・右」と言われることがありますが、それでは逆ですよね。行きが右・左なら帰りも右・左です。ちょっと目が覚めましたか(笑)。実は、訓練でこの話をしたことがあります。行きの道順を話して、「では、帰りは」と続けたら、「そんなのは当たり前です」「説明など受けなくても歩けます」と言われました。「ちょっと待ってください」と言っても「いやいや、できますから。そんなの簡単」と言うので放っておいたら案の定迷ってしまいました。
実は、これは歩くためだけの力ではありません。右の逆が左で、左の逆が右というのは。基礎的な能力はこういう部分にも現れますが、「右・左の逆は左・右」と思った人は、基礎的能力がないので歩行訓練は無理かというとそうではないし、説明を受け「何だ」と思う人なら大丈夫です。
でも、「何だ」と思わず、「何で」と思った人は、もう少し練習をしなければいけません。そして、「何だ。そんなことか」と、「ひっかけではないか」と言う人は、まだ大丈夫です。そのままで大丈夫です。こうした訓練では勘違いがあっても、それを修正して理解できる力があれば基礎的能力は十分にあります。
ただ、この基礎的能力の中には、もう一つ非常に難しくつまずきやすい箇所があります。それは十字になっている交差点で、歩ける人は「何てことない」と思うかもしれませんが、意外とつまずく方が多いのです。ここで十字をイメージしてもらうと、道幅があるため角は4つあります。下から上へ、つまり南から北へと歩く場合に右側面を歩くと、右側に交差し曲がり角が出て来るので道を横断します。もちろん、左側を歩く場合は左に道が交差しますが、横断すること自体が非常に難しいのです。
通常、道を横断する時に、曲がり角から向こうの角へピッタリ渡ることなどありません。少し内側にズレたり交差点側に出るケースもあると思います。仮に交差点側に出てしまうと、杖は当たらないし何もぶつからないため、横断を終えたか非常にわかりにくいのです。逆に、少し内側に入ってしまうと真正面に壁が出てくるので、それが何を意味しているのか理解するのが非常に難しい場合もあります。
仮に、この交差点を横断しない時にカーテンや壁がサッと出てくる環境なら難しくないですが、交差点が少し開いていることで状況理解が大変難しくなります。さらに、先ほどの右・左の関係を加え、十字の交差点を南から北に向かい歩くとします。これがキレイな十字なら直進するだけで良いのですが、北にある部分つまり上にある部分を少し右に動かすと、少し変則的な十字路ができます。
では、この道を下から上に向かい、南から北に向かって歩くとどうですか。先ほどの右・左という概念が含まれてきます。交差点にプラスして先ほどのわかりにくい右・左の概念がまざると一層わからなくなりますが、こういうことはあるのです。もちろん、聞いている方の中には「そんなこと何でもない」と言う人がいるかもしれませんが、こういう地図的操作、そのもとになる基礎的能力はとても大事で、それを使って歩行を行うわけです。ここまで「歩行とは何をするか」という大まかな話でした。
では、ここから「具体的に何をするか」という歩行訓練の中身に入ります。先ほど技術が非常に重要という話をしました。白杖による技術なので、まずは白杖を皆さんの身体に合わせて選ぶところから始めます。「白杖を処方する」という言い方をしますが、白杖は技術上非常に大事な道具で、簡単に言うと長さは脇に入るぐらいです。そういう長さの白杖を決めるところから始まります。
白杖を決めた後、今度は「振る練習」に入ります。この辺りからまさに歩行訓練で、左右に振って歩くことになります。ちなみに、左右に振る時の大きさは、その人の一人分の幅で、その幅を振りながら歩くことが基本です。そして、その振り方を覚えたら、今度は「モノにぶつかった時どう処理をすれば良いか」という障害物を回避する練習に入ります。ここからが白杖の操作技術ですね。「走っている車はどう回避するか」「自転車はどう回避するのか」、さらに「騒音の場合どう歩けば良いか」を具体的に行います。この辺りが基礎的な技術です。
次に「歩車道区別のない道路をどう歩くか」です。歩道の区別があれば、車より一段高い場所を歩きますが、歩道のない道路は段差がないため車と同じ高さを歩くことになります。こういった道路の場合、どうやって曲がり角を見つけ、どう曲がりどう横断すれば良いかという訓練を順次受けることになります。あとは階段ですね。階段の発見や横断もこの辺りに入ってきます。ですから、この辺りは白杖技術が非常にメインとなる訓練です。
そこまで身につけば徐々に実際の現場に出ていき、住宅街や少し繁華な場所を歩くことになります。住宅街や準繁華街の技術では、歩道のある道路で交差点を発見し、どうやって横断して曲がるかという訓練に入ります。そして信号をどう判断し、どう横断すれば良いかということで、人の多い場所が対象になります。この辺りになるとスタート地点から目的地を定め、「ここからここまで歩いてください」と訓練します。「道順はこうなので、こういう計画で歩きましょう」と事前に決め、一人で目的地まで歩く訓練が始まります。
そこまで進むと、次は応用歩行です。歩道が交じる道路や歩道のない道路等、いろいろなタイプが組み合わされた目的地を定め、そこまでを歩く応用訓練に入ります。この辺までが、基礎となる力をつける訓練です。それ以外には「交通機関の利用に関する訓練」もあります。エスカレーターやエレベーターはどう使えば良いか、バスや電車の乗降等も別途行うことになります。客観的に見れば「白杖と応用訓練」と捉えることができますが、この訓練には「歩行能力」と「基礎的能力」を身につける要素が数多く含まれています。そう考えてもらえれば良いのです。
そうすると、白杖をメインに訓練しているので、先ほどのように技術を使わなくて歩ける人がいるなら、白杖訓練をせず単に勘を鍛える訓練はできないかと考え、それを理想とする人もいます。「あの歩き方が理想だ」と。白杖をそれほど使わず、障害物にもぶつからず、自由にスムーズに歩くことを理想とする人もいます。担当した人ではないですが、そういう歩き方ができないか、それを訓練と呼んでも良いのではないかと考える人もいました。
しかし、私たちはそういう特別な能力を使い、すごく勘の良い状態で歩くことを目指しているわけではありません。普通で構わない皆さんが取り組むためには、技術が大事ですから、技術を除いた訓練は通常なら実施しません。不可能ではないのでしょうが、指導する側にも「この人はどこまで勘が身についたのか」という判断はできにくいため、技術が非常に重要になります。
ここからは残っていた「4つの条件のもと」という話です。最初に定義した「5つの歩行能力と基礎的能力を駆使し、4つの条件のもと歩行できるようにする」という「4つの条件」は何でしょうか。1つ目は「安全性の確保」です。どんなことがあっても安全に歩くことが一番重要なため、「安全性の確保」がトップです。2つ目は「能率性の向上」で効率や能率良く歩くことを目指します。ただ、「効率や能率の良さ」と言うと、「危ないのではないか」と思いますが、効率や能率の良い歩き方は安全性につながります。そのため面倒な歩き方よりシンプルな歩き方が安全性は高いと言えます。
そして、3つ目は「見た目に自然な動きや容姿の獲得」です。あまり腰をかがめて歩くのではなく、正しい姿勢で歩くという話ですね。「見た目に自然な動き」という条件も加わります。4つ目は「歩行訓練の受け手にとってやりやすい方法」です。指導員が「こうしろ」「ああしろ」と言っても、受け手には大変やりにくい場合もあります。そのため指導員ではなく、受け手にとってのやりやすい方法ですが、安全に関係する場合には「やめましょう」と言います。本人にとってどんなにやりやすくても、危険な場合は修正します。
こうして考えると、歩行訓練には少し効率の悪いイメージがあります。問題なく歩ける人にとっては、白杖を振って情報を入手し、そこから情報を処理して歩かないといけません。その一方で、白杖等を使わず自由に歩ける人は瞬間的に判断します。そのため白杖を使って歩くと面倒で時間がかかると思いますが、技術を使う以上どうしても1テンポ遅れる部分が生じます。白杖で情報を入手し、その情報を判断してから歩くので面倒なイメージを持つかもしれませんが、先ほどの「通常の能力」で歩くにはこういうプログラムが必要なのです。
次に「訓練を受ければどこでも行けるか」という話です。今話した内容から言えば、ある程度の応用力はつくわけです。例えば、四谷の職能開発センターをスタートして目的地まで行く場合、道順が同じなら別の場所から目的地まで歩くのも、ほぼ同じ歩き方で構いません。応用力がつく点では、どこでも行けるようになりますが、環境というのは微妙に違います。道路の幅も違えば、曲がり角までの距離も異なります。そうすると、歩行訓練をしたからといって、道順だけ教えてもらい一回で行けるかと言うと、それはなかなか難しいです。ただ、ある程度の力がつけば、「あのパターンだ」とわかるため、比較的どこにでも行けるのです。
あとは「期間」ですね。どのくらいの期間訓練を行うのかは人により異なります。「全く歩いたことが無い」とか、「最寄り駅まで遠い」「何度もバスに乗らないといけない」「電車に乗らないといけない」という状況では、目的地まで行くのに少し時間がかかります。ただ、最初に話した歩行技術ですが、白杖を使う技術は大体10回~15回ほどで皆さん身につきます。基本的技術の「歩道の歩き方はこうです」「歩道のない歩き方はこうです」といった内容は、今はほとんど施設型ですから、通所なら数カ月という感じでしょうか。
私どもの施設の場合、一人で歩くことを目標に訓練を受ける人は初めガイドさんと一緒に歩いて来ますが、「いずれ一人で歩けるようになりたい」という感じです。一人で歩いて来るまでに3か月から4か月ほどかかります。難易度にもよりますが、半年ほどかかる人もいました。ただ、実際にウチに来る人は、ウチに来て訓練を受けてから帰宅するため、体力的にきつい状況です。ですから、一人で歩けるようになっても片道から練習をして、徐々に往復できる人がほとんどでしょうか。
次は訪問型と施設型の違いです。「訪問型」の訓練の場合、先ほどの訓練内容を皆さんの住む現地で行うことができます。そのため訓練がそのまま現地で活かせる強みがあります。それに対し「施設型」として通所や入所で行う場合は、施設の周辺での訓練のため「訪問による現地型」とは異なります。
実際に行う内容は変わりませんが、訪問型では訓練がそのまま使えます。一方で、施設型は行なった訓練を直接使うことはできませんが、良いのは施設の周囲でいろいろな環境を見つけピックアップして訓練を行うため、基礎的能力を身につけやすい点です。また、訪問型では所定の場所まで歩くため訓練を行うので、そこまで歩くことを目標にします。基礎的能力をあまり考えず、そこに行くことが目標です。「行ければ良い」という話なので応用力は身につきにくいかもしれませんが、決して身につかないわけではありません。
ここまで少し専門的な話もしましたが、復習すると歩行は基礎的能力と歩行能力を使い、4つの条件で歩くことです。歩行能力は、歩行だけに限らず人間の持つ能力で、実は基礎的能力がベースです。その能力を歩行に必要な能力に再構成すると言うのでしょうか。基礎的能力を集めて鍛えることで歩けるようになっていきます。その際、一番大事なのは「安全に歩く」ことです。この程度抑えてもらえば十分です。そのため「少し勘が悪い」「運動神経がない」と感じても、普通だと思う人は十分に歩けると思っていただいて構いません。
ここまでがメインの話ですが、ここからは「つまずきや危険な歩行」で、実際に歩く人や歩いたことのある人から聞く「こんなことをしていた」という事例についてのお話をします。中でもよく聞くのは「歩道を歩いていたのに、いつの間にか車道を歩いていた」という話で、それが大変多いのです。多くの人がそう言うので、これを先ほどの基礎的能力と歩行能力に絡めて考えていきます。まず、「歩道を歩いていたのに、いつの間にか車道を歩いていた」というのは何だか不思議な話です。なぜなら、歩道は車道より一段高いため落ちればわかる気がするからです。だから「気づくでしょう」と思いますが、「歩道とはどんなものか」を皆さんはご存じでしょうか。
歩道というのは、車よりも一段高いところをずっと歩けるわけではありません。建物側に駐車スペースがある場合、実は車道側に向かい傾斜がついています。そして曲がり角が出てくる時は、前に向かって傾斜がついています。つまり、一段高いところを単調にずっと歩くわけではなく、これがすごく大事な点です。歩道を歩いていたのに気づいたら車道になっていた場合、車の出入りのための傾斜に身体が流れてしまうことがあります。つまり、知らず知らずのうちに身体が流れているのです。「こちらに来てください」という感じですね。
そういう場所は車を駐車場に入れやすくするため、段差が非常に低くなっています。そのため「車道と歩道との境目」の判断が非常に難しく、車道に落ちても気づきにくいのです。そして、歩道を歩いていたのにいつの間にか車道を歩いていたという状況が生じます。でも、「歩道にはこういう性質がある」とわかっていれば、だいぶ違います。加えて、歩道は前に向かって下がっている場合もあります。車が出入りする場所路地や交差点の場所、つまり曲がり道のある個所です。そこを意識せずに歩いてしまうと、「いつ横断したか」「それとも横断していないのか」という区別がつきません。しかし、歩道のある道路の曲がり角では、いったん歩道を降りることになります。そして、もう一度歩道に乗った時に初めて横断が終了するのですが、意識しないといつ降りたのか気づかないし、いつ乗ったのかも気づきません。そうすると車道側に偶然出ても気づかないのです。そういう理由で「いつの間にか車道を歩いていた」という状況が生じます。
もう一つのケースで、敢えて車道側に降りるパターンもあります。これもよくあるケースです。「歩道で建物側に車が出入りする箇所には車道に向かって傾斜がついている。そんな点には十分気をつけて歩いている」という人は多いと思います。そういう人は車道側に行きたくないため、建物側を狙います。でも、駐車場のある場所の建物側には、白杖で触れる物がないため、駐車場の中に入ってしまうことがあります。それを経験し、「入ってしまって出てくるのが大変だった」と感じた人は、「駐車場の中に入っては駄目だ」と強く認識されます。
そして、それは理解していても、歩いている時に偶然「車道側に身体が流れてしまう」という場合があります。そのような個所は車道と歩道との段差が低くなっているのですが、その段差を「いつの間にか建物側に入ってしまった」と思い、気を利かせて段差を降りてしまうのです。つまり「どこかに入ったので降りなければ」と思って段差を降りると、実は車道だったというケースです。このように歩道は非常に難しいのです。
しかし、「歩道はこういう性質の道路」というのを知識として持って、「身体はこのように動かす」という基礎的能力と歩行能力を身につけておけば、このような問題は多くの場合に解消されます。もちろん、訓練をしても歩道に落ちる時には落ちますから、訓練をしたからといって絶対にミスをしないかというと、そんなことはありません。どんなに訓練をしても、ミスというものは出てきます。やはり、この歩道はすごく難しいところでもあるのです。
もう一つよくあるケースは、「歩道を歩いているわけではなかったけれど、いつの間にか曲がっていた」とか、「どこを歩いているかわからなくなった」という状況です。先ほどの歩行能力との関係で言うと、「地図的操作」と「環境認知」の問題です。やはりポイントとして押さえる必要があるのは曲がり角で、曲がり角が無ければ絶対に迷うはずはありません。真っ直ぐに行けば良いなら、右にぶつかり左にぶつかっても、絶対に目的地に到達できるからです。
しかし、途中に路地があると難しいのです。仮に路地があっても真っ直ぐで、直線のぶつかった地点がゴールと言われたら、「同じでないか」と思われるかもしれません。ところが、曲がり角が一つあるだけでも偶然入ってしまうと気づかずに、そのまま歩き続けてしまうのです。自分は曲がるつもりがないのに、曲がってしまうのです。ですから、曲がらなくても、「ここが曲がり道だ」と思って事前に止まり、横断を認識して一つずつ潰していけば、この可能性は少なくなると言えます。
他によくあるケースとしては、壁を叩きながら歩いている人が多いことです。これは訓練をしていない人にも多いケースです。「伝い歩き」と言いますが、壁をずっと叩いて歩き、壁がなくなればそこが曲がり角と認識するものです。ずっと壁を叩くことで、「曲がり角を見つけよう」という方法です。
ところが、今は曲がり角にも「隅切り」と言って、キレイに90度曲っていない所があるのをご存じですか。それは角がスパッと斜めに切られている曲がり角です。この隅切りの箇所は2回に分けて曲がらないといけませんが、そういう場所は90度曲がる場所と比べるとまがったことに気づきにくいのです。曲がったような気はするのですが、2回に分けて曲がっているため、完全に右折や左折をしているにもかかわらず、本人はそのことに気づかないのです。
人間の心理では、「90度動いてください」と言われると、大きく90度向きを変えるためわかりやすいのですが、少しずつ向きを変えられると、最終的にどちらを向いているのか、わからなくなります。2、3回に分け90度向きを変えた場合、少しずつ向きを変えるため、自分ではどうなったのかわかりません。先ほどの隅切りでは非常にそういう要素が強くて、曲がったことに気づかないため、曲がる場合だけでなく横断したい場合にも注意が必要になります。
あとは、白杖に関し少し補足説明をしていきたいと思います。白杖によって歩行は変わるのでしょうか。まず、種類と特徴ですが、白杖は大きく分けて2種類あります。白杖には本来3つの役割があると言われます。1つ目がシンボルとしての役割で、白杖を持つことで周りの人に理解してもらいます。2つ目が安全性確保の道具としての役割です。3つ目が情報を入手する役割です。仮に、シンボルとして持つだけなら、白い杖なら何でも良いという話です。しかし、訓練の中では技術も大事ですから道具は選んだ方が良いのです。「弘法筆を選ばず」と言いますが、やはり選んだ方が良いですね。
そして、訓練をしない人が訓練に向く杖を持っても全く問題はないため、そういう白杖を選んでもらえたら良いと思います。シンボルタイプは耐久性や伝達性に欠けることが多く、一人歩きに向く白杖としては、グリップ部分、シャフト部分、杖先部分の3つから構成されており、耐久性・伝達性を兼ね備えたものがよいと思います。
あとは材質ですね。最近はカーボンなど軽くて丈夫なものや、ブラックカーボンと言ってカーボンに少しグラスファイバーを混ぜたものや、グラスファイバーだけの杖もあります。ただ、グラスファイバーは若干重いかもしれません。最近、当センターではカーボン素材を使う人たちが圧倒的に増えています。軽いし伝達性にも優れて丈夫だと言えます。
それに対して折りたたみの杖ですが、一本タイプの方が圧倒的に伝達性は優れ直接手に伝わります。折りたたみの杖はどうしてもガタつきがあって、一本タイプより伝達性は若干劣る点はあります。ただ、一本タイプは割と嫌われています。どうしても邪魔だからです。どこか行く時も邪魔になるし、車に乗る時にも邪魔なので一本タイプは敬遠されがちです。一本タイプと折りたたみタイプについては、そんな違いがあります。
他には、折りたたみの方が折れやすい傾向があるかもしれません。どうしてもつなぎ目の部分が細いため、強い力がかかると折れやすいのです。大体、ものの強度は一番弱いところに行くため、つなぎ目部分がバキっと折れてしまいますが、折りたたみが悪いというわけではありません。一本タイプでも折りたたみタイプでも、一人歩き用の白杖を持てば、一人で歩かなくてもラクに使えるわけです。
あとは、杖先ですね。実際に経験された人にとって、普通の鉛筆のキャップのような杖先は引っかかりやすくないですか。とにかく引っかかるためイライラして、それがストレスになります。そこで、ある時期からヨコに転がるタイプが出来ました。ローラーチップと言い、中に芯が入ってコロコロ転がり引っかかりませんが、前方には回転をしません。旅行バッグのような感じではなく、前回転をしないため多少の引っかかりは感じるかと思います。
他には、10年ほど前から杖先が強いゴム状のものあります。パームチップと言い、1回引っかかってもスッと抜けやすくて、サスペンションのような感じになっています。ガイドさんたちと歩く方にとって、杖を使う時に引っかかりが気になる場合、この杖先をつければストレスなく歩けると思います。
ただ、少し高く杖先だけで3,000円を超えます。私が勧めると「メーカーさんから500円ほどキックバックを貰っていませんか」と言われますが、もし貰っているのなら「予備の分まで買いなさい」と言います(笑)。ただ、そんなに簡単に減らないし、材質も他のものとは違います。私に返ってくるわけではありませんが、試してもらえると良いと思います。
つまり、杖には一本タイプと折りたたみタイプがあり、丈夫なのか、弱いのか、ガタつきはどうかという違いがあります。また、杖先の違いもあります。そんな感じで捉えてもらえたら良いと思います。ただ、訓練を受ける方に最強なのは直杖でゴムのついたタイプです。それが道具としては一番使いやすいと思います。もちろん強制はしませんけれども。
では、最後になります。この話を聞いて「歩行訓練を受けた方が良いか」と考えられる人もいると思います。実際に聞いてもらって、専門家の立場としては「受けたらどうですか」となるでしょうが、私自身は絶対受けたほうが良いとは思いません。今の話を聞いて「自分に向いているのではないか」「自分に必要だ」と思う人は、訓練を受けられたら良いと思うのです。
実は、先ほど基礎的能力の話で、5番目の「心理的課題」の話を飛ばしました。なぜなら一人で歩けるようになっても、歩く時に気にしなければいけない点は多くあり、心身ともに疲れます。これは訓練しても変わらないし、すごく心理的な負担がかかります。そのため、「どうかな」と思うのです。どんなに歩き慣れていても絶対に緊張するし、「危ないのでは」と絶対に思いますから、心理的要素はとても大きな問題なのです。仮に、心理以外の能力があったとしても、この問題はすごく重要です。
しかし、一人で歩けるようになれば、ガイドさんや家族との打ち合わせが事前になくても自由に行けます。「ちょっと○○に行きたい」「コンビニに行きたい」という時に、予約なしで行ける良さがあります。ですから、そういうものを天秤にかけ「自分に向いているか」を判断してもらえれば良いのです。「普通の能力で良いなら試してみよう」と思う人もいるでしょうし、「ちょっと大変そう」と感じたら自分の生活を優先し訓練しなくても良いのです。
「歩行訓練はこういうものだ」と理解できれば、「知っているけど訓練をしない」というのも一つの手段だと思います。今日の話が「訓練する・しない」という選択肢や、ちょっとした興味に繋がってもらえたら良いと思います。
では、ここからは事前にいただいた質問にお答えします。「点字ブロックや音声式信号機のインフラ利用について、歩行訓練士としての考えを聞きたい」と「最近登場している様々なアプリの利用」に関する質問です。先ほどの「基礎的能力」と「歩行能力」との関係で、インフラ等が十分に補充をしてくれるものなら、やはり使った方が良いと思います。
特に誘導ブロック等は、それに沿って歩けば目的地に着くし、混雑する場所や道幅の広い場所でも一定位置をずっと歩けるため、利用価値がある気はします。ただ、点字ブロックはどうしても遠回りの位置にあるので、最短で歩きたくても大きく迂回します。どうしても90度ごとに曲がるため、大回りになるデメリットがあります。
しかし、安全に歩く点において点字ブロックの使用は非常に重要ですし、有効なものだと思います。ただ、点字ブロックはどこに敷いてあるか知らないと使えません。また、点字ブロックは分岐することが多く、あみだくじのような要素がありますので、初めて行った場所では、目的としたところにうまく行けなかったという話も聞きます。そのため事前に知らないとダメですが、知った上で利用する場合には全く問題がないと思います。
 次は音響式信号ですね。信号に関しても、先ほどの「歩行能力」と「基礎的能力」の話でいけば、「車が止まった」とか、「十字路で目の前の車が止まった。そして並行する車が走り始めた。だから青だな」という判断もできなくはありません。しかし、車の少ない十字路もあるし、最近は車の音もずいぶん静かになっています。そのために、車の音だけで判断するのは非常に難しく、音響式信号があれば利用するのが良いと思います。ただ、デメリットは、ボタンが必ず端にあることです。大体、右か左の電柱に付いていて、誘導ブロックで歩くと信号前のゼブラゾーン中央に誘導されますが、ボタンは端にあるため中央から端まで行く必要があり、これが非常に面倒なのです。
シグナルエイドという補助具を手もとで押せば信号のボタンを押すことになりますが、信号の度に押すのか、ずっと持って歩くのかという問題もあります。誰かが押してくれたら良いですし、歩行者がいれば押してもらえるので場所によるのではないでしょうか。例えば、人がいなくて声をかけられない場所や、車はそれほど多くなくても音響式信号のある場所なら非常に有効に使えると思います。
一方、大きな交差点では押さなくても自動的に音声の鳴る場所もあります。こういう場合は利用して良いと思います。ただ、間違えるといけないのは、交差する方向により音が違う点です。「ピヨピヨ」と「カッコウ」があって、「鳴った」と思って思いきり前に出たら、実は逆側だったという話もあるので、きちんと理解して使うことが大事です。最近は、アプリもよく出ていると思います。以前は、杖にいろいろなものを仕込み、点字ブロック上の何かと合わせたら音声で「入口です」と教えてくれるものや、点字ブロックに何かが仕込まれていて杖先で読み取るタイプのものもありました。
しかし、最近はそれがアプリになっています。様々なものがあり、携帯やスマホを持った状態で何かにかざす必要があったり、信号の方向にカメラを向け青と赤を判断するものもあります。また、誘導ブロックに仕込んだものをスマホで読み取って、入口の場所を教えてもらうアプリもあります。ただ、先ほど話したように、歩行時には気にしなければいけないことが結構あります。アプリを使いながら歩く時には、気にしなければいけないことを邪魔しない点が大事です。
必要最小限で情報を貰えるなら非常に有効ですが、アプリばかりを気にして杖を振っていなかったり、アプリに気を取られ集中力が分散して逆に危険な場合もあります。ですから、どんなアプリかという点にもよるのではないでしょうか。
質問書には「基本は自身の歩行技術を磨くことだと思います」と書いてあるので、それは本当に良いことですし、その考えは間違っていないと思います。質問事項として提出されていたので、先に答えさせていただきました。以上になります。
同じことを何度も言われると頭に残ります。油絵や漆塗りのように、繰り返せば頭に残るので繰り返します。歩行とは、皆さんが普通に持つ能力、あるいは持つはずの能力を歩行という形で組み立て、それを訓練の中で身につけるものです。特別に勘が優れてなくても十分できるものです。ただ、ある程度は訓練しないと難しいという話でした。以上になります。

お知らせコーナー

タートル情報誌今後の発行予定について

情報誌66号 2025年4月発行予定
・2024年3月交流会講演
「視覚障害者の就労の現状」
社会福祉法人 日本視覚障害者団体連合 総合相談室相談員(雇用・就労担当) 相沢 保 氏
・2024年6月総会記念講演
「失明から50年 病院と学校、地域で出会った人々に支えられて」
日本盲人福祉委員会 常務理事 指田 忠司 氏

情報誌67号 2025年7月発行予定
・2024年11月交流会講演
「現在の歩行訓練と歩行訓練士の役割~なぜ単独歩行が必要か~」
NPO法人グローイングピープルズウィル テクニカルアドバイザー
歩行訓練士、視覚障害リハビリテーション協会理事 中村 透 氏
・2025年1月交流会講演
「フリーランスという働きかたにいたるまで~私のリカバリーストーリー~」
精神保健福祉士・視覚障害者の就労を支援する会 運営委員 高尾 朋子 氏

以上、充実した内容をお届けしますので、ご期待ください。

ご参加をお待ちしております!!

◎交流会

本年度は1月、3月の第3土曜日にオンラインと一部、対面で行います。毎回、講演を聴いたあと、講師との質疑応答の時間も設けます。

◎タートルサロン

上記交流会実施月以外の毎月第3土曜日の14:00~16:00に行います。情報交換や気軽な相談の場としてご利用ください。
他にも、原則第1日曜日には、偶数月にテーマ別サロン、奇数月にICTサロンも行います。

一人で悩まず、先ずは相談を!!

「見えなくても普通に生活したい」という願いはだれもが同じです。職業的に自立し、当たり前に働き続けたい願望がだれにもあります。一人で抱え込まず、仲間同士一緒に考え、気軽に相談し合うことで、見えてくるものもあります。迷わずご連絡ください! 同じ体験をしている視覚障害者が丁寧に対応します。(相談は無料です)

*電話やメールによる相談はお受けしていますので、下記の事務局まで電話またはメールをお寄せください。
ICTに関する情報提供・情報共有を行っています。
タートルICTサポートプロジェクトでは、就労の場におけるICTの課題に取り組んでいます。ICTについては、専用のポータルサイトやグループメールをご活用ください。

タートルICTポータルサイト

https://www.turtle.gr.jp/hpmain/ict/
タートルICTグループメールへの登録は以下をご参照ください。
https://www.turtle.gr.jp/hpmain/ict/activity-2/ict-groupmail/

正会員入会のご案内

タートルは、自らが視覚障害を体験した者たちが「働くことに特化」した活動をしている「当事者団体」です。疾病やけがなどで視力障害を患った際、だれでも途方にくれてしまいます。そのような時、仕事を継続するためにはどのようにしていけばいいかを、経験を通して助言や支援をします。そして見えなくても働ける事実を広く社会に知ってもらうことを目的として活動しています。当事者だけでなく、晴眼者の方の入会も歓迎いたします。
※入会金はありません。年会費は4,000円です。

賛助会員入会のご案内

賛助会員の会費は「認定NPO法人への寄付」として税制優遇が受けられます!
視覚障害当事者はもちろん、タートルの目的や活動に賛同し、ご理解ご協力いただける個人や団体の入会を心から歓迎します。
※年会費は1口3,000円です。(複数口大歓迎です)
眼科の先生方をはじめ、産業医の先生、医療に従事しておられる方々には、視覚障害者の心の支え、QOLの向上のためにも是非、賛助会員への入会を歓迎いたします。また、眼の疾患により就労の継続に不安をお持ちの患者さんがおられましたら、どうぞ、当法人をご紹介いただけますと幸いに存じます。
入会申し込みはタートルホームページの入会申し込みメールフォームからできます。また、申込書をダウンロードすることもできます。
URL:http://www.turtle.gr.jp/

ご寄付のお願い

税制優遇が受けられることをご存知ですか?!
タートルの活動にご支援をお願いします¥文字(U+203C)
視覚障害者からの就労相談希望は、本当に数多くあります。また、視力の低下による不安から、ロービジョン相談会・各拠点を含む交流会やタートルサロンに初めて参加される人も増えています。それらに適確・迅速に対応する体制作りや、関連資料の作成など、私達の活動を、より充実させるために皆様からの資金的ご支援が必須となっています。個人・団体を問わず、暖かいご寄付をお願い申し上げます。

当法人は、寄付された方が税制優遇を受けられる認定NPO法人の認可を受けました。
また、「認定NPO法人」は、年間100名の寄付を受けることが認定条件となっています。

皆様の積極的なご支援をお願いいたします。
寄付は一口3,000円です。いつでも、何口でもご協力いただけます。
寄付の申し込みは、タートルホームページの寄付申し込みメールフォームからできます。また、申込書をダウンロードすることもできます。
URL:http://www.turtle.gr.jp/

≪会費・寄付等振込先≫

●郵便局からの振込
ゆうちょ銀行
記号番号:00150-2-595127
加入者名:特定非営利活動法人タートル

●他銀行からの振込
銀行名:ゆうちょ銀行
金融機関コード:9900
支店名:〇一九店(ゼロイチキユウ店)
支店コード:019
預金種目:当座
口座番号:0595127
口座名義:トクヒ)タートル

ご支援に感謝申し上げます!

多くの皆様から本当に暖かいご寄付を頂戴しました。心より感謝申し上げます。これらのご支援は、当法人の活動に有効に使用させていただきます。
今後とも皆様のご支援をお願い申し上げます。

活動スタッフとボランティアを募集しています!!

あなたも活動に参加しませんか?
視覚障害者の就労継続・雇用啓発につなげる相談、交流会、情報提供、就労啓発等の事業を行っております。これらの事業の企画や運営に一緒に活動するスタッフとボランティアを募集しています。会員でも非会員でもかまいません。「当事者」だけでなく、「晴眼者(目が不自由でない方)」の協力も求めています。首都圏以外にも、関西や九州など各拠点でもボランティアを募集しています。
具体的には事務作業の支援、情報誌の編集、HP作成の支援、交流会時の受付、視覚障害参加者の駅からの誘導や通信設定等さまざまです。詳細については事務局までお気軽にお問い合わせください。

タートル事務局連絡先
Tel:03-3351-3208
E-mail:mail@turtle.gr.jp

編集担当者

理事 杉田 ひとみ 大橋 正彦 芹田 修代 協力者 高橋 律子氏

奥付

特定非営利活動法人 タートル 情報誌
 『タートル第65号』
2025年2月7日発行 SSKU 増刊通巻第8094号

■ 発 行 特定非営利活動法人 視覚障害者の就労を支援する会 理事長 重田 雅敏
■ 事務局 〒160-0003 東京都新宿区四谷本塩町2-5 社会福祉法人 日本視覚障害者職能開発センター 東京ワークショップ内
■ 電 話03-3351-3208
■ 連絡用メール mail@turtle.gr.jp
■  URL http : //www.turtle.gr.jp/
■ 公式LINEアカウント https://line.me/R/ti/p/@985ziykq?oat_content=url