特定非営利活動法人タートル 情報誌
タートル 第14号

1998年10月9日第三種郵便物認可(毎月3回8の日発行)
2011年3月13日発行 SSKU 増刊通巻第3771号

目次

【巻頭言】

「ロービジョンケアと結びついた就労支援システムの構築を」

副理事長 工藤 正一

「タートルの会」が発足してまだ2年目の1997年の夏のことでした。思い余っての一本の電話があり、緊急に相談会を開きました。黄斑変性(視覚障害4級)で仕事に支障が出てきたところに配置転換の話が重なり、どうにもできなくなったFさんが、NHKラジオ第二『視覚障害者の皆さんへ』(現在は『聞いて聞かせて〜ブラインド・ロービジョン・ネット』)で放送された「タートルの会」の電話番号を偶然にも書き取っていました。それがきっかけで、次のような流れで危機を乗り越え、その後無事定年まで働けたということがありました(注1)。

その流れとは、(1)本人から一本の電話(機敏な対応)→(2)緊急個別相談会開催(ハローワーク職員の助言とキーパースンの存在を確認)→(3)ロービジョンケアの実施(当時の国立身体障害者リハビリテーションセンター病院で単眼鏡、拡大鏡、拡大読書器、パソコン画面音声化ソフトの体験と必要な援助)→(4)職場の健康管理センターとの連携(保健師との意見交換)→(5)障害者職業センターとの連携(保健師との同行相談)→(6)障害者職業総合センター職業センター職業講習(注2)受講(研修扱いで1カ月間の在職者訓練)→(7)職場復帰(障害者職業カウンセラーの訪問支援=復帰前も含めてのジョブコーチ的支援)というものでした。これは、今日的にも実に先進的だといえます。何が今日的かといえば、「ロービジョンケアと産業保健の連携」と「在職者訓練とジョブコーチ支援」ではないかと考えています。中でも、これまであまり言われてこなかった前者ではないかと考えるものです。

私たちが以前からロービジョンケアの重要性を訴えてきたのは、誰もがかかる眼科のところで、適切なロービジョンケアが行われれば、働き続けることを諦めずにすむ人が多いと実感しているからです。また、なぜ産業医なのかといえば、職場には視覚障害をもった労働者が一人や二人はいるはずで、それぞれに悩みを抱きながら働いております。彼らの雇用継続のためにも、その悩みに職場の誰かが気づく必要があり、それが産業医だと思うからです。そして、その産業医がロービジョンケアを知っているかいないかが大きな問題ですが、最近の相談の成功事例の中には、眼科医の診断書や意見書、産業医に対する情報提供書が就職や職場復帰に大きな役割を果たしたものがあり、眼科医と産業医の連携の重要性を実感しています。

今、ロービジョンケアに対する社会の関心と要求が高まり、診療報酬化が強く望まれているところでもあり、ロービジョンケアと結びついた就労支援システムの構築が待たれています。

注1:1997年11月15日発行の「タートルNo.7」に掲載。
注2:この「職業講習」は現在はありません。現在は「障害の態様に応じた多様な依託訓練」などを有効に活用できます。

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【1月交流会・講演1】

「社会制度を活かして働く」
副題:視覚障害リハビリテーションを研修として運用する

鈴木 佐知子氏

ただいまご紹介にあずかりました鈴木佐知子と申します。学校の教員で、教えている教科は美術です。皮肉にも一番視覚を必要とする教科なのです。
私は、小さい頃から絵を描くことや物を作ったりするのが大好きでしたので、美術の教師になりました。作品も作っており、昨年は京都市美術館と福岡市美術館、そしてニューヨーク市のセーラム画廊で展覧会をさせていただく機会に恵まれました。今年は、名古屋と仙台を予定しています。今は3月の搬入に向けて、作品を作っている最中です。

このような事を言うと、すごく元気な人のように感じられるかもしれません。元気は元気なのですが、生活の仕方を工夫しながら過ごしていますし、結構慎重に計画的に物事を進めています。私の話は、現在の仕事を調整しながら、今までの仕事を辞めずに続けるという話です。

次に、自分の障害についてお話します。職場では、障害について同僚は知っています。 障害に至るまでの話なのですが、6、7年ぐらい前から症状が悪化しまして、白内障の手術を受けました。元千葉大の先生でいらした医師の安達先生を主治医としまして、平成19年の11月に手術をして成功しましたが、症状は改善しませんでした。
専門が美術、教えるのは中学生、非常に多感な時期の生徒たちを前にして、全身全霊、風邪などを跳ねのかす気力で授業に取り組んでいますし、視覚的に問題があっても乗り越えられるように日々努力しています。この時期に大きな挫折を味わいました。

本題である演題「社会制度を活かして働く」、副題「視覚障害リハビリテーションを研修として運用する」ということでお話します。障害者に対する社会制度は、いろいろあると思いますが、その中の1つというふうに理解しています。
実はこの言葉を知ったのはそんなに前ではありません。手術後、タートルの相談会の機会を得まして、私の歩き方のことなどを話しながら、そろそろリハビリテーション訓練を受ける時期ではと勧められて、新宿にある東京都視覚障害者生活支援センターで訓練を受けることになりました。
この視覚障害リハビリテーションの意味や内容をご存じの方、それから訓練を受けられた方が、数多くいらっしゃるのだと思っていましたし、会場の皆さんも知っていて、訓練を受けられているだろうと思っていました。けれど、ご存知のない方が多いようですので説明します。私は訓練を受けた側ですので、間違っているようであれば、のちほど専門の指導者の先生からの補足お願いします。

視覚障害リハビリテーションというのは、主として中途で視覚に障害を受けた人が、日常生活や社会生活を送る上で必要な歩行の訓練、点字の訓練、情報機器操作訓練、それと調理・お掃除・お裁縫などの日常生活動作の訓練を行って、社会復帰を図るための訓練を目的としている、というふうに私は理解しております。

講演の主旨ですが、訓練を研修で受けることが出来たというお話です。視覚障害リハビリテーションの訓練は、仕事をしながら研修として運用した事例というのは、今まで報告されていないと聞いています。それが今回、退職や休職をせずに、研修として運用ができたことを報告できることを喜ばしく思います。
もう1つ付け加えて、病気、療養などと扱われていたのですが、そうではなく、仕事や生活に必要な学習と勉強・必要な技能を習得するという解釈が認められたということが、意義があることではないかなと思います。

今まで認められないことを認めてもらうということで、多くのエネルギーが要りました。問題解決のために一人で戦いながら、失敗はできない、教師を辞めたくないと思いながら、1年の間、仕事と訓練を並行して続けることを目標として、集中的に働きかけをしました。時には、大胆な行動をして一歩踏み出さなければなりません。目標を達成するために、根気強く努力を続けることが必要だと思います。

経過に戻りますが、平成20年3月東京都視覚障害者生活支援センターで訓練する際には、研修にて願い出たのですが、療養休暇での取り扱いになりました。最初は、3ヵ月間を療養休暇として訓練しましたが、時間の経過は早く、訓練は終わらない、辞めてしまおうか、仕事に戻れば訓練はできないと悩みました。
休職する方法もあります。休職というのは、療養、病休と違いお給料の面での差や待遇が全く違いますし、戻る時の審査が厳しくなり、3年間休職を取ると、職場に戻れないということを数多く知っていますので、休職は避けたかったのです。
いろいろ考えて、一回職場に戻り事情を話した際、「教員には、長期の夏季休暇という研修期間がありますので、その期間を活用して、訓練をさせていただけませんか」というと、すぐに認めてもらえました。この時点で、研修期間を利用して、訓練を受けているという事実が成立されたわけです。
9月になり、まだ訓練が終了していませんので、夏休み中に上司に相談を願い出たのですが、「鈴木さんが、9月に戻られた際に話をしましょう。」ということで、全く相手にしてくれませんでした。

私どもは教育公務員なので、教育委員会の職員人事課に直接お願いにあがろうと考えましたが、タートルの先生方からは、一人では行かずに弁護士と行った方が良いということで、日本で3番目に全盲の弁護士となられた大胡田誠先生とご一緒することになりました。
大胡田先生が、ご一緒していただけるということで準備をしていたのですが、大胡田先生から「辞めろとか、いじめられているなどの事実は無いのだから、逆に僕が行くときつすぎるかな」ということで、東京都視覚障害者生活支援センターの長岡課長にお願いし、同席していただくことになりました。
事前に連絡はしていたのですが、部外者の入室はお断りしますと言われましたので、私だけが入室して、相談しました。予定の30分を越えて1時間以上となりました。退室後、立ち話ではありますが、視覚障害リハビリテーションについて委員会の方に長岡課長が話して下さいました。身にあまる協力を受けました。 9月学校に復帰した際、上司から声を掛けられ、「鈴木さん、6年経ったので異動時期となるのだが、この学校で精進して下さい」「そうして、今受けている訓練を研修として月に2回認めましょう」と言われました。
ただ、月に2回の訓練は、少し少ないなと思いましたが、研修と認めていただいたので、快く「有難うございました」とお伝えしました。その後、校長をはじめ周辺の方々の対応が変わってきました。

長々とお話しましたが、この一件を成功例と言わせてもらえれば、私なりにそれを導くための工夫がありました。ご紹介しましょう。

3つありまして、1つ目は、できるだけ大勢の味方を持つことです。特に専門職の方を巻き込んでいきました。正しい情報と知恵を与えていただきました。2年の間にどれ程多くの人と知り合い対話したことか。医師・法律家・教員・福祉関係の方・行政職の方等大勢交流を持ちました。
2つ目は、慎重に資料や情報を収集することです。十分な資料を集めて、何かあったときにはすぐに出せるようにしました。録音でもいいと思います。私の場合はロービジョンということもあり、文字が大きければ少しは読めますので、活字の情報にて資料をまとめました。記憶は定かではありませんから、今までの自分の実績や、いろいろな方からのアドバイスを記録しておいた方がいいと思います。文字やテープなどにてストックしておくことです。私は、面接やお願いなどに行くときには、その中から選んだものを持参していました。私が教育委員会の職員人事課にお願いにあがったときは、人事院通知全文のA4の1枚のレポートを持参しました。後半は研修の運用となりますので、大事な文章なのです。
3つ目は、行動的に活動することです。計画的に慎重に行動しつつ、やるときはやる、行くときは行くという大胆な行動をとる勇気を持つことです。ただ、勢いだけで失敗してしまうことのないようにしなければなりません。

先程安達医師という名前を出しましたが、先生のところに伺ったのは3年前です。私は初対面のときに、美術の教員で、絵も描いていますと言ったからでしょうか、先生の著書で画家が登場する一冊の本をくださいました。
その本には、エドガー・ドガの晩年は、もうほとんど失明の状態にあったと書いてありました。また、クロード・モネも、最晩年は白内障がひどい状態でした。睡蓮の絵などは、最期の方がいいと言う人もいますが、見えない状況で絵を描いていたのです。しかし、それがいいなと思う人もいるというのは不思議なものです。そのような励ましの意味をこめて、本を下さったのだと思います。

それから、二人の人を紹介してくれました。一人は患者で、会社を退職し、少しでも見えるうちに自分が好きだった絵の技術を生かしてイラストレーターになった方です。もう一人は医師で、神奈川県の福祉関係に所属する方です。その二人と連絡を取りながら、タートルを知ることになるわけです。

タートルにて相談会を開いていただいて、松坂先生、重田先生、篠島先生、下堂薗先生、工藤先生、山口先生の皆さんが相談員になってくださって、いろいろな相談をさせていただきました。その中で、新宿センターに通所し、長岡課長をはじめ指導員の方や訓練生の人たちと出会うことが出来ました。
面識がない人に電話をしたり、お会いしたりするのは、ちょっと勇気が要りますが、時には大胆な行動も必要なのです。このようなことをしなければ扉は開かないのです。

最後になりますが、まとめとこれからの課題についてです。
私が言いたいことは、何より「自立すること」です。お手伝いをしてくれる人、支援をしてくれる人に頼りすぎてはいけないのです。社会制度は整ってきましたが、障害を持っている私たち自身が、自立しなければいけないということです。自分がやらなければ問題は解決しないのです。問題がそれぞれ違いますので、他の人の手では解決しないのです。そのためにも、各個人はものすごく努力をしなければなりません。

例えば、就職ができない人、就職していない人も、それぞれ違いますが、就職している人も、先程言ったように様々な苦労をしておりますので同じです。就職するための最大限の努力を今申し上げたいくつかの方法以外に、数多くあると思いますので、ぜひ努力をしてください。
私が研修で訓練を受けていることを知って、どうしたら研修がとれるのかたずねてきた人がいます。公務員事務職40代男性ロービジョンの人でした。休職して9ヶ月ほどでほぼトレーニングは終了したのだが、研修がとれるなら、週2回訓練をしたいと言いました。「職場からしてみれば、週3回しか仕事をしないことになりますが、それで仕事になるのですか?」どうしても訓練が必要なので研修を願い出るのと、研修がとれそうだから、訓練するのでは意味が異なります。私は月に2回訓練を受けていますが、仕事の面からすると、これが精一杯の日程です。訓練が終了したら一刻も早く職場に戻り成果を仕事に反映しようとする姿勢が必要です。社会制度を正しく活用しましょう。公務員の立場、障害者の立場に甘えない。

最後に、職場へのフィードバックについてお話します。
月2回の研修ですが、研修計画を上司に提出し承認を受け、研修後は翌朝記録ノートを提示します。また、毎回報告書を提出します。授業に研修の成果を反映することが目的です。教員の授業力の向上を目指します。現在のところは途中で何とも言えないのですが、視覚障害リハビリテーションで受けた訓練を仕事に活かすことができて初めて社会制度を活かして働くことになります。そのようになることを目指したいものです。研修の成果をこれから先に報告できるように願いつつ、私の話を締めくくりたいと思います。
以上にて、講演を終わります。皆さん、ご清聴ありがとうございました。

鈴木 佐知子(すずき さちこ)氏プロフィール
横浜市立中学校教諭
1990年以降 横浜市中学校美術科研究会役員、同教育課程運営・改善研究委員、同教育課程編集・評価研究委員などを歴任。
1991年  横浜市教育委員会より内地留学生として横浜国立大学大学院教育学研究科美術学科修士課程に派遣され1993年修了。並行して個展、グループ展など作家活動。
1996年4月 美術教育の研究を深めるため、母校・東京学芸大学大学院教育学研究科芸術系教育講座博士課程に入学。
1999年3月  同課程修了。
2000年頃  視覚異常発症、読書、作品製作に苦労するようになる。進路指導主任として活動、他者の支援が必要となる。
2007年11月 千葉大学名誉教授を主治医として白内障両眼手術。
2009年3月  3ヶ月間療養休暇取得。東京都視覚障害者生活支援センターにて視覚障害リハビリテーション訓練受講。訓練期間は約1年間の予定だったが一度職場に復帰。
同年9月  訓練が研修として受講できるように、教育委員会に要請し、承認を得て、視覚障害リハビリテーションを受講中。教育者として通常の職務と研修を行う傍ら制作活動を継続。
2010年7月 京都市立美術館、福岡市立美術館、同年9月  ニューヨーク市セーラム画廊で展覧会を開催。
現在、モダンアート協会会員、日本デザイン学会会員、大学美術教育学会会員、美術科教育学会会員、日本美術教育連合会員、として活動中。

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【1月交流会・講演2】

民間企業への助成を含めた社会制度と昨今の動き

理事 下堂薗 保

初めに

先ほど鈴木先生が紹介した人事院通達「障害を有する職員が受けるリハビリテーションについて(通知)」は、すべての視覚障害労働者に適用されて然るべき、合理的配慮に該当すると言っても過言でないと思量される内容を包含しています。にもかかわらず、民間企業で働く視覚障害労働者には、直接適用されない盲点があります。反対に、納付金によって運用される助成制度は、公務員労働者には適用されない同様の現実があります。

以下、障害者雇用納付金制度にまつわる各種助成金制度、国の視覚障害者に対する支援施策、その他視覚障害者に有用な日常生活用具給付制度等について紹介します。

1.雇用納付金制度

この制度は、障害者の雇用に伴う事業主の経済的負担の調整を図るとともに、全体としての障害者の雇用水準を引き上げるために、雇用率未達成企業(常用労働者200人超)から納付金を徴収し、雇用率達成企業に対して調整金(常用労働者200人以下については報奨金)を支払うことにより、雇用率未達成事業主と達成事業主間の経済的負担の公平を図ることを目的としています。
この納付金制度に基づき、以下のような助成金制度が設けられています。

2.納付金制度に基づく助成金制度

事業主や事業主の団体が障害者を新たに雇い入れたり、障害者の安定した雇用を維持するために、作業施設や設備の改善をしたり、職場環境への適応や仕事の習熟のためのきめ細かい指導を行ったりする場合には、少なからぬ経済的負担がかかることがあります。障害者雇用納付金制度に基づく助成金は、その負担の軽減を図ることで障害者の雇い入れや継続雇用を容易にしようとする制度です。

これらの事業は、(独立行政法人)高齢・障害者雇用支援機構(以下「機構」)(電話03−5400−1600)が行なうことになっています。が、音声パソコン等の貸し出しを除き、納付金徴収、助成金や報奨金等の支給手続き等実務は、全国各地におかれている(社)雇用開発(促進)協会に業務委託されています。

A.助成金の種類。
 助成金は、物品の貸与、職場介助等々、いろいろなものを対象にしています。
(1)障害者作業施設設置等助成金
障害者を常用労働者として新規に雇い入れたり、継続して雇用する事業主に対して、障害者が作業をしやすくするための施設・設備を設置したり整備する場合、費用の一部を助成するもの。
(例:事務所などの音声ガイド付きエレベーターの改修、点字ブロックの敷設、施術所の整備、音声パソコン、拡大読書器の購入、貸し出し等)
(2)障害者福祉施設設置等助成金
 障害者を常用労働者として新規に雇い入れたり、継続して雇用する事業主、またはその事業主の加入している事業主団体が、障害者の福祉増進のために、保健・給食・教養文化施設などの福利厚生施設の設置・整備をする場合、その費用の一部を助成するもの。
(例:保健休養室整備、付属する設備購入)
(3)障害者介助等助成金
 障害者を新規に雇い入れたり、継続して雇用する事業主が、雇用管理を行うために、障害の種類や程度に応じて必要な介助などを実施する場合、その費用の一部を助成するもので、次の8種類に分けられます。
@ 重度中途障害者等職場適応助成金
中途障害者の職場復帰にあたって、職務開発・能力開発などの職場適応を促進するための計画を作成し、それに基づいて措置を行った場合に、その費用の一部を助成するもの。
A 職場介助者配置・委嘱助成金
重度視覚障害者・四肢機能障害者に対し、その障害特性にふさわしい職場介助者を配置したり、介助の委嘱を行った場合に、その費用の一部を助成するもの。
B 職場介助者の配置・委嘱継続措置助成金
前記Aの職場介助者配置・委嘱助成金を受給した事業主に対して、継続して職場介助者の配置や委嘱を行う場合、その費用の一部を助成するもの。
C 手話通訳担当者委嘱助成金
聴覚障害者の雇用管理にあたって、手話通訳者を委嘱する場合、その費用の一部を助成するもの。
D 健康相談医師委嘱助成金
内部障害、中途視覚障害、精神障害等医師の存在を必要とする障害者の健康管理のために医師を委嘱した場合、その費用の一部を助成するもの。
E 職業コンサルタント配置・委嘱助成金
障害者の雇用管理のために、職業生活に関する相談や指導を行う職業コンサルタントを配置または委嘱した場合、その費用の一部を助成するもの。
F 業務遂行援助者配置助成金
重度障害者の雇用管理のために、業務遂行に関する援助・指導を担当する者を配置する場合、その費用の一部を助成するもの。
G 在宅勤務コーディネーター配置・委嘱助成金
企業との関係が、ICTメディアによるだけになりがちな在宅勤務障害者の雇用・業務管理について、それを専門に担当する在宅勤務コーディネーターを配置したり、委嘱する場合、その費用の一部を助成するもの。
(4)職場適応援助者(ジョブコーチ)助成金
障害者の雇い入れ、または職場定着に際し、円滑に職場適応ができるよう支援する職場適応援助者(ジョブコーチ)を配置した社会福祉法人など(下記の第1号に当る)と、事業主(下記の第2号に当る)がジョブコーチによる支援を行った場合、その費用の一部を助成するもの。
@ 第1号職場適応援助者助成金
厚生労働省が定めた機関で研修を受け、資格を得たジョブコーチを配置して、障害者の支援を行う社会福祉法人、NPO法人などの法人が対象。
A 第2号職場適応援助者助成金
厚生労働省が定めた機関で研修を受け、資格を得たジョブコーチを自ら配置した事業主が対象。
(5)重度障害者等通勤対策助成金
 重度身体障害者等、通勤が特に困難と認められる者を新規に雇入れ、または継続雇用している事業主や事業主団体が、これらの者の通勤を容易にするための措置をとった場合、これにかかる費用の一部を助成するもの。
(例:住宅新築・賃貸、指導員配置、通勤援助者委嘱、駐車場賃借などの費用)
(6)重度障害者多数雇用事業所施設設置等助成金
 重度身体障害者、知的障害者、精神障害者を、多数新規に雇い入れたり、継続雇用して安定雇用の継続が認められる事業主に対して、事業施設等の設置・整備及び一定期間経過後の改善等に関する費用の一部を助成するもの。
(7)障害者能力開発助成金
 事業主または、事業主団体・社会福祉法人などが、障害者である従業員の能力開発訓練のための施設・設備を整備した場合、その費用(運営費、施設設置、施設・設備更新、受講費)の一部を助成するもの。
(8)グループ就労訓練助成金
 短時間勤務がやむを得ないなどの障害者が、グループ(3〜5人)単位で就労訓練をする場合、実施主体である事業主または就労支援組織に対して、指導員の費用の一部などを助成金として支給するもの。
@ 請負型
就労支援を行う社会福祉法人、NPO法人などが、企業から業務を請負い、障害者のグループを編成して指導員の支援のもとに企業内で訓練させ、常用雇用への移行を促進するもの。
A 雇用型
 企業が数人の障害者グループを雇用し、指導員をつけて企業内で訓練し、常用雇用への移行を促進するもの。
B 派遣型
 人材派遣会社(人材派遣の派遣元)が、障害者をグループで派遣し、派遣先企業で指導の下、訓練し、常用雇用への移行を促進するもの。
C 職場実習型
 特別支援学校高等部3年生を対象に事業所での就労実習を行い、その企業での常用雇用につながった場合、企業に対して助成するもの。

B.雇用促進相談事業
 機構は、障害者雇用アドバイザーを置き、企業経営の視点からの障害者雇用に関する相談、助言を行っています。
 また、都道府県に設置している地域障害者職業センターは、就職を目指す障害者や障害者の雇用を考えている事業主に対して、就職や雇い入れ、職場定着等にかかる支援・サービスを提供しています。

C.職業能力開発訓練
 技能の習得と向上を図る能力開発のための「障害者の態様に応じた多様な委託訓練」が「求職者(=離職している者)」に加え、「在職者(=職場復帰を目指す者)」に対して行われています。
(1)求職者職業訓練コースと施設
1年間(ハローワークを経由する)
6ヶ月間、原則として事業主からのオーダーメイド
・国立職業リハビリテーションセンター(04-2995-1711)
・国立吉備高原職業リハビリテーションセンター(0866-56-9000)
・(社福)日本ライトハウス(06−6961−5521)
・(社福)日本盲人職能開発センター(03-3341-0900)
・福岡障害者職業能力開発校(093-741-5431)
(2)委託訓練・在職者訓練コースと施設
 在職障害者(休職中の者を除く。)に対して、雇用継続に資する知識・技能を付与するための訓練。実施主体は、・国立県営障害者職業能力開発校、・都道府県立公共職業能力開発校、・県立県営障害者職業能力開発校等都道府県です。
・視覚障害者就労生涯学習支援センター(03-6379-3888)は、上記能力開発校から委託されて訓練を実施しています。
この訓練の概要は、次の通りです。
@ 訓練期間:原則として3ヶ月以内
A 訓練時間:下限12時間、上限160時間
B 訓練形態:
a)知識・技能習得型(受講者が訓練施設に出向いて受講する)
b)指導員派遣型(在職者の勤務先に指導員が出向いて訓練する)
c)e-ラーニング型(インターネット利用の通信経由で訓練する)
C 受講前の留意事項
 この訓練は、実施主体者の都道府県から予め見込み申請が出され、予算措置が講じられていることが前提になっています。この措置が講じられていないと、受けたくても受けられない不都合が起きる恐れがあります。そのため、この在職者訓練を受けたい希望がある場合、確実に受けるために、事前に能力開発校に対して、受講希望を伝えておくことが望まれます。

3.国の視覚障害者に対する雇用支援

(1) 求職視覚障害者の「就職支援」と在職視覚障害者の「継続雇用支援」
厚生労働省障害者雇用対策課長は、平成19年4月17日付けで各都道府県労働局に対して、「視覚障害者に対する的確な雇用支援の実施について(通知)」により、求職視覚障害者の「就職支援」と在職視覚障害者の「継続雇用支援」の2本柱を明確にした上で、ハローワークが中心となり、障害者職業センターなど関係機関と密接に連携を図り、眼科医、支援団体等と協力し、ティームによる支援を行なうことを指示しました。

(2) 障害者雇用対策基本方針(平成21年厚生労働省告示第55号)
 厚生労働省は、平成21年度を初年度とする4ヵ年計画「障害者雇用対策基本方針」という告示により、中途視覚障害者の雇用継続のためには、ロービジョンケアと関係機関との連携した支援が重要である旨を明示し、「中途障害者について、円滑な職場復帰を図るため、全盲を含む視覚障害者に対するロービジョンケアの実施、パソコンやOA機器等の技能習得を図るとともに、必要に応じて医療、福祉等の関係機関とも連携しつつ、地域障害者職業センター等を活用した雇用継続のための職業リハビリテーションの実施、援助者の配置等の条件整備を計画的に進める」と明記しました。

(3) 障害を有する職員が受けるリハビリテーション
 人事院が出した平成19年1月29日付け「障害を有する職員が受けるリハビリテーションについて(通知)」は、公務員を対象にしたものですが、内容的には「合理的配慮」のお手本と言っても過言でないと思えること、視覚障害労働者には官民問わず平等に適用されて然るべきと思量されることからここにその内容を紹介します。
@ けがや病気が治る見込みがなくても、医療行為として行われるリハビリテーションは病気休暇の対象とする。
A 点字や音声ソフトを使ったパソコン操作など、復職に必要な技術を習得する訓練は、人事院規則に基づく研修と認める。と、ICT時代に合致した画期的な解釈を加え、不治の疾患を有する者に就労継続の可能性を高めました。
 この通知が出されるまでは、網膜色素変性症など治る見込みのない疾患は、「療養」に該当しないとの解釈の下、病気休暇や休職制度が適用されない状況が続いていました。この通達によって職場復帰のために受ける生活訓練や職業訓練が、現行の病気休暇・休職制度や研修制度の中で受けられるように、方針の大変換が行なわれました。
※参考 定義:療養とは・・・病気の治癒のための「治療」と「養生」をいう。
さらに、療養には適切な医療機関への受診や服薬の管理、褥瘡予防など医療と介護の両方が必要とされている。

4.日常生活用具給付制度

地方自治体は、障害者が自立した状態で日常生活を円滑に過ごす一助のため、必要 な機器の購入を助成しています。

例えば、東京都S区の場合、視覚障害者に対する情報機器として、
・点字ディスプレイ
・活字文書読上げ装置
・視覚障害者用拡大読書器
・画面音声化ソフト
・電子メール音声化ソフト
・ホームページ音声化ソフト
などがその対象とされています。
これらのスキルアップのための有効活用は、業務効率向上の一助に役立てられるものと思量されます。問い合わせ窓口は、居住地の障害福祉課等です。

おわりに

視覚障害者の雇用拡充・就労定着のためには、民間企業であれ公務員であれ、雇用主が社会連帯の理念にもとづき、視覚障害当事者と協力して、雇用の安定に努めることが法令上望まれています。

実はこの理念どおり、民間企業主が、視覚障害者と一体となり、人事院通達の内容を先取りして職業訓練を受講させた事例があります。
この事例は、視覚障害当事者が雇用主に対し、人事院通達の情報を積極的に提供し、職業訓練を受けさせてもらうように要望したことに応えたもので、雇用主が業務能率向上を勘案のうえ、本人の熱意を受けて実現したものです。

ちなみに、鈴木先生は、上述の民間企業の方と同様、管理者に情報を提供する一方、ねばり強くリハビリテーションの必要性を説き、理解してもらった上で、視覚障害リハビリテーションを教員研修制度に組み入れて実現させました。そして、他の事例では、「職免制度」を利用して職業訓練を受講しているケースもあり、徐々に拡がりをみせています。

この事実は、新しい制度を活かすためには、われわれの方が雇用主に対して、積極的に情報を提供するとともに、自らに訓練を受けさせてくれるように要望するなどアクティブな行動が重要なことを証明したものと言えます。

最後に、私が当面の課題として考えていることをここに提言します。

(1)人事院通達の考え方が、民間企業障害労働者に対しても適用されるしくみつくりを繰り返し要請すること。
(2)内閣府の障害者制度改革推進会議が、権利条約の批准をにらみながら改正を検討 している「障害者基本法」等の中に合理的配慮の一つとして、人事院通達の内容を盛り込むこと。
(3)厚生労働省告示第55号において、明記されている「ロービジョンケア」の拡充と、診療報酬化の実現を図ること。
(4)各種助成金制度を始め現行の支援制度は、民間企業に雇用されている障害者を対象としている制度のため、公務員は対象にならない欠点を改め、公務員視覚障害労働者も受けられるように制度の改善を図ること。
(5)委託訓練が在職者にまで拡充されているが、訓練施設が少ないため、受けるにも受けられない地域間格差があることに鑑み、この改善を図るため都道府県をまたがって受けたいという事例に対して、経済的負担を軽減する支援制度を講ずること。

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【定年まで頑張りました】

「定年まで勤務しました(定年2回)」

理事 長岡 保

埼玉県在住の長岡と申します。間もなく61歳で全盲、病名は網膜色素変性症です。昨年3月末で、2回目の定年退職となり、現在は無職です。2回の定年と聞いて、不思議に思われる方が多いのではないかと思います。私は、元陸上自衛官で満55歳の誕生日で、有無を言わさずクビ(定年)となりました。その後、民間企業で5年間勤務させていただき、昨年3月末、60歳で2回目の定年となったというわけです。

民間企業に再就職してから、2年半くらいして、視力低下が急激に進み始め、後半は精神的に本当に、苦しい勤務でした。この度、定年まで続けた者がいると言うだけで、現在勤務されている方の小さな希望になればとの思いで投稿させていただきました。

自衛隊勤務は、55歳まで約37年間勤務しました。この間、居住地を変える転勤12回、居住地の変更を伴わない転勤を含めると17回異動しました。東北から九州まで、色々なところで勤務させていただきました。45歳の時に網膜色素変性症が判明するまでは、スポーツが好きで、当然ですが、他の隊員と全く変わらない、射撃、夜間訓練、体力検定、その他の勤務も普通に出来る隊員でした。網膜色素変性症と診断された以降は、医者に遮光眼鏡を薦められた関係も有り、上司や同僚に理由を説明して、5年くらいは、以前と全く同じように勤務をしました。判明当初は、視野が約30度くらいで、視力も0.9〜1.0位はあり、夜盲も感じませんでした。しかし、少しずつですが、視野狭窄、視力低下、それに夜盲が徐々に現れてきました。48歳の時、野外部隊の指揮官への転勤の打診がありましたが、病気の状況を、上司と人事担当者に説明し、昇進が遅れること、単身赴任であることも納得して野外部隊ではなく、後方部隊へ転勤させてもらいました。単身赴任だったのですが仕事は出来たので、自分の補職としてはもっとも長く3年半勤務させていただきました。その後、最後の勤務となった部隊は、上司、同僚がよく知っていた部隊であり、いろいろ便宜を図ってくれました。

こんなふうに言いますと、いかにも苦労もせず、定年まで勤めたように聞こえるかも知れません。でも、心の中は、妻子もあり、仕事や将来に対し、不安で不安でたまりませんでした。再就職してからの後半は、急激な視力低下、視野狭窄が進行し、更に辛い日々でした。

どのようにして、自分が60歳まで勤務できたのかを、自分なりに考えてみました。再就職への課程等も交え、記してみたいと思います。

先ず、自衛隊を定年まで勤務できたことの背景や要因についてです。

@ タートルとの出会い
都内の大学病院(網膜色素変性外来)の待合室で、タートルの方から交流会を教えていただき、会場が、勤務していた市ヶ谷駐屯地から300メートルくらいのところだったのです。そこに言ってみると、自分よりもっともっと見えない方が、いきいきと動いて、そして、目の病気で仕事を失いかけている人の相談に乗ったり、激励したりしているではありませんか。本当に驚きました。そして、勇気と元気を頂きました。また、その方たちが、仕事を終わってから、情報誌の発送、相談会等をやっておられるのです。目の見えている自分が、腐っていてはいけないと思い、手伝わせてくださいと申し出ました。そう言うと格好よく聞こえるかもしれませんが、実は、『落ち込んではタートルの先輩たちから元気と勇気を頂き』の、その繰り返しだったと言うのが正しかったと思います。

A 職場環境
大方の人は、自衛隊は厳しいので、障害を持った人は、使えないのでクビになると考えると思います。自衛隊は、名称はどうあれ、軍隊です。戦争・戦闘になれば、負傷者、傷病者は多数出るわけです。その者達は、前線から後方へ送られ、治療を受け、治ればまた前線へ、前線で使えない者は、後方で出来る仕事をやるという仕組みになっています。負傷した者を見殺しにはしません。そのことは、平時から考え方は一貫していると考えます。このことは、その時の状況で、どこにやらされるかはわかりませんが、首にはしない。個人としては、与えられた仕事、出来る仕事はやらねばならないと言うことなのです。命令で行動しなければならない厳しさもありますが、反面、温かい組織だと考えることも出来ます。
単身赴任もありましたが、自分が出来る仕事に配置していただけました。当然、一生懸命やったつもりです。定年直前の勤務地は、若くしてクビ(定年)になるため、再就職を考慮し、通常、希望勤務地を聞いてくれます。命をかけた職業であり、若くして職を失うので、その辺の配慮があります。(ただし、有事はそうはいきません。逆に、定年も命令により延期されると言う状況になります。)
定年後は、鍼灸マッサージの道を考えていたのですが、就職援護制度があり、自分としても、視力が、まだ0.3から0.4くらいあったので、思い切って、民間会社への道を選択しました。先輩や同期の暖かい援助もあったからです。

B 周囲の人々への周知と理解
転勤や職務換えの都度、紹介行事があったので、自己紹介で、(再就職の時も同様)自分の病気と、医者から遮光眼鏡を勧められていること等を、最初の挨拶で言うようにし、理解していただきました。最初は辛いと感じましたが、みんなの前で言うことにより、気が楽になることを実感しました。

C 上司及び人事関係への報告
私は、病気がわかったときから、上司に報告しました。医者からの勧めで、遮光眼鏡を掛けるので、隠すわけにはいきませんでした。
また、人事の制度で、毎年、経歴管理と言って、希望勤務地や進みたい職務の方向を書かなければなりませんでした。その経歴管理に、身体的な職務上の制約、実施可能な職域等を書ける欄があったので、昇進や昇給等の不利益は承知の上で、しっかり書きました。
当時私は、自衛隊勤務も20数年経っており、下級部隊の指揮官や人事の職務も経験していたので、人事制度もある程度わかっていました。当然ながら、若干の不利益はありましたが、想定の範囲であり、不当な扱いはなかったと思っております。むしろ、できる職務を与えてくれ、定年まで勤務できたことに、感謝しております。

次に、再就職後についてです。

@ 職務内容等
営業本部に所属し、防衛省に関わる営業部と設計部を支援するというものでした。

A 人間関係
直属の上司は、私を採用時に推薦してくれた方で、大の自衛隊びいきの方でした。また、パートナーの営業担当者も、防衛省や自衛隊のことについて解らないので、とても頼りにされました。事務の女性の方も、マラソンやスポーツが好きな人で、話が合い、とても親切にしてくれました。上司、周囲の方にとても恵まれました。

B 環境の変化への対応(社屋の移転等)
当初、中野区の小さなビルが職場だったのですが、丁度2年経った時、秋葉原の新築のものすごいビルに移転が決まり、通勤、ビル内の配置等、大きな不安がありました。移転前に、何回も通勤経路とビル内の偵察をしました。休みの日に、妻に頼んで、食堂やコンビニ、人通りの少ない経路などを一緒に探してもらいました。まだ、入居の会社が殆どいなかったのが幸いでした。

C 視力の急激な低下と白杖の障壁
入社後2年半ほど経った頃、それまでは、頭で覚えていたことや、見えにくくても何とか見えていた視力で、社長や上司、営業担当に、防衛省施設をしっかり案内できていました。2ヶ月ほど間が空いて、訪問したところ、建物に入ると、急に見えなくなりました。調整相手や時間など、すべて自分が調整していたので、腹をくくって、自衛隊びいきの前記上司に、「見えないので、肩を貸してください。私が口で案内しますから」と言って、すごいプレッシャーの中で乗り切りました。その上司は、「あれでいい、長岡さんがついていってくれるだけで、話が出来る」と言ってくれました。次からは、医者から、安定剤をもらって、白杖を出して行動しました。(元いた職場に、白杖を持っていくのは、自分にとって、すごいハードルでしたが、生活の為、背に腹は代えられずでした。)

D 医者・薬と付き合いながら
何とか、白杖のハードルは越えたのですが、視力低下は治まらず、不安の日々が続きました。心臓の圧迫感、重苦しい夢を見る日々が続くようになり、神経内科を受診。精密検査の結果、身体は異状なし、ストレスからくる心身症という診断結果でした。この先生は、よく話を聞いてくださり、「視力低下の進行、仕事の継続、将来への不安等から来るストレスで、おかしくならない方がおかしいですよ。原因がはっきりしているので、薬と、ストレスを少しでも軽くするように心がけてみてください」と教えてくれました。薬をもらっての勤務が続きました。

E 生活訓練受講申し出
入社3年を少し過ぎた頃、通勤の不安と、精神面の辛さもあって、前記上司(この時、この方は定年となり、直属上司職は解かれ、嘱託で私の隣の机で勤務)に、思い切って、生活訓練の受講について相談したところ、総務部長(人事担当)に話をつないでくれました。すぐに、総務部長がわざわざ本社から足を運んで、説明を聞いてくれました。半年間の入所訓練を認めていただきました。処遇は、届出欠勤、給与はそのままでした。
背景を申しますと、タートルの仲間から、生活支援訓練や職業訓練等について聞いていたので、東京都視覚障害者生活支援センターに相談(見学)をして、通所、入所の仕組みや、受講日や時間も選択できることを確認しておりました。したがって、訓練受講の申し出の際、毎週1日出勤して、先行して調整、計画、貯まったメールの処置等を実施すると共に、電話で済まない時は、出勤をするということで、話を持ち出した経緯があります。

F 使用機器等について
勤務に当たって使用した機器は、拡大読書器と音声ソフトです。
拡大読書器は、ベスマックスという会社製のもので、自衛隊勤務の終わり頃に助成を受けて購入したものを会社の了承を得て持ち込み使用しました。これは、ディスクトップ型パソコンのディスプレイとほぼ同じ形状なので、自分の机で十分で、他の人に迷惑を掛けないのでよかったと思っております。
音声ソフトは、導入に苦労しました。秋葉原に移転した際、会社のシステムがロータスノーツに変わりました。丁度その頃から視力低下が始まり、音声ソフトがないと苦しくなってきました。自宅で、PCトーカーを使用していたので、高知システムに電話をして、職場のパソコンにも本人が使用するのであれば、許可をする旨確認しました。ところが、会社のシステム化に申し出て、PCトーカーをインストールしてもらおうとしたのですが、セキュリティ上、絶対に個人のソフトは認められないと言うものでした。もっともな話ではあるが、説得する方法はないかと、いろいろな方から聞いてみるうちに、ロータスノーツは、JAWSでないと動かないと言うことがわかりました。そこで、JAWSを使うにはどうすればよいかと言うことを、タートルの仲間に聞いて、井上英子先生(視覚障害者就労生涯学習センター)を教えていただきました。井上先生に相談したところ、障害者支援機構を通じて申し込んでくださいと教えていただき、30時間の講習の枠を頂きました。毎週半日、有給休暇をとって、他のソフトを含め教えていただきました。講習の後半頃、井上先生に、会社の事情を話したところ、システム化の責任者に説明してあげると言ってくれました。説明の場をセットし、井上先生が会社に来てくれシステム課長に説明してくれ、会社がJAWSを購入し、インストールしてくれました。補助金制度の説明があったのですが、あまりにも手間隙がかかるとのことで、システム化の経費で購入した模様です。

G 会社の宴会等について
私は、アルコールは嫌いな方ではありませんが、入社後1年を過ぎた頃から、飲み会は、事情を説明し、欠席しました。本心はわかりませんが、皆さん、理解してくれていたように思います。(ちなみに、自衛隊当時は、絶対と言ってよいほど、欠席はしませんでした。ダブっていた時は、掛け持ちをしてでも参加したくらいです。)

その他のことについて

@ 休日を利用し、ロービジョン訓練
タートルで知り合った仲間に、ロービジョンセルフトレーニングと言う会を作るので参加しないかと誘われ、毎月1回、土曜日に訓練を受けました。保有する視力を最大限活用する、各種機器や道具の使い方、歩行等を教えていただき、それを仕事や生活で実践すると言うもので、仕事をする上で、とても役に立ったと考えております。

A 地元視覚障害者団体とのかかわり
私にとって将来への不安は、50歳頃までは、経済的なところ(仕事の継続と子供の養育)でした。子供の養育にある程度目途が立つと、仕事の継続と漠然とした人生への不安(仲間や生きがい)の2つだったように思います。そして、仕事が終わった現在、目は見えなくなりましたが、大きな不安はなくなった様に感じております。それは、50代の前半頃から、地元の視覚障害のグループに入って活動していた結果、いろいろなサークルやボランティアグループとつながりが出来、仲間や、やれることも徐々に増えていったからだと考えています。

B 家族の協力
妻は、パートでは30代後半頃から働いておりましたが、私が自衛隊を退職する少し前から、常勤で働くようになりました。再就職3年目頃、視力低下が急に進みだし、最も辛い時期に『無理しなくてもいいよ』と言ってくれました。心が軽くなったように思いました。
 また、その頃から、昼食に行くのが大変になりました。毎日おにぎりと果物、飲み物を作って持たせてくれました。昼食に行くストレスが減り、有り難かったです。

C 気持ちの切り替えと考え方の変化
目の病気が判明して以降、自分は不幸だと感じておりました。また、視力低下が止まりますようにと、藁にもすがる思いで、神頼みをしたりしておりました。急激な視力低下が始まって間もない頃何気なく聞いていた、ラジオ放送で、「感謝の気持ちを持つこと。不幸と思うのは、自分が勝手に思っている、云々」と聞いて、その通りだと思いました。
確かに、仕事にも、家族にも恵まれて、毎日過ごしていることは、ありがたいことだと感じるようになりました。神頼みはやめて、感謝の気持ちを心がけるようになりました。それと同時に、頑張らず、流れに身を任せてみようと思うようにしました。(マインドコントロール)それで、気持ちが少し楽になったような気がします。
もう一つ切り替えたこと
あと3年とか2年と考えると、結構辛いものがありました。そこで、目標を、夏のボーナスまで、冬のボーナスまで、3月末まで等と短い目標を自分に言い聞かせ、達成感や新たな目標にして、ストレスの軽減を図るようにしました。姑息な手段かもしれませんが、自分の気持ちを、ダマシダマシしながら乗り切ったと言う方が正しいのかもしれません。

こうして、過去を振り返ってみると、40代半ばで、網膜色素変性症と言う難病で、中途視覚障害者になり、苦しい日々でしたが、その中では恵まれていたように感じております。私自身、職務上でぶつかったことはありますが、視覚障害を理由に苦情やいじめは一度もありませんでした。自衛隊勤務に限ってですが、視覚障害が判明した頃には、所属部署の責任者の立場にあり、その後も責任者の立場だったので、いじめや嫌がらせも受けなかったのかもしれません。私の見えないところで、組織や周囲の方々が、かばってくれていたのかもしれません。

今は、タートルはじめ、地元の複数の視覚障害のグループに入り、また福祉・教育ボランティア推進員として活動しています。また、20歳から45歳頃までやっていた趣味の駆け足をバンバンクラブと言う会に入って伴走をしていただきながらやっております。フルマラソン、ウルトラマラソンを楽しみたいと思っております。

現在、仕事で苦労されている方、仕事を探している会員の方もおられると思います。私のような甘っちょろい者の記事は、腹立たしいと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、これまで、いろいろな面でアドバイス、そして心の支えとなっていただいたタートルの先輩方及び会員の皆様方に、感謝申し上げたいと思います。

また、後に続く方に一つでも二つでも一人でも二人の方にでも、何か参考にしていただければと思い、投稿させて頂きました。

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【お知らせ】

1.平成23年度NPO法人タートル定期総会について

期日:6月11日(土)
場所:日本盲人職能開発センター(予定)
今年も、スカイプを使用した総会の実施を考えております。
5月中旬に開催案内、総会資料、委任状等を郵送させていただく予定です。

2.情報誌「タートル」のDAISY化(デジタル録音図書)について

現在、情報誌「タートル」はテープ講読を希望されている会員の方に、「YWCA朗読ボランティアグループ」のご厚意により、テープ版(カセットテープ)の情報誌を郵送していただいております。YMCA様では、いよいよ平成23年度からDAISY版(CD)を提供できるように準備が整ったとのことです。
つきましては、情報誌のDAISY版を希望される会員の方は、以下のタートル事務局まで電話またはメールでお申し込みください。4月30日までにご連絡をいただいた方には、「タートル15号」からお届けできる予定とのことです。費用は無料です。
また、テープ版も引き続き制作していただけるとのことですので、テープ希望の方はご安心ください。
なお、ご不明な点は以下のタートル事務局までお問い合わせください。

◎NPO法人タートル 事務局
電話  03-3351-3208
メール m#ail@turtle.gr.jp
 (SPAM対策のため2文字目に # を入れて記載しています。お手数ですが、上記アドレスから # を除いてご送信ください。)

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【編集後記】

平成22年度は、熱中症で死者が多数出た記録的な猛暑、そして近年にない大雪と寒さ、新燃岳の噴火等自然災害や、口蹄疫鳥インフルエンザ新型インフルエンザ等の疫病の流行など、厳しいニュースが多く感じられた年でした。

そのような中、タートルとしては、下堂薗理事長から松阪理事長へのバトンタッチ、そして、一部理事の交代等がありました。また、総会、交流会及び理事会におけるスカイプ通信の定着化が見られた年でした。スカイプ通信は、一部ですが、地方にいて総会や交流会に参加できる機会が増え、見えない私たちにとって、テレビ会議のように重宝な情報共有手段になったように思います。それでも、まだまだ十分とはいきませんが、この情報誌が、少しでも会員の皆様のお役に立てば幸甚です。

さわやかな春風が、新年度の窓に、心地よく吹きこんでくる日が間近ですね。

( 長 岡 保)

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