特定非営利活動法人タートル 情報誌
タートル 第30号

1998年10月9日第三種郵便物認可(毎月3回8の日発行)
2015年3月16日発行 SSKU 増刊通巻第5076号

目次

【巻頭言】

『創立20周年と認定NPO法人の取得』

理事長 松坂 治男(まつざか はるお)

障害者に関係する法律も整備されつつあります。ご承知の通り、平成25年6月、障害者差別解消法が制定され、平成28年4月1日から施行されることになっております。同法の制定は、「障害者基本法」「障害者雇用促進法」等の改正等とあいまって、「障害者権利条約」の批准にあたり、大きな法整備の条件になったものであります。

また、「障害者差別解消法」は共生社会の実現を目指し、充実した障害者福祉施策の実施を進めるにあたり、大きな役割を果すものであります。障害者を取り巻く環境は大きく変化しています。

私どもNPO法人タートルは、平成7年6月に任意団体「中途視覚障害者の復職を考える会」として発足し、平成19年11月にNPO法人として認証されました。当初から一貫して中途視覚障害者の継続雇用の支援に注力し、新規就職、再就職、復職などに広がるものと信じ、相談事業、交流会事業、情報提供事業を中心に、各種事業を展開してまいりました。そして諸機関との連携の大切さを痛感し、その強化に努めてきました。

誰しも歩んできた道をまとめてみると、「出会い」「交流」「連繋」の3つのポイントに整理されると思われます。

[出会い]相手の困っていることを聞くところから始まり、生活環境などを考慮して、いくつかの方向性をアドバイスする各種相談会。
[交流]タートルサロン、交流会を通じ、同じ仲間の実体験などを聞くことにより、自分の進む道を決断する。
[連繋]患者だけでなく、眼科医・産業医・職業訓練施設などの関連諸機関との連繋。

このような地道な対応で、復職・再就職・新規就職など多くの実績を積み上げてまいりました。会員数も発足時には数十名でスタートをして、現在は全国に広がり、250名となってますます増加の傾向になっています。

1995年の発足以来、満20年の大きな節目を迎え、会員・家族、そして支援をしてくれた方々と共に喜びそして感謝を表す祝賀会を計画しております。 なお、20年の歩みを記録した『「中途失明V」〜未来を信じて〜』の発行。認定NPO法人の取得を予定しています。

創立20周年記念祝賀会

日時:6月20日(土) 13:00〜18:00
場所:ホテルグランドヒル市ヶ谷 東館2階 白樺の間

<認定NPO法人の取得>

認定NPO法人となることで、寄付をした企業や個人などに対して税制上の優遇措置があるため、寄付金がより集めやすくなります。

◇認定NPO法人の「税制優遇」4大メリット!

@ 個人が認定NPO法人に寄付をした場合 ⇒ 「寄付金控除」を受けられます。
A 法人が認定NPO法人に寄付をした場合 ⇒ 損金に算入できる金額が拡大されます。
B 相続人が認定NPO法人に相続財産を寄付した場合 ⇒ 寄付をした相続財産は相続税が非課税になります。
C 認定NPO法人自身が法人税法上の収益事業を行った場合 ⇒ 「みなし寄付金制度」による減税措置を利用できます。

認定NPO法人は、NPO法人よりも一層「公益性のある団体である」ことが求められています。認定申請の際に提出する書類では、

・広く一般から支持を受けているか
・その活動や組織運営が適正におこなわれているか
・より多くの情報公開が行われているか
等を審査されます。

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【11月交流会講演】

『退職から転職…職業訓練・面接・就職後のキャリアへのヒント!』

運営委員 市川 浩明(いちかわ ひろあき)

こんにちは、市川と申します。タートルの会で運営委員をしております。 演題は、簡単に言うと、私は前職で目を悪くして退職を決意し、そのあとに就労活動をしました。転職が無事何とかできて、今は4年目になります。そして転職先で仕事をしていますが、そういう現状について話をさせていただければと思って参りました。

私は、中小企業で働いておりました。皆さんの中には前職が公務員であったり、また教職であったり、また、一般的に大企業と呼ばれるようなところにお勤めの方など、色々な方がおられると思います。 また目の見え方でも、前職を持っていた時には普通に見えていた人が、事故やケガ・病気で急に光まで全く失ってしまうような例もあると思いますし、目が悪くなったとしても、パソコンの文字や本を読む視力は残っていて、ちょっと周りが見えづらくて困っている方もいらっしゃるかもしれません。

私の場合は文字や細かいものが全く判別できません。風景は朧げながらも、残存視野で少し見えますが、同じような方もいると思います。何が言いたいかというと、いろんな方が聞いていらっしゃるので、私が今からお話をすることについては「あっ、そう思うよ。そうだね」というような共感を、必ずしも得られるかというと、なかなかそうではないと思うのです。

演題の「ヒント」のあとに疑問符(?)がつく人は、私が今日お話をしても「そうは言っても、私はなかなかそうは思わないな。そういうシチュエーションにはならないし、あまり参考になることもなかった」という方もいると思います。感嘆符(!)をつけた方は、話の中のほんの一部かもしれないですが「あっ、そうかそうか。そこは私もわかるよ」という方もいらっしゃるかもしれません。 いろんな方がいらっしゃる中で、1人の視覚障害者の「こういう年代の人が生きてきて、こういう話もあるのだ」という程度で聞いてもらえれば、ありがたいと思っています。

まず、ストーリーの1番最初。私は、もともと仕事では若い時に転職を何回か繰り返して来ました。その中で偶然に、自分にとって非常にやりがいのある仕事に就くことができました。その仕事をするにあたっては、やりがいがあるので好きにもなりますし、当然いくら時間を使おうが頑張ろうが苦にはなりませんでした。

10年ほど前のあるとき、突然緑内障になり手術をしました。手術後最初は、歯磨きもできない、お米の粒も見えないからご飯も満足に食べられない、病院のトイレにも行けなくなって、どうしたらいいのかとても悩みました。 皆さんの中にも、同じような気持ちになった方もいらっしゃるかと思います。その時にはいろいろと苦労もありましたから、やはりどうしても後ろ向きな気持ちになってしまいました。

そこから前向きな気持ちに切り替わったのは、いくつかの仕事を抱えながら入院になりましたので、入院しているのにもかかわらず、仕事の連絡が朝から晩まで入る毎日で、それに対しては、目が見えないなりにも、そして病室でいけないと怒られながらも、返信をしました。それは決して褒められたものではありませんが、やはり私は仕事に対して、当時どこかで、何かしらの背負うものがあったということなんだろうと思います。やりがいであるとか、好きであるとか、そういったものがあったのではないかと思います。

そういったことが日々続いていたので「どうしても現場に復帰したい」という気持ちが、出てきたのだと思います。だから、手術直後に感じた自分の1番真後ろな気持ちが、無くなっていったのではないかと考えています。

職場に復帰すると、変わらずの毎日がやってきました。 弱視は少し見えてしまうので、相手が目の悪いことに気づかないとか、自分もこのままできるのではないかという錯覚が出てしまうことがありました。それは私だけかもしれませんが、毎日、自分の経験則といったものをフルに活用することで、日々の仕事がそれなりにこなされていく現実が、着実に私の目の前にありました。

そうすると人間は「よし、このままできるのではないか」と、本当に錯覚を起こしてしまうのです。人の顔も全く見えないし、名刺も読めません。段差には躓きますし、自動扉には激突しますし、上司の靴を間違えて履いて外に出て怒られたり、そんな失敗談などを言えば、山ほど出てくるのです。 当然、皆さんも今聞いていてわかると思いますが、そんな人が健常者の中で今までの質量を保って仕事ができるのかということです。錯覚もいつかは錯覚ではなくなってしまい、本人の気づく時が来るのですが、それも私は体験しました。それが、いわゆる潮時というものです。「もう少し早くその潮時を察していたら良かったのではないか」と思うことがあります。私はそれを失敗だったとは思いません。たとえ潮時の見定め方は人それぞれであっても。

そして、演題にもあるように「退職の決意」をしていくわけです。この中には経験された方もいらっしゃると思いますが、退職の決意をするということは、当然ですが準備しなければいけないということです。自分にも生活がありますから「はい、辞めます」というわけにはいかないのです。実際にどうしていったかというと、私の場合には2つの方向で退職準備をしていきました。

1つは何かと言うと、堅く言えば会社との折衝です。簡単に言うと話し合いをするためにいろいろな情報を得て、それに基づいて、その方向で上手く話をまとめるための活動です。 もう1つは、仕事を終えたあとの自分のなりふりをどう設計するかということですが、まず第1には職業訓練を受けて復職することを目標にしようと思って、そこでこの2つを柱に見立てました。

ここでは訓練校の話をします。まず訓練校があることを知らなかったものですから、退職を意識して次に復職をしようと思った時には、まずハローワークに行きました。その時に初めて障害者専門の仕事の求人票が出るブースがあることを知って、そこに行ったのです。普通の方がやるのと同じように、求人票などもネットで検索して、紙で出すという求職の手順を踏めるのですが、私は目が見えないですので、人にお願いして何件か見てみました。そして、相談員に話したところ、その方からあんま・鍼・マッサージというのでしょうか、そういう学校のようなものがあるので「そちらに行ったらどうか」という提案を受けました。

「いやいや、ちょっと待ってくださいよ」と。マッサージの職に就くことは、自分の中で全くリアリティが感じられなかったので「こういう求人に出ている事務職に就くには、どうしたらいいのですか」という相談をしました。

その後、その方が話をする中で、考えてくれたのでしょう。調べていただいたところ「視覚障害者向けの職業訓練をしている学校があるようだ」という話をされて、いくつか教えてもらいました。それで、実際にそういった訓練校を回り、その中で選択したのが、日本盲人職能開発センターでした。

たぶん、1年ずっと通っていれば、それなりのスキルはつくと思います。私は半年で卒業しました。それで、実際にスキルが身についたかというと、なかなかそこまでには至らなかったところがあります。

私の場合は半年間は就職活動をしてはいけないことになっていました。半年経ったので就活しようということになって、ここからは面接等の話になっていきます。 時々質問されます。たくさんの企業がありますが「ここは本当に採る気はあるのか」とか、「どうしたら1次面接や2次面接に通るか」というように。今ここにそういう状況の方がいらっしゃったら、お話しようかと思いましたが、その辺は少し割愛しながら。

私には人材管理をしていた時期がありまして、正社員になると社長や役員が最終的に面接をする形になりますが、契約社員レベルまでは私が判断した要素や評価で採用ができるところがありました。 多ければ1年に百人単位でしょうか、ともかく3ケタの数字の人たちとは、面接という形でお話をさせていただき、採用を勘案するような仕事をしていました。だから逆に言うと、人材をどうして採るのかとか、どうして採らないのかとか、採った後のコストはどうなるのかとか、相手様の考えていることはわからないこともないのです。

例えば、私がまだそういう仕事をしていた時期の話ですから、本当に最新情報ではないですが、気苦労したことがあります。それは何かというと、男女雇用機会均等法などというものができましたので、募集文面の中には、女性とか男性とか主婦とか何でもいいのですが、平等に雇用機会を与えることが…という文章は入れられないということなのです。

ですから、いろいろと考えます。こちらとしては、欲しい人材がこう決まっているとします。例えば今回採りたい条件は20代から30代の女性の方で、勤務形態は残業なし。同業での勤務実績あり云々というように。そこは書けないのでオブラートに包みますが、そういうことを匂わさなくてはいけないのです。

それでもやはりいろいろな意味で、チャレンジャーがいるわけです。全く採用のテーブルには載ってこないような方が応募されるのです。 では、そういう方はどうするかと言うと、会社さんによってはお断りするところもあると聞いたことがあります。実際に、私は私の会社のことしか知らないのでわかりませんが、やはりその方にもお会いしなければいけないので、たぶんいろいろな企業さんも苦労されていらっしゃると思います。だから、書類選考も当然あったりするのです。

ですから、面接に辿り着けないことがあった時には、自分の書類のつくり方が悪いこともあるかもしれないし、職歴がどうしても上手く合致しないこともあるかもしれないですが、もう少し考えてみると、会社が望まない人は書類では通らないのです。 採用イメージに明確な意志があった時には、いくら仕事のスキルがある方でも採れないのです。

また、面接に来る人に人事の決定権があるかどうかというのも大きな問題です。例えば土日などに特に開催される面接会は、よほど採用に熱心でない限りは、下手をすると新人や2年目の選手に「ちょっとお前、勉強の為に行ってこい」などという話になってしまうのです。そうすると、そういう人に人材評価の出来るスキルがあるかという話になります。メモぐらいはとるでしょうが、紙を集めて終わりだったりするのです。そうすると、その紙が一人歩きをして、2次面接、3次面接に至っていくわけです。だから、組織で働いたことのある人は皆知っていると思いますが、書類の作りが非常に大切なのはそういうところです。

私の実例を話すと、ある大手の会社の面接に行ったら、人事の統括本部長という人がちょうど座っていました。私はちょっと遠い場所の違う職種で応募したのですが、5分も経たないうちに、その方から「もう今日はいいから、次はここのこういう所で」と名刺と資料をもらって、別の場所の2次面接に行くよう指示されて行ったことがあります。そこは今の会社ではないのですが受かりました。内定をもらって、申し訳ないですがお断りさせていただきました。そういうケースもありました。

そこに来ている人もいろいろで様々ですから、そういう事情を勘案すると面接でいくつか落ちたからといって、あまり気にする必要はないこともあります。ただ、職種や勤務地などのいろんなことを考えると、仕事や企業は無尽蔵にあるわけではないので、失敗すると自分が持っていく的(まと)が少なくなってしまいます。的(まと)が少なくなると当然精度が上がらなければボールはぶつかりません。そういった意味では慎重に選びながらも、自分の経験値になるような所を鑑みて、面接を受けた方がいいということになります。

そして、転職から訓練を受けて実際に就労活動をして、今度はこの会社でどうやって自分は生活していくかということになります。ここからは格好良く言えば、転職後の自分のキャリアの作り方になると思います。でも、もうちょっと泥臭く言えば、1人の弱視の人が汗水たらして頑張っている奮闘記みたいなものですから、そんな話をしようかと思っています。

私が入社した時には、会社は初めて障害者を雇用しました。そして、私の他にもう1人精神障害の方を同時に採用しました。 私が拝命した最初の仕事は、経理業務的なものと情報管理でした。この情報管理は、私にとっては初めての仕事になります。

私が以前勤めていたのは、不動産関係の会社でした。先ほど申し上げたように、人事もやっていましたし、顧客管理や消費者対応、施設管理などのありとあらゆることや、予算を作ることまでさせていただいていました。様々なことを手広くさせてもらってはいましたが、情報管理に関しては、たまたま前職にいた頃に個人情報保護法が施行され、それ対するコンプライアンス・プログラムのチームをグループ会社で作りましたので、その一員に名を連ねていましたが、ほとんど経験が無いのです。しかし、いま実際に働いている会社ではデータの情報サービスを主としており、そこで情報セキュリティの担当をさせていただいています。ですから、正直言って畑違いですし、やったこともないし、聞いたこともないような語句が入り乱れているような職場なのです。最初に入った時ですが、精神障害の方は薬を飲んで体調さえ良ければ、やはりとてもスピーディでスムーズなのです。例えば「あのパソコン使って何々をしてくれ」「この書類を見ておいてくれ」といろんなことを指示されますし、パソコンのセットアップでも普通の人と一緒ですから、彼の場合は電源を入れればすぐ使えるのです。

私の場合はスクリーンリーダーや拡大読書器、ディスプレイを拡大するソフトなどを申請しました。すぐに買っていただきましたし、会社としてはすごくスピーディだったと思います。それでもやはり会社に入ってそういうものをお願いして、届くまでの間には凜議書も書かなければいけないですし、いろんなことがあるから1〜2週間はかかってしまうのです。それでも速い方だと思いますが、やはり片方では同じ障害者で入っても、いろんなことをてきぱきと手際良くするわけです。私も人間ですから、最初は「情けないな」とか「悔しいな」と思ったりしたこともありました。 でも負け惜しみではないのですが、たった1つですが、ずっと思っていたことがあります。皆さんもそうだと思いますが、仕事に関しては必ずセオリーがあるので、それをきちんと守って、ゆっくりでもいいから着実にやっていけばいいということです。必ず長期的に見たら間違いなく仕事において重宝されるし、きちんとポジションが確立できるというふうに思っていました。

実際には、その方はご縁が薄かったので退職されてしまい、いま会社には私1人しか障害者はおりません。長く続けるというのも1つにはサラリーマンや会社人・組織人としては必要な事ですので、目を悪くしてまた手術もしましたが、健康でいられるのはありがたいことだと思います。

仕事に関してどういうことをしているかというと、情報セキュリティ部門で働いており、やっているのはだいたいこんなことです。例えば、会社の情報管理に関する規定は皆が覚えているわけではないので、そういったものを私の方で教えてあげたり、今やっている仕事の流れとそぐわない時には規定を改定したり、新しい規定を作ったりしています。 それから、いろいろな会社では認証を取っていると思いますが、私の会社でも認証を取っている部分があるので、そういった部分の申請に必要な書類を作成することもあります。また、会社の中では情報セキュリティに関しての教育システムがあるのですが、その教育については私の方に一任していただいているため、そういった仕事をしています。

もう1つですが、会社の中に内部統制システムというものを入れています。それに対しても専任の担当ではないものの、一部携わらせていただいている感じです。具体的には、会社では年に何回か教育等をしなければならないので、まずその資料を作っています。対面教育の場合は1時間半程度のこともありますし、全体研修の場合はもう少し短い時間で、役職なら役職だけを集めてというように、いろんなパターンがあります。テキストを作って講義し、さらにその理解度をチェックするテストを作って判定をします。そして、その記録をきちんと名簿化して保管し、評価の1つにするというサイクルが一連の仕事になります。

規定に関しては、先ほど申し上げたように随時ではなく適時ということで、1年に1度か半年に1度という感じで、見直しながら加筆修正する為の提案をしていくわけです。加筆修正した場合には、刷新版を会社の情報共有の為に一定の場所に入れますし、職員に周知することになります。

その他、内部統制システムではどんなことをやっているかと言うと、いくつかのシステムを導入しているのですが、簡単に言えば会社のモニタリングということです。私が情報やシステムといった部署の権限を一部いただいて、その中でどういう操作をしているかをシステム上で見るわけです。 簡単に言うと、電源をいつ入れたとか、USBを挿したかとか、何のデータを見ていつ見終わったのかというように、ログでも何でもいいので、そういうものを監視を全部しています。全部といっても、ずっと見ていたら死んでしまいますから、一部ずつということです。 そういったものを見るだけではなくて、見る理由は何かというと、これは会社に対する啓蒙です。「こういう操作をしています」「ああいう操作をしています」と匿名ですが(伝えることで)、会社としてはきちんとモニタリングをして、皆さんの業務をより効率的に進められるようにしていると伝えてあげます。

いま現在はそういう仕事ですが、最初に申し上げたように、初めは経理的なことを少しと情報管理みたいなところを指示されたわけです。その中で、今やっている仕事を得て来たという部分に関して言えば、大きく分けて2つですが、自分の中で心がけたことがあります。それに従ってやってきたという形です。

1つは何かと言うと、ともかく仕事のセオリーを絶対に外さないことです。これは私が思っているだけかもしれませんし、私のセオリーが皆さんのセオリーにはならないと思いますが、そこは絶対に一貫してぶれずにやるということが1つです。そして、こういうのはよくビジネス本に書いてあるので「今さら」という話ですが、必ず目標を立ててその目標に従っていくということです。そこにはスケジューリングもありますが、その話をすると長くなるので、今は目標を立てることだけにしておきます。

実際には、皆さんの中には経験のある方もいるかもしれません。何かしら自分のスキルでコンサルティングを依頼され他の企業に行った場合とか、格好をつければ何かのプロジェクトかもしれませんが、何かの仕事だけ任されて出向するといった時には、まず最初に「何をするのか」ということです。 何をするかと言われれば、たぶん、皆さんも心の中に絶対に答えが出たと思います。「こうだよ、こうに決まっている」というように。今日スピーカーなので意見を言うと、必ず私がやっていくことは「現場を知る」ということです。これもよく本に書いてありますし、当たり前のことですが、そこなのです。

どのようにするかというと、手法は別になりますから、興味のある方はまた個別に。要するに「現場」というのは「現状」でいいと思います。「現状を知る」ということになります。「砂上の楼閣」とよく言いますが、ともかく、その会社の現状を知らない限りは、何をやっても絶対にあてが外れてしまうのです。だから、知ることから開始します。それで、知ったらどうするかというと、知ったら必ず疑問が出てくるのです。「これは何でこうなっているのだろうか」と。それを必ず1つずつ解決してつぶしていくのです。

そして、いろいろな残し方がありますが、体系的に記録に残すことによって、もしかしたらその会社には無いかもしれませんが、会社のノウハウを作り上げるということを、自分でしていくわけです。これは何をしているかと言うと、知識を積み重ねることによって、その会社の本当の中身などがわかりますし、それが人と仕事上のコミュニケーションをとっていく時の1つのツールになっていくのです。これが1つです。

もう1つは、先ほど言った目標です。どういう目標を立てるかというと、具体的なら具体的な目標の方が当然良いです。目標は3種類で立てます。これもよく本に載っている話で短期・中期・長期というものです。短期間はどんな形で立てたかと言うと、最初に言ったように「会社のことをまず知る」ということを目標にしました。

もう1つは、今までの仕事の中に「これならどこの会社に行ってもある程度できるだろう」という自信のあるものがあったので、少なくともその仕事だけでも貰えるようにやっていこうと考えました。

次に、中期的には、今いただいている仕事やこれから少しいただけるであろう仕事に関しては、判断をする時にはなるべくフリーハンドで仕事がいただけるように頑張ろうということです。簡単に言えば「信用を得よう」ということです。それを中期の目標で挙げておきました。

3つ目は長期の目標です。私は次にいつ転職の時期が来てもいいように、自分が転職をするための資料作りをしておこうと考えています。資料が作れるように、自分がやってきた仕事に対しては、常に履歴を作るなどして必ず数値化し、いつでも転職できる準備をしておこうというのがありました。そのため、会社にいさせてもらう間は、当然ですが、会社には仕事で寄与しなければいけません。逆に言うと、いろいろな仕事をさせていただくことで、初めてやる仕事や、したことのない仕事にも携わることのできる可能性があるので、そういったチャンスはいただけるように頑張ろうということです。

4年前にこの3つを作って、結果はどうなったかというと、私の場合、いま情報管理ではいわゆるシステム周りはほとんどやっていません。アナログ周りのことばかりですが、先ほど言ったような形で、いろいろと自分の中で帰結できるような仕事を頂戴できるようになってきました。

申し上げたように、会社を知るということを蓄積すると、その結果がどう出てくるかということです。その部分に関してのオーソリティーになっていけるのです。

例えば、コアな部分ではあまり参加しなくてもいい会議であったり、仕事の内容・案件であっても、情報セキュリティ部分で問題がないか、後で確認するのは面倒くさいから「ちょっと同席させておけ」「こういう案件は必ずあいつに目を通させておいて」となります。こういうものは本当に些細なことです。しかし、私にとって「石の上にも三年」ではありませんが、最初に忸怩たる思いでいたところから、少しずつ積み重ねてきた今の自分のポジションであり、自分の仕事の内容であるわけです。

先ほどの目標は常に変えています。当然、会社の考え方や流れは変わっていきますし、今もそうですが変わっています。だから、来年同じような話をする時には、また違った話をするかもしれません。

最後に私は今まで自分の人生をずっと語ってきました。どんな感じで転職を決意したかもありましたし、自分がどんなふうに仕事を作っていくのかについてもお話しました。ただ、1つだけ言えるのは、どんな時でも転職して前向きでいられるかと言ったら、復職でも何でもいいのですが、仕事をしている時に必ず前向きでいられるかと言えば、人間はなかなかそういうことはないのです。

私も「嫌だな」と思う日などはたくさんあります。だから、そういう時は「100%ずっと毎日頑張ろう」などと思わない方がいいと思います。ですから、私が自分に課していることは、どこかでバランスを考えていくということです

お仕事も人生の1つなので楽しくやれるのに越したことはないですが、健常者でも楽しくなかったことがあります。今はお互い同じようなつらさを知っている者同士だからわかると思いますが、毎日の生活の中では人にとって「そんなことで」と思うかもしれないようなことについても、忸怩たる思いをするわけなのです。

そういう中で、キャリアというと言葉は威勢がいいかもしれませんが、何かしら仕事をちょっと頑張ろうと思った時には、必ず勘所を押さえて、あまり無理をせずバランスよく仕事をして生きていくということです。これからも、それを自分に心がけようと思っています。そうすると、たぶん先輩方のように、私も定年まで何とかサラリーマンができるのではないかと思います。

いま一生懸命頑張っている方には「何を、甘いことを」と言われてしまうかもしれません。ただ、一生懸命に頑張ってアップアップで苦しんでいる人がいるとしたら、そういう人はたまにはちょっと肩の力を抜いたり、荷物をおろしたりして、ふうっと息を抜いた目で仕事を見ながら、新しいキャリアづくりを考えてみたらいかがかと思います。

ちょっと拙い話でしたし、長くなりましたが、私の話はこれで終わらせていただきたいと思います。今日はご清聴ありがとうございました。

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【職場で頑張っています】

『溺れる私はなんでもつかむ?』

会員 清水 晃(しみず あきら)

皆さんこんにちは、清水晃と申します。いつもタートルの会の先輩方から元気をいただきながら、何とか毎日を過ごしています。 現在は新潟県上越市の市役所で働かせていただいております。 新潟県上越市は、日本海側に面した海あり山ありで、東の隣は山形、西には富山、石川などがあります。上越市は富山に近い場所にあります。 北の日本海側ということで、冬は雪が多く積もり、雪と凍結道路で白杖での歩行が大変です。滑らないように注意して毎日元気に職場に通っています。時々通勤電車が雪で遅れたりしますが、何とか頑張って通っています。

○現在の状況について

市役所に入庁してもうすぐ2年目になります。現在、私の担当している主な業務は、課内で所管している会議などの会議録作成や各種公開会議情報の報道機関への提供業務など、デスクワーク中心の業務を行っています。業務の補助具として拡大読書器と、パソコンには画面音声読み上げソフト、そして会議録作成用のフットペダルを購入していただきました。

○苦労した点、その対応について

今の部署は入庁してから2つ目の部署になります。 最初の部署では、外回りの業務、紙媒体での業務がほとんどでした。入庁した当初、自分の指導担当であった方に業務の進め方を教えてもらおうとしましたが、その担当者もマニュアルを作っておらず、「前任者の処理した紙ベースの書類を探して作業を進めてください」とのことでした。ファイルの場所、書類の内容など、質問しても「自分で探してください」とのことで、手当たり次第に目につく書類を拡大読書器にかけて読む毎日が続きました。

ただ、そうしているとどうしても業務が進まないので、人事課に相談したところ、現在のデスクワーク中心の部署に配置転換をしていただくことが出来ました。

仕事を続けるうえで、私にとって一番大変なのはストレスでした。そのストレスの要因を探して、上司、人事などと摺合せをうまく行えたことで、仕事でのストレスが大分軽減されました。また、話合いをするときには、「できません」から始めるのではなく、「どうしたらやっていけるのか」の検討をお互いにすることを心がけ、お互いができる範囲を共有し、頑張っていくという話合いの機会をできる限り持つようにしていきました。

○アビリンピックに参加した動機

昨年、全国障害者技能競技大会、通称アビリンピックが愛知県名古屋市で行われました。おかげさまで全国1位のメダルをいただくことが出来ました。 今回の受賞は本当に想定外の結果でした。どれくらい考えていなかったかというと、授賞式が行われるときに、一番カジュアルというか、リラックスした服装で式典に参加しました。入賞者が呼ばれる中、横に座っている他の競技の受賞者と話すのに夢中でした。

とにかく模擬問題を見て、これは無理だと感じましたし、家庭の事情で試験対策のための学習などもできない状況でした。ただ、唯一助かったのは、同じ大会に参加した高知県の友人からのアドバイスでした。それをもとに必死に自己学習を進め、大会に臨みました。

アビリンピックに参加したのは、一昨年の県大会が初めてでした。たまたま業務時間外にパソコンで検索していたところ、目に留まった内容がこの大会でした。申込期限も過ぎていたのですが、取りあえず何かやってみたくなったので、申し込みました。一昨年は入庁して間もなかったせいか、とにかく何かをやっていないと、仕事に対してのモチベーション、日々のやりがいが得られないような気がしていたからです。

○家庭について

私は4人の子供の父親です。妻は外国人です。また一番下の子はまだ3歳で、二男は発達障害があり、支援が必要な状況です。 こんな内容をお話しするのは恥ずかしいのですが、「何でそんなに無計画なのだ」と言われても仕方がないのかもしれません。 今住んでいるところは、町はずれの公営住宅です。バスも電車もほとんどなく、自分の日常での移動や健康管理だけでも手一杯な状況ですし、二男と末の子供の面倒だけでもとても仕事が多くなってしまいます。また狭いアパートなのですが、子供たちがどこにいるかも分からないので、いつも大声が響いて周りからうるさがられてもいます。

障害を持って、子育てをして、自立した生活をする。当たり前のようなことでも、やってみると相当に大変な仕事でした。やっていけるかなという不安も沢山あります。 ただ、家族がいる、守らなければいけないものがあるということは、自分を強くしてくれますし、支えになってもくれます。最近は一番下の3歳児がよく手を引いて、道案内をしてくれます。とてもうれしいですし、力になります。

○今後について

今後どのように歩んでいくかは、まだはっきりと見えていません。ただ新潟県内では中途視覚障害者の就労成功事例が少なく、また公的連携も不十分な状況です。できるかどうかを考えず、今できることを考え、歩んでいこうと思っています。皆さんとつながって一緒に歩んでいこうと思います。一人ではとかく辛く、厳しくなってきてしまいます。周りの目、慣習などもあり、一人では乗り越えるに厳しい現実がたくさんあります。 アビリンピックもそうですが、生きていると何かしら人生のチャンスが訪れると感じています。諦めず、でも焦らず、ぼちぼち歩んでいきたいと思います。皆様のこれからの発展と日々の小さな幸せの訪れを心から願いながら終わりたいと思います。ありがとうございました。

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【定年まで頑張りました】

『明日に向かって活き活きと生きる』

会員 内山 義美(うちやま よしみ)

○眼の病気を乗り越えて

左眼の視力が0.4から0になったのは、網膜剥離を起こして突然の出来事で、44歳の時でした。それから今日までの21年、未知の苦難の道が始まりました。 病気の要因は職場で書類の入ったダンボール50kgを持ち上げた時に起こりました。緊急入院、5回に及ぶ局所全身麻酔による手術、6ヶ月の闘病生活を乗り越えてきました。 その年に長男が誕生したばかり、生活のこと働き続けることなど悩みは尽きませんでした。職場の上司・同僚の温かい励まし、同じ障害の先輩などから情報やアドバイスをうけ、音声ワープロ・拡大読書器・歩行訓練などリハビリによって、将来の見通しを持つことができました。

視力の回復(0から0.04)にともない、障害者の職業相談・就労支援・事業所の訪問など仕事の領域も拡大できましたが、年齢とともに視力が低下し、庶務・企画調整の文書関係など職域も縮小することになりました。 病気もせず健康で、多くの皆様に支えられ、公務員として定年で卒業することができました。

○新しい職種に挑戦

人生80歳まで現職をめざして、60歳から手に職を就け、つぶしの利く人になるため、国立リハビリテーションセンターに入学しました。墨田区から所沢まで毎日5時半に起き、片道2時間かけて通いました。

専門課程の按摩鍼灸コース、学科13科目・一般実技・臨床実技などを学びました。学年ごとの前期後期試験で基準点を取らないと昇年できません。勉強は拡大読書器を使い、毎日8時間見ていると、眼が疲れ途中で投げ出したくなるときもありました。通常の数十倍の時間をかけ、信念と根気がなければ続けることが困難でした。3年時の臨床実技は、実際患者さんに按摩マッサージ、鍼灸を施術しました。教官から按摩マッサージでは優しくゆっくりと、鍼灸では患者さんから経穴や方法が違うと注意され、毎回が緊張と冷や汗の連続でした。

こうした学校生活を過ごし、いよいよ国家試験を受験、150問の筆記試験で6割以上の点数で合格。やっと昨年3月に合格し、晴れて按摩指圧マッサージの施術を行うことになりました。

○いつまでも元気であきらめない人生を

タートルの仲間の紹介で、特養老人ホーム・マッサージ治療院で、利用者・患者さんに癒しの施術をおこなっています。老人ホームには高年齢者で起こる痴呆症、寝たきり、脳梗塞片マヒの方々が入所されています。皆さんへのマッサージをおこなっていて「ありがとう、痛みが取れてきた」など感謝されると、私は皆さんの長生きを祈るとともに、もっと腕を磨き上げる努力を積み重ねていきたいと思います。

皆さんに施術していますと、人の一生とは何か、どのように終幕を迎えるのか、人と人の関わりは、などいろんなことを考えさせられます。 眼が不自由になっても、人に喜んでいただけて人のために貢献できることは、光栄であり嬉しいことです。そのため、私もいつまでも心身ともに元気で頑張って生きたい。

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【お知らせコーナー】

◆ ご参加をお待ちしております!!(今後の予定)

《タートルサロン》

 毎月第3土曜日  14:00〜16:00
於:日本盲人職能開発センター
交流会開催月は講演会終了後

《交流会》

9月・11月・3月の第3土曜日(予定)
13:30〜16:30
スカイプで中継予定

◎平成27年度通常総会と記念講演  

日時:6月6日(土) 10:30〜17:00
場所:日本盲人職能開発センター
(スカイプで中継予定)
AM:通常総会
PM:記念講演
講師:(社福)日本盲人会連合 会長 竹下 義樹 (たけした よしき) 氏
演題:(未定)

◎タートル創立20周年記念式典

日時:6月20日(土) 13:00〜18:00
会場:グランドヒル市ヶ谷

◆一人で悩まず、先ずは相談を!!

見えなくても普通に生活したい、という願いはだれもが同じです。職業的に自立し、当り前に働き続けたい願望がだれにもあります。一人で抱え込まず、仲間同志一緒に考え、フランクに相談し合うことで、見えてくるものもあります。気軽にご連絡いただけましたら、同じ視覚障害者が丁寧に対応します。(相談は無料です)

◆正会員入会のご案内

NPO法人タートルは、自らが視覚障害を体験した者たちが「働くことに特化」した活動をしている団体です。疾病やけがなどで視力障害を患った際、だれでも途方にくれてしまいます。そんな時、仕事を継続するためにはどのようにしていけばいいかを、経験を通して助言や支援をします。そして見えなくても働ける事実を広く社会に知ってもらうことを目的として活動しています。当事者だけでなく、晴眼者の方の入会も歓迎いたします。

◆賛助会員入会のご案内

NPO法人タートルは、視覚障害当事者ばかりでなく、タートルの目的や活動に賛同しご理解ご協力いただける晴眼者の入会を心から歓迎します。ぜひお力をお貸しください。また、眼科の先生方はじめ、産業医の先生、医療従事者の方々には、視覚障害者の心の支え、QOLの向上のためにも積極的な入会あるいは係わりを大歓迎します。また、眼の疾患により就労の継続に不安をお持ちの患者さんがおられましたら、どうぞ、当NPO法人タートルを紹介いただきたくお願いいたします。

◆ご寄付のお願い

特定非営利活動法人タートルにあなたのお力を!!
昨今、中途視覚障害者からの就労相談希望は急増の一途です。また、視力の低下による不安から、交流会やタートルサロンに初めて参加して来る人も増えています。
それらに適格・迅速に対応する体制作りや、関連資料の作成など、私達の活動を充実させるために、皆様からの資金的支援が必須となっています。
個人・団体を問わず、暖かいご寄付をお願い申し上げます。ご寄付いただいた方には、タートルが発行する情報誌をお送りします。
寄付は一口3,000円です。いつでも、何口でもご協力いただけます。

★NPO法人タートルは、税制優遇を受けられる認定NPO法人をめざしています。 その実現のためにも、皆様の積極的ご寄付をお願いします。

◆会費納入のお願い

日頃は法人の運営にご理解ご協力を賜り心から御礼申し上げます。 まもなく年度末となります。つきましては正会員・賛助会員の皆様で、今年度(2014年度)分の会費が未納の方は、お手数ですが、急ぎ納金手続きをお願いいたします。NPO法人タートルは皆様の会費により運営しておりますので、ご協力のほどよろしくお願い申し上げます。

≪会費・寄付等振込先≫

ゆうちょ銀行
記号番号:00150-2-595127
加入者名:特定非営利活動法人タートル

◆活動スタッフとボランティアを募集しています!!

あなたも活動に参加しませんか?
NPO法人タートルは、視覚障害者の就労継続・雇用啓発につなげる相談、交流会、情報提供、セミナー開催、就労啓発等の事業を行っております。これらの事業の企画運営等に一緒に活動していただけるスタッフとボランティアを募集しています。会員でも非会員でもかまいません。当事者だけでなく、晴眼者(目が不自由でない方)のご支援も求めています。積極的な参加を歓迎いたします。
具体的には事務局の支援、情報誌の編集、HP作成、受付、スカイプの管理、視覚障害参加者の誘導等いろいろとあります。詳細については事務局までお気軽にお問い合わせください。

☆タートル事務局連絡先
 Tel:03-3351-3208
 E-mail:m#ail@turtle.gr.jp
 (SPAM対策のため2文字目に # を入れて記載しています。お手数ですが、上記アドレスから # を除いてご送信ください。)

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【編集後記】

毎年4回情報誌の発刊に携わらせていただいております。この3月の情報誌をまとめているときが何故か一番、日本列島が南から北まで如何に長いかという思いを強く感じます。 皆様のお手元に届く3月末ごろ、九州や四国の桜や草花は?関東では?東北や北海道では雪解けの間から蕗の薹が頭を出しているところも?等々思い巡らしながら。

さて、今回の【職場で頑張っています】コーナーの清水さんは、仕事、子育てに大忙しの毎日を過ごしながら、『アビリンピック第1位(金メダル)』本当に素晴らしいですね!!!それから、北陸新幹線が開通し、上越妙高駅ができ、東京まで2時間を切って近く?なりましたね!

また【定年まで頑張りました】のコーナーに執筆いただきました内山さんは、60歳の定年まで公務員として全うされ、その後3年間鍼灸マッサージの訓練受講の後、見事国家試験に合格され、80歳まで現役を目指して生き生きと活動されておられるとのこと。我々によい刺激を与えていただいたように思います。

さてさて、我々視覚障害者の仲間には、雪国で活躍中あるいは活躍された方もおられると思います。雪は視覚障害者の行動を著しく制約するので、様々な工夫や努力などをされているのだろうななどと勝手に想像しています。雪のある地域で活躍されている方、活躍された方の投稿をお願いできれば幸甚です。そのような方の情報でも結構です。どうぞ宜しくお願いいたします。

(長岡 保)

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