目次

表紙写真
巻頭言 日本視覚障害者職能開発センター常務理事 杉江 勝憲
日本視覚障害者職能開発センターの主な事業内容
日本視覚障害者職能開発センター40年間の歩み
特別寄稿
  『センター職員より』
  『タートル理事からセンターへ』
職業訓練を受けて就職しました!
結び 理事長 松坂 治男
お知らせコーナー
編集後記
奥付

表紙写真

社会福祉法人 日本視覚障害者職能開発センターの外観
訓練の様子

《特集》タートルとセンター

読者の皆様ご存じの通り、タートルは、社会福祉法人 日本視覚障害者職能開発センター 東京ワークショップ内に事務所を構えています。たくさんの相談を受けたり、交流会などの催しも、「センター」で行ってきました。その、タートルイコールともいえる「センター」が40周年を迎えました! 今回は、特集として、皆様にお届けいたします。

巻頭言

『タートルの皆さまへ!~創立40周年記念によせて~』

日本視覚障害者職能開発センター
常務理事 杉江 勝憲(すぎえ かつのり)

日本視覚障害者職能開発センターは、令和元年10月に名称を変更し、令和2年に創立40周年を迎えました。創立40周年を機に、タートルの皆さまに、この10年間の当センターの事業活動をお伝えしたいと思います。

まず特筆すべきことは、平成23年(2011年)に就労移行支援事業を定員11名で開始したことです。その後、利用者の増加に伴い、定員を平成25年(2013年)に18名、平成28年(2016年)に25名、そして本年度、令和2年(2020年)からは定員30名となりました。その間、利用された方は延べ447名に上り、就職された方は175名になります。

次に、就労継続支援B型事業(定員30名)です。利用者の方の作業はテープ起こしですが、月額平均工賃はこの10年間で平均95,926円を維持しています。ちなみに、令和元年度(2019年度)の全国月額平均工賃は16,000円ほどでした。また、平成27年度(2015年度)の月額平均工賃98,735円は、全国社会就労センター協議会の全国工賃調査では626施設の中で全国第1位でした。

続いて、OA実務科事業(定員5名)です。平成9年(1997年)に開始した東京障害者職業能力開発校の委託訓練事業です。就労移行支援事業を開始する以前からあった就職を目指す事業ですが、開始以来253名の利用者と206名の就職者(旧事務処理科を含む)を輩出しています。

また、タートルの皆さまが熱望していた新しい事業として、平成30年(2018年)から就労定着支援事業を開始しました。職場定着を目指す事業ですが、現在、16名の方が利用されています。そして、令和2年(2020年)からはジョブコーチ(就労移行支援修了者対象)を開始しました。

その他、公益事業では、視覚障害者の方々に日本商工会議所PC検定試験の2級、3級の受験を可能にし、全国9か所で受験ができるようになりました。また、全国のロービジョンの方々を対象にセミナーの開催を続けました。

以上、10年間を振り返りましたが、今後、創立50周年に向けて、当センターの基本理念「視覚障害者の職業を開発し、訓練と支援を行い、社会参加の促進を図る」に基づき、職員一同、タートルの皆さまと共に、その実現に取り組んでまいります。

最後に、日本視覚障害者職能開発センターの現在の事業などを詳しく知りたい方は当センターホームページをご覧いただくことをお勧めします。
https://www.jvdcb.jp/

日本視覚障害者職能開発センターの主な事業内容

◎就労移行支援(定員30名)

※就労移行支援事業開始から10年間で175名の方が新規就職されました。

基礎コース(8か月 約80時間)

音声パソコン初心者の方にもタッチタイピングの基礎から段階的に訓練しています。
・タッチタイピングの練習
・Windowsの基礎操作
・ワード
・エクセル
・インターネット入門
・メール入門

応用コース(6カ月 約400時間)

画面読み上げソフト「JAWS」を使用し、より高度な職業訓練を行います。
・Windowsの基礎操作
・ワード
・エクセル
・インターネット
・アウトルック
・パワーポイント
・アクセス
・日商PC検定受験対策(文書作成・データ活用)
・秘書検定受験対策
・英会話
・ビジネスマナー
・その他、就労に必要な支援

速記コース(1年間 約1200時間)

フルキー六点漢字入力を用いて速記の技術を身につけます。
・Windowsの基礎操作
・かなタッチタイピングの習得
・フルキー六点漢字入力の習得
・漢字の使い分け習得
・「聞き書きくん」を使用した速記録の作成
※「聞き書きくん」とは、フットペダルを使用したMP3ファイルの音声再生システム

ビジネス・ワークコース(1年間 約1400時間)

様々な画面読み上げソフトを使用し、プログラミングや学科科目等も含んだ、一般就労に必要な幅広い内容の訓練を行います。
利用期間や部分受講についても、ご相談に応じています。
※カリキュラムはOA実務科に準じます。

◎就労継続支援B型(定員30名)

視覚障害者がパソコンを使い、録音された音声を文字化する仕事をしています。
政府の審議会や審査会をはじめ、講演会や研修会などのさまざまな「音声を文字に」しています。

〈文字起こし作業の流れ〉
1.収録
会場に出向き会議の様子を録音します。会場や出席人数に合わせてマイクを準備します。
2.タイピング
録音された音声を、当センターで視覚障害者用に開発したソフトを使って「文字」にしていきます。お客様のご要望に応じて、全音記録や逐語記録など入力方法を変えながら必要な文章処理を行います。
3.校正
打ちあがった文章は、校正を手伝ってくださる協力者の方が音声と照合します。
句読点や送り仮名は適切か、聞き間違いがないかなどを確認し、その後訂正箇所を修正して製品に仕上がります。
4.納品
出来上がった製品を、電子データや印刷物で納品します。

〈主なお客様〉
厚生労働省(審議会・社会保険審査会・労働保険審査会・中央労働委員会)、杉並区、有斐閣、日本アイ・ビー・エム、弁護士事務所、都立駒込病院、産業技術総合研究所安全衛生技術試験協会、医薬品医療機器総合機構

※「東京ワークショップ」は1980年4月に、日本でいちばん最初の身体障害者の通所型授産施設として開設されました。それまでの授産施設といえば入居滞在型で、一般の会社のように通勤をして仕事をする場所はありませんでした。
※働く視覚障害者1人当たりへの支払いは、日本の障害者施設のなかでトップクラスです。

◎就労定着支援

在職中の障害をお持ちの方を対象に、仕事を継続する上での課題や日常生活上の様々なご相談に応じています。

対象者:就労移行支援等の利用を経て一般就労している視覚障害をお持ちの方で、就職・復職後6カ月から3年6カ月までの方。
ご利用手続き:住所地を管轄する市区町村の障害福祉窓口に利用申請後、当施設と契約します。
必要書類:履歴書、身体障害者手帳の写し、受給者証
利用料:訓練等給付費の自己負担分

下記のようなニーズに対応しています。
・定期的に職場を訪問してほしい。
・音声パソコンの操作がわからない、スキルアップしたい。
・就労している他の視覚障害者と情報交換したい。
・職場周辺の環境を確認したい。
・労働条件や労働環境を改善したい。
・障害者雇用や助成金に関する制度について知りたい。
・転職したい。
・今は問題ないが困った時にすぐ助けてほしい。 など

毎月1回、利用されている方のミーティングを開催しています。

◎OA実務科(定員5名)

東京障害者職業能力開発校の委託訓練です。
視覚障害者が一般企業等へ就職することを目的として、パソコン技術と事務業務に必要な知識の講習を行っています。

対象者:①一般企業等に就職を希望する重度視覚障害者で、職業的自立が見込まれ、年間1400時間の訓練を受けられる方。
②当センターまでの通所が可能な方。

※OA実務科の利用料は無料で、訓練期間中は条件により訓練手当が支給されます。

募集時期:1月上旬から1月下旬
※新規学卒者選考は9月上旬から10月上旬
※募集時期は若干の変動があるためご確認いただければ幸いです。
訓練期間:1年間(4月~3月)
申込方法:入校願書にご記入の上、住所地を管轄するハローワークへ提出してください。
選考方法:筆記試験(国語、数学)・機能検査(入力)・面接
※新規学卒者選考では、筆記試験を実施しません。

修了者の進路:248名(平成6年度~令和2年3月)※旧事務処理科含む
新規就職 149名
継続就労 53名
自営   2名
進学   9名
その他  35名

○主な訓練科目
普通学科:社会経済、一般教養、英会話、話し方、など。
専門学科:コンピュータ概論、簿記、社会保険、ビジネスマナー、ビジネス法務、など
。基本実技:Windowsの基礎操作、ワード、エクセル、アクセス、パワーポイント、HTML VBA、点字、など。
応用実技:指導実習、修了研究、など。

◎その他の事業内容

・就労支援者講習会の開催
視覚障害者を採用する企業などへの理解を深めるための講習会を開催しています。実際に就労している当事者の体験発表や、パソコン、歩行の実技、機器の紹介などを行います。
・総合相談
就職や進路についてのご相談や、パソコンの訓練を受けたいなど、視覚障害に関する種々のご相談をお受けしています。
・水曜サロン
視覚障害をお持ちの方は、どなたでもご参加いただける情報交換の場です。
[毎月第3水曜日 午後1時~3時]
・ガイドブックの作成と配布
視覚障害をお持ちの方への接し方をわかりやすく記載した、ポケットサイズのガイドブックを無料配布しています。
・福祉教育DVDの制作・貸出し
視覚障害者への理解を深めていただくためのDVDを制作し、希望者に無料で貸出ししています。
・日商PC検定試験の実施
文書作成およびデータ活用の2・3級が取得できるようになりました。
・全国ロービジョンセミナーの開催
視覚障害者の社会参加の促進を図るため、(年1回)セミナーを開催し、講演や機器展示などを行っています。

日本視覚障害者職能開発センター40年間の歩み

開設者 故 松井 新二郎(1914~1995)

1937年に勃発した日中戦争に従軍して両眼を負傷し、当時傷痍軍人援護を行っていた軍事保護院の施設・失明傷痍軍人寮において、訓練と職業評価の結果、委託学生として日本大学で心理学を専攻。
視覚障害者の職業問題を調べ、特にイギリスにおける戦傷失明者援護施設セント・ダンスタンスの訓練科目「タイプライタ速記」の実践をもとに、日本における視覚障害者の職業訓練を実現した。

昭和55年(1980年)

4月1日 ●身体障害者通所授産施設「東京ワークショップ」開設
4月4日 ●「東京ワークショップ」開所式
センター屋上で開催したオープニングセレモニーには、370名が参加。

昭和56年(1981年)

3月   ●「日本オプタコン・ティーチャーズ協会」発足
事務局を当センターに置き、1990年まで、「オプタコン・ティーチャ養成講習会」が定期的に開催された。
8月   ●「第1回国際オプタコンセミナー」開催(~1991年)
オプタコン(optical to tactile converter)とは…
小型のカメラがとらえた文字の形を、6列144本の細かいピンの振動に変換するもので、オプタコンを使うときは、右手でカメラを持ち文字の上をスキャンして、左手の人差し指で触知盤のピンの振動を読み取っていく。

昭和56年(1981年)

4月   ●日本語ワープロへの挑戦を始める
わが国で初めて作られた日本語ワープロ(東芝JW-10)を導入し、オプタコンによる画面読み取りにて実務使用の可能性を模索。
11月   ●「全日本点字ワープロ競技大会」開催
従前からの「全日本盲人カナタイプ競技大会」とあわせて実施したところ、ワープロ希望者が多く、1995年をもってカナタイプを中止。当時はAOK点字ワープロの使用者が多かった。1999年に全日本視覚障害者ワープロ競技大会に名称を変更し、2005年まで開催。

昭和57年(1982年)

4月   ●弱視者のためのワープロ画面拡大装置を開発
拡大読書機を改造し、東芝の日本語ワープロを実務使用可能にした。

昭和58年(1983年)

9月   ●「エポックライターおんくん」開発開始
ワイ・デー・ケー㈱に依頼して、パソコン(PC-9801)による音声変換対応の日本語ワープロの開発を始める。六点漢字直接フルキーボード入力方式。翌年より、3台のマシンで実務に活用開始。同時に六点漢字指導を導入。

昭和63年(1988年)

3月   ●ワープロ教室を開催
在宅視覚障害者の要望に応え、AOK点字ワープロによる基礎指導を始める。

平成元年(1989年)

4月   ●カナタイプを廃止し、全面的にワープロに移行。

平成4年(1992年)

7月   ●「第1回国際視覚障害者テクノユースセミナー」開催
1981年から始まった「国際オプタコンセミナー」を継承しながら、多様化する視覚障害者用情報機器に対応してセミナーの名称を変更するとともに、広く啓発啓蒙に努めた。(~1995年)

平成6年(1994年)

10月   ●「事務処理科」開設
日本障害者雇用促進協会委託
 就職希望コース(3名)、継続雇用コース(2名)。

平成7年(1995年)

9月   ●「視覚障害者用情報機器指導員講習会」開催
日本障害者雇用促進協会委託。視覚障害の職域拡大を図るため、企業の人事担当者や支援者を対象とする講習会を実施。以降、1回4日間の日程で、毎年10回継続して開催。2008年に、名称を「視覚障害・就労支援者講習会」に改めた。(現在は独立行政法人高齢・障害者雇用支援機構委託)。

平成8年(1996年)

1月   ●「アジア・太平洋地域視覚障害者支援技術研修会」開催
国際協力事業団委託。8週間の日程で、同地域の希望者に10カ国10名を対象に、視覚障害者用支援機器についての実務研修を行った。1996年~2004年までの間、8回実施し、22カ国から67名が参加。
5月   ●東京ワークショップのテープ起こし作業用ワープロソフトを「おんくん」から「でんぴつ」へ移行開始。
7月   ●「国際視覚障害者支援技術セミナー・ワークテック21」開催
多様化する視覚障害者用情報機器に対応し、視覚障害者の雇用と就労に焦点を絞ったセミナーを開催。(~2000年)

平成9年(1997年)

4月   ●「OA実務科」開設
東京障害者職業能力開発校の委託で、事務処理科就職希望コース(3名)を開設。

平成9年(1997年)

5月27日 ●英国アレキサンドラ王女ご夫妻来訪

平成12年(2000年)

4月   ●東京ワークショップは実態に合わせて定員を30名から35名に増員
4月27日 ●開設20周年記念式典開催(於 グランドヒル市ヶ谷)
9月   ●テープ起こし作業にWindowsを導入
●「日商日本語文書処理技能検定」試験実施開始(~2005年)

平成13年(2001年)

10月   ●東京都立駒込病院のメディカルトランスクライバー(医療記録の速記者)が、病院の電子カルテ化に対応開始

平成14年(2002年)

7月   ●「全国ロービジョンセミナー」開催
障害の程度を問わず、障害初期において適切な助言と情報提供を行うため、医療機関から自立訓練を経て就業までの各関係機関の総合的な連携を深めることを目的として、以降毎年開催。

平成15年(2003年)

4月1日 ●東京ワークショップの定員を35名から40名に増員

平成18年(2006年)

●「日商PC検定」試験実施開始

平成21年(2009年)

1月   ●「パソコン教室」を通所授産事業としての運営に移行
●前年より、テープ起こし作業のデジタル化に関する研究開発を開始
カセットテープを廃止し、音声ファイル再生ソフト「聞き書きくん」を使用し、デジタル環境下での再生技術を使用した作業がスタート。

平成22年(2010年)

11月   ●開設30周年記念オープンハウス開催
音声パソコンを活用してのDVD鑑賞や読書の実演、職業訓練体験、議事録作成の見学等を行い、関係者や地域の方、約100名が参加した。

平成23年(2011年)

4月   ●就労移行支援事業開始、定員11名でスタート

平成25年(2013年)

1月   ●就労移行支援定員11名から18名に増員

平成27年(2015年)

● 就労継続支援B型の月額平均工賃が全国社会就労センター協議会(626施設)で全国第1位

平成28年(2016年)

4月   ●就労移行支援定員18名から25名に増員

平成29年(2017年)

9月   ●日商PC検定データ活用2級の受験開始

平成30年(2018年)

10月   ●就労定着支援事業開始

令和元年(2019年)

9月   ●日商PC検定文書作成2級の受験開始
10月   ●日本視覚障害者職能開発センターに名称が変更

令和2年(2020年)

4月   ●就労移行支援定員が30名に増員

特別寄稿

「センター職員より」

施設長 伊吾田 伸也(いごた しんや)氏

センターで働き始めて今年で20年になります。改めて振り返ることも少なかったですが、これまでのことを思い返す良い機会なので、徒然なるままに書いてみます。

私が大学を卒業したのは、いわゆる就職氷河期に入った時期です。それまでの先輩方の就職活動は全く参考にならず、しかも阪神淡路大震災が発生、のんびり遊んでいた学生はこれまでの価値観が一変される時代でした。

親友の祖母が神戸に住んでいて、お世話にもなっていたので、よく分からないままボランティアに参加。現地に到着して、つい半年前と急変した見たこともない惨状に衝撃を受けました。その復興の拠点の一つが労災病院でした。そこを運営する事業団の募集があると聞いて金融機関に内定を断って、労災病院で働きだしたのが社会人の第一歩でした。

それから紆余曲折してセンターで働くことになります。その前の職ではベンチャー企業の最前線にいましたが、ITバブル崩壊により失われた20年を改めて実感した訳です。

そんな中、新川橋病院で白内障の手術を受けました。そこで目が見えなくても仕事ができるらしいといった話を聞き、たまたまハローワークに行ったところ偶然にもセンターから職員採用募集が出ていたのです。

面接に伺ったときにテープ起こしの仕事をしている場面を見学させてもらいました。ブラインドタッチという言葉は知っていましたが、これほどのタイピングスピードで打ち上げるのかと驚きました。音声ソフトを使って仕事ができるとは想像もしていませんでした。

ほとんど何の予備知識もなく、福祉業界に飛び込んだ形です。募集要項は経理職だったので計数管理や決算書、報告書の作成が主な仕事でした。入ってすぐに分かったのですが、経営状況が非常に危ういなぁというのが正直な感想でした。やっている事業は素晴らしいのですが、採算が取れていません。福祉の世界で儲けるなんてご法度といった感じもありましたね。

初めはいわゆる授産作業の経理だけをしていましたが、いつの間にか全体の経理を任されることになり、何とかしないといけない状況に追い込まれました。 その頃、タートルの事務も業務の合間に、当時所長であった篠島さんに頼まれて始めました。本来の事業もままならない状況だったので、風当たりは若干強かったです。 職業センターからの訓練事業も打ち切られ、担当していた佐藤指導員とどうしようかと思案し、訓練を授産事業の一部として開始したのが就労移行支援の原点になります。

その後、杉江施設長の元、坂田相談支援員と佐藤指導員を中心に就労移行支援事業を開始しました。就労移行支援事業の発展とともに、センターの経営状況も大幅に改善され、タートルとも良好な協力関係を築くことが出来ました。

そして今、新型コロナの影響で社会生活が大きく変わりました。感染対策、リモート支援等をしながら、早めの収束を願ってやみません。これからも時代の変化に対応し、共に発展していきましょう。

職能開発部長 北林 裕(きたばやし ひろし)氏

昭和の時代が終わる頃、私は日本盲人職能開発センター(現日本視覚障害者職能開発センター、以下、職能センターと記す)に採用され、当時の東京ワークショップに「ワープロ指導員」として配属されました。なお、現在の東京ワークショップは、就労移行支援とB型施設の多機能施設になっておりますが、当時の東京ワークショップは、B型施設(当時は授産施設)という立前でした。「立前」と記したのは、今で言うところのB型施設ではなく、積極的に「福祉的就労ではなく一般就労」を、つまり現在の東京ワークショップを目指していたからです。それは、創立者の理念でもありました。しかし、当時は視覚障害者の一般就労が、とても難しい社会でもありました。

「ワープロ指導員として配属された」とも敢えて記したのは、新聞の求人広告に「盲人ワープロ指導員募集」の掲載があったからです。「盲人」と「ワープロ」がおよそ結びつかない。ましてやその広告主が「日本盲人職能開発センター」とあるものだから、不思議でたまらない。昭和の時代ですから、私も含め一般人は、視覚障害者が社会進出することなど考えも及んでいない中で、「盲人」と「ワープロ」そして「職能開発」、本当に不思議な2行広告だった事を覚えています。

その広告が掲載された当時、20代後半だった私は、高校生向け教科書等の出版社にシステム開発者として勤務していました。昼休みにラーメン屋で「炒麺ライス」を食べながら、その「不思議な新聞広告」が何故かたまたま目に入ってきました。そして、その「不思議な広告」に導かれるように「新聞広告を見たのですが」と、職能センターを訪問しました。あっ、当時の職能センターの話ですので、今では訪問するに当たっては、皆様ちゃんとアポイントを取ってくださいね。

そこで目の当たりにしたのが、テープ起こしのスピードでした。フットコントローラ付きテープレコーダーとパソコンを駆使し、視覚障害者が「マッハのスピード」でテープ起こしをしている。当時の厚生省、労働省、建設省、法務省、東京裁判所等、それから民間では有斐閣、IBM等の講演や会議の録音テープの書き起こしを、まるで「マジック」を使っているかのように、ぐんぐんと打ち上げていく。速記録が即座に作られていく。あの衝撃は、30年以上経った今でも、忘れることができません。

録音テープを「足で操作して耳で聞きながら指を使って」、つまり今持てる能力を最大限使って、視覚障害者が漢字かな交じり文で速記録を作っている光景は、まさに衝撃でした。その当時、一般のワープロと言えば、まだまだ単漢字変換から熟語変換に移行していった位のレベルでしたから、あの時の衝撃を忘れることはできません。当時の出版界で主流の「電算写植」のパンチャーに引けをとらないスピードと正確さに、圧倒されました。これはもはや「テープ起こしではない」まさに「ワープロ速記」なのです。「フルキー六点漢字」を駆使して仕事をしている利用者の様は、ピアニストの如く芸術をも感じました。当時は、個人情報保護法が無かったから、私のようなしつこい見学者も、「ポルシェ」の様に早い指の動きと、瞬く間にディスプレイに打ち出されていく漢字を、じっくりと観ることが出来ました。

とは言っても、利用者(当時は授産生と言われていた)全員が、その「ワープロ速記」技術を習得していたわけではなく、30人強の利用者の内、10人に満たない人たちでした。その当時はほとんどの利用者が、カナタイプで書き起こし、それを浄書(晴眼者が手書きで漢字かな交じり文にする)していました。また、「ワープロ速記」をしている利用者もパソコンと言ってもハードディスクが無く、フロッピーディスクで起動させる「N88-BASICマシン」をワープロ専用機として使っていました。

見学中に刹那思いました。「ワープロ専用機にしてもカナタイプにしても、どちらもパソコンを使えばもっと効率的になるはずだ、こりゃあ、もったいない」と思い、「私のパソコンの知識、技術を『目のご不自由な方(当時の発言ママ)』に伝えさせていただきたい」と、創立者の故松井新二郎(当時所長)につい言ってしまい、後日、履歴書を持って正式な面接を経て、そして今に至っております。

「ワープロ速記の技術を生かし、パソコンを自在に扱えるようになれば、『目がご不自由(当時ママ)』でも、きっと一般就労の世界が開けていく」、30年以上も昔、20代後半だった私はそんな空想を思い描きこの業界に入りました。本当に「イケイケ」でした(今振り返れば、生意気な輩だったと思います)。まずは、パソコンを使いこなす技術を利用者に習得していただこうと、クラブを作りました。東京ワークショップの利用者は17時までの勤務だったので、利用者の勤務時間後の17時から「クラブ活動」を始めました(私の勤務時間は17時30分まででしたので、一部の職員からは「30分間職務を放棄している」との批判も浴びましたが、「しかと」していました)。

dBASE(当時のデータベース開発言語、コンパイラもあり独立したプログラム開発も可能)や、VZエディター(エディターでありながらも開発言語を持っていて『インベーダーゲーム』や『テトリス』も作ることが出来た)を利用者と共に学び伝え、パソコンを「ワープロ専用機」ではなくフルに使いこなしてほしい、との思いで作ったクラブでした。一部の職員からも利用者からも「授産施設の職員がやるべきことではない」との批判を浴びましたが、年配者(大御所)の利用者も参加してくれたことで、収まりがついた記憶があります。

当時は課長以上しか職能センターの鍵を持てなかったので、私は勤務時間外で施錠が出来ない立場でした。でも、タートルの創立者の一人、故篠島先生がいつも「クラブ活動(勉強会)」が終わるまで、黙って待っていてくださいました。因みにそのクラブの名前は「職リハには負けないぞクラブ」と、私は呼んでいました(利用者からは「長い」と不評でしたが)。

その後、事務職として一般就労していく若い利用者が増えて行く中で、タートルのホームページ「タートルの歩み」にも記されている「視覚障害国家公務員の会のA氏」(数年前に鬼籍に入った秋元明翁)も、当時の厚生省に復職を遂げました。秋元翁は精力的に、dBASE等を視覚障害者へ普及させる手助けをしてくれました。それから、「公務員だけではなく、視覚障害を持つ民間人の就労も」という、「中途視覚障害者の復職を考える会(タートルの会)」への改名を篠島翁と共に提言し、まさに今のタートルへの橋渡しを遂げた滝口さん。彼は生活用品の会社に入社後、当時「目の付け所がシャープでしょ」のCMをもじり、「耳の付け所がライ……です」と、視覚障害者の特性を今で言うSNSに発信して大いに受けました。滝口さんは、私の同学年でありながら今年鬼籍に入られました。いつも「たきぐっちゃん」と呼んでいました。きっとあっちの世界でも、まだまだ翁にはならないでしょう。今思い出しても秋元翁や「たきぐっちゃん」、彼等の仕事ぶりに頭が下がる思いです。

あの頃の皆の思い(想い)そして流れが、今の「タートル」、それから職能センターでは「PC検定」や「就労継続支援B型」そして「就労移行支援」につながっている、後輩達がつなげてくれたかと思うと、何だか感慨深いものがあります。

職能センターの後輩達は、本当にたくましいと感じます。伊吾田施設長、坂田部長、そして廣川課長が、これからも職能センターの船頭として、それぞれ舵を切っていくと思います。それから、B型施設では、私の先輩である礼子さん、そして野上、高吉たちが、それぞれの役割の中で上手くバランスを取りながら、創立者の松井翁や篠島翁、その他多くの先人達が築き上げたこの職能センターという船を決して沈めることなく、ゆっくりでも良いから常に前に進めて行ってくれるだろうと信じています。

「視覚障害国家公務員の会(国家公務員の復職を考える会)」の時代から「タートル」は、通称として「タートルの会」と、篠島翁も含め私も呼んでいました。
―― 亀のように遅いけれど、地道に歩んでいけば、決して健常者に勝るとも劣らない ――
コロナ禍でもあり誰もが不安で焦りがちな今日、今こそ「地道に亀のようにゆっくり」と足下を見つめながら、きっと優秀な後輩達が職能センターをタートルと共に発展させていくことでしょう。老兵で微力ながらも、船底から息が持つまで下支えさせて頂こうと、私は今、そう切に思っております。

就労移行支援部長・就労定着支援部長・相談部長 坂田 光子(さかた みつこ)氏

私が職能開発センターに入職したのは平成19年のことで、当初から総合相談事業を担当してまいりました。センターには、視覚障害当事者の方やご家族をはじめ、社員が視覚障害になったり、新規雇用したいという企業の方、他の就労支援施設や障害者支援施設、医療機関等から、様々なご相談が寄せられています。この14年間で8000人以上の皆様のご相談をお受けしてきました。眼の見えづらさにまつわる困りごとが、こんなにも多くあることと、そんな人生の転機に、微力ながら皆さんに情報提供させていただけることの責任の重さを、日々実感しています。

ご相談の中で、私はよく「タートルと職能開発センターは、車の両輪のようなものです。」とお伝えしています。当事者のお立場から、豊富なノウハウの蓄積をもとに、今後の道筋を具体的に組み立てるための相談はタートルさん、職業訓練と就労支援を受け持つのは当センター、両方の支援を活用して、就職・復職していかれた例がいくつもありました。当センターとタートル様が同じ場所を拠点としていることで、見えづらい方が安心して訪れられることも、メリットだと感じています。

また、長年にわたり、タートル様が毎月開催されてきた土曜日のロービジョン相談会は、日中から夜遅くまで熱心に続けられている様子を土曜出勤の折に何度もお見かけし、いつも頭の下がる思いでおりました。視覚障害の先輩だからこそできる具体的な助言の数々は、当事者の方々の強い味方です。今後とも、多くの相談者の方を紹介させていただくと思いますが、引き続き、よろしくお願い致します。

平成23年からは、視覚障害者が職業訓練を受けられる機会を増やすため、新たに就労移行支援事業も担当させていただくようになりました。定員11名でスタートした本事業は、平成25年に18名、平成28年に25名、そして令和2年に30名へと急拡大し、その間にご利用くださった方は447名、新規就職、復職された方は175名と、10年間で着実な実績を積み重ねてくることができました。訓練に携わるスタッフも、非常勤職員含め19名となり、タートルの松坂理事長は事業開始当初から講師として後進の指導にあたってくださっています。昨年来のコロナ禍への対応としては、オンライン訓練を導入し、基礎疾患がある方や遠方にお住まいの方を中心に、ご自宅からパソコンなどの訓練を受けられるようにしました。現在20名を超える方々が、遠隔訓練を受講されています。

新型コロナウイルスの影響で心配された修了生の進路についてですが、令和2年度合計で23名が新規就職の内定をいただき、3名が復職を果たされ、例年と変わらぬ就職率を維持することができ、安堵しているところです。

さらに、平成30年には、就労定着支援事業を開始しました。当センターから就職された22名が登録され、就職された後も定期的に支援させていただける体制が整ったことは、センターにとっても、修了生の皆様から就労現場の最前線の状況を聞くことのできる、貴重な機会となっています。

これらの事業の発展は、タートルの皆様をはじめ、職業訓練の必要性やスクリーンリーダーを用いたPC操作スキルの有用性を語り、つないでくださったご関係の皆様との連携の賜物です。このネットワークを大切にしながら、これからも歴史ある就労支援機関の一員として、多くのみなさんの笑顔を共に作っていきたいと思いますので、引き続きご指導の程、よろしくお願い致します。

職能開発訓練課長 廣川 正樹(ひろかわ まさき)氏

私が当センターに入職したのは平成14年8月1日。気がつけば本年の3月末で勤続18年と7ヶ月になります。

先ず、担当している部門の説明として事務処理科というコースがあります。どのようなことをするのか少し触れたいと思います。本コースは、平成6年10月より視覚障害の方で一般企業への就労および復職(継続就労)を目指す方を対象として開設されました。パソコンスキルをはじめ幅広いビジネススキルの習得を目的とし、本年は27期生を迎えました。訓練内容は、仕事をするうえで欠かすことのできないパソコンスキル、そしてビジネスマナーや社会保険、簿記や英会話など、ビジネスパーソンに必要な科目を用意し、訓練を実施しています。

その中でも、職業能力開発訓練事業として、平成9年からは東京障害者職業能力開発校の委託訓練としてOA実務科を開設しました。OA実務科の訓練は原則1年間で、定員5名。ハローワークの受講指示に基づき、願書を提出し、試験に合格すると上記カリキュラムを受講することができます。

転機としては、これまで事務処理科の名称で行っていたコースが、平成28年4月より就労移行支援の枠に入り、新たにビジネスワーク科に。加えて令和2年4月より定員は1名増員して6名で運営しています。

修了実績はすでに200名を超え、昨年度修了したOA実務科訓練生5名中4名が新規就職し、1名は就労移行支援を利用しております。また、ビジネスワーク科訓練生5名全員が新規就職をしました。

なお、本年の就職状況ですが、コロナ禍の中で訓練生はもちろん、ハローワークの皆様、そして講師の皆様のお力添えをいただき、令和3年2月1日現在でOA実務科訓練生5名中4名が内定をいただきました。また、ビジネスワーク科についても2名が内定をいただいております。

ここで一番大切なことは、就職した方々のフォロー、すなわち修了生の職場定着になります。定期的な職場訪問、当事者職員のジョブコーチ資格を取得したことで、作業環境の相談・提案を行い、修了生及び視覚障害者の職場定着への支援に努めることができるようになりました。併せて、訓練内容の充実として先にも挙げました当事者職員である入職6年目の柳田主任には、特に一般企業での勤務経験と卓越した技能で最新のオフィスおよびオペレーティングシステムに対応した訓練の充実が図れている点も当クラスの強みになります。

これからも、皆様のご支援を賜りながらコースの運営に努めたいと思います。

「タートル理事からセンターへ」

理事 松尾 牧子(まつお まきこ)

創立40周年、おめでとうございます! 長きにわたり私たち視覚障害者に就労の機会と訓練の場を与えてくださっていることをお礼申し上げたいと思います。

私が現在の会社に入社して丸15年になろうとしています。転職できたこと、これまで続けてこられていることはセンターの先生方のご指導があったからこそであると感謝しております。入社直前の1年間を日本視覚障害者職能開発センターで訓練を受けたわけですが、もうそんなに時間が経ったのかと改めて時の流れの速さに驚いています。前職で急激に目の状況が悪くなったことで仕事を辞めなくてはならなくなり、パソコンを何とか画面読み上げソフトで操作できるようにして新たに就労先を見つけたい…その思いで訓練をしていただきました。

センターではパソコンの訓練だけでなく、簿記や点字、会社に入って必要な常識等々も教えていただきました。ときには企業を見学させていただいたりもしました。センターで訓練を受けるまでの生活がまるで違う、年齢もばらばらのメンバー10人に教えてくださるのは、先生方もさぞ苦労をされたのではないかなぁと思います。

私はエクセルの操作が好きで(得意とは違います!)エクセルの関数を教えていただくのが特に楽しみでした。アビリンピックにも出場させていただき、東京大会で金賞をいただくという、それはそれは驚きの結果を得ることができました。しかし…当時、エクセル検定3級は問題なく取れるでしょうと言っていただき、さらに2級も挑戦してみてはとも言っていただいたのに、なんと3級も取れなかったというとても残念なお恥ずかしい苦い思い出がよみがえります。

センター開設当時は、一般的にまだまだ視覚障害者への理解がなかったことと思います。そんな中、視覚障害者の職能開発を進め創設された松井先生のおかげで、こうして私も訓練を受ける機会を得ることができたこと、本当にありがたいことと感謝の気持ちでいっぱいです。

また、多くの視覚障害者と知り合い、皆さんがすごい努力をしているのを目の当たりにして、それが刺激にもなりまた、職場では日々の業務に追われて向上しようという努力を少し怠っていましたが、入社から15年、正社員にしていただいて10年という節目に少し勉強をしてみようという気持ちになりました。

私はまだ視力が少しあったときに国立職業リハビリテーションセンターでも職業訓練を受けたこともあり、また16年前にも日本視覚障害者職能開発センターで訓練を受けることができ、タイミングがよかったということもありますが、非常に恵まれていたと思います。地域によってはこのような訓練センターがなかったり、またこのような訓練施設があることをご存じない方もいらっしゃることを知りました。視覚障害があっても、職業訓練をどこでも受けられて、就労の場も増えて、どこの会社でも視覚障害者がいることが「普通」になればと思うばかりです。

私のできることとしては、視覚障害があろうが、仕事はできるし特別なことではない…という何かしらのメッセージを今の職場から他社にも伝えていけるように努力していきたいと思っています。(まだまだ努力が足りませんが…)

このコロナ禍の中、訓練環境としても大変なご苦労があろうかと思いますが、センターの先生方には引き続き私たちに力を与えていただけたらと思います。どうぞよろしくお願いいたします。 

理事 石原 純子(いしはら じゅんこ)

創立40周年、心よりお喜びを申し上げます。 視覚障害が進行し、普通に働くことはできないのではないかとあきらめていたころ、日本視覚障害者職能開発センター(以下、センター)を知り、2013年が明けてすぐセンターを訪ねました。優しく迎えてくれたのは、センターの看板娘の坂田さん! 視覚障害で傷ついた心を癒してくれる出会いの始まりでした。

センターの見学では、視覚障害でメソメソしていた私とは違い、明るく前向きな訓練生の姿が印象に残りました。こんな世界もあるんだなと感心し不安もありましたが、私もこの仲間入りをしたいと思い、その年の3月からセンターの利用を始めました。

私は超がつくほどのパソコン初心者で、最初は補助の先生がつきっきりという贅沢な環境で訓練を受けていました。スクリーンリーダーの音を聞き取るだけで精一杯、自分のできなさ加減が情けなく、涙が出る思いでした。そうした中でセンターの関係者が根気よく時には励まし、指導をしてくれたおかげで、何とか人並みにパソコンの操作ができるようになりました。

そうなると嬉しくて、更に上を目指してPC検定にも挑戦するようになっていきました。それまでは、視覚障害者になってしまったかわいそうな私という殻を破れずにいましたが、パソコンでできることが増え、同じような仲間と時間を共有できたことで、まだ何かできるかもしれないという希望を持つことができました。また、社会資源の情報や視覚障害者ならではの生活の工夫や生きる術を学べたことも、いまの仕事にとても役立ちました。

施設長をはじめ職員の皆さまが家族を迎え入れるように接してくれ、安心して訓練を受けることができ、2014年7月に職場へ送り出していただきました。その時は再就職が決まった嬉しさと裏腹に、家庭のような居心地の良いセンターを離れることが寂しく、複雑な気持ちでした。有難いことに、就職後も何かとサポートを受け、またセンター主催の講習会などにも参加をすることで、就労継続に必要な知識や技術の更新をさせていただいています。

センターを卒業して早いもので7年の時が過ぎました。いま私は、視覚障害者の新しい職域拡大のために奮闘しています。たくさんお世話になったセンターの関係者へ、せめてもの恩返しができるものと思って頑張っているところです。本当に感謝しても感謝しきれないほどの思いがあり、今の私があるのはセンターとの出会いがあったからといっても過言ではありません。

尊敬する偉人の「松井新二郎」先生は、いわずと知れたセンターの創設者です。出身地が同じ山梨県というところにも勝手に親近感を感じています。自らも戦争により失明し、どん底から這い上がり、生涯を通して視覚障害者の医療、教育、福祉に様々な働きかけを行い、特に「視覚障害者の職業的自立」において力を注いでこられました。今でもセンターの1階から地下に続く階段の手すりには、松井先生が旅先で買ってこられた鈴がかけられ、先生の面影が残っています。その時代を駆け抜けた松井先生に思いを巡らせると、身の引き締まる思いがします。松井先生が生涯かけて情熱を傾けてきた「職業的自立」に少しでも近づくような働きができればというのが、いまの私の目標です。

40年という長きに渡り、視覚障害者の就労問題に、職員の皆さまが心一つに向かわれている姿は、敬服にたえません。ますますのご発展を心より祈念いたします。 このような機会にお祝いの文章を書かせていただきましたことを心より感謝申し上げます。

職業訓練を受けて就職しました!

OA実務科27期生 東 茉優(ひがし まひろ)氏

OA実務科での1年は充実しており、入校したことは良い経験でした。 私は、高校卒業後の進路選択で就職を強く希望しておりました。そこで視覚障害者が働く上で必要となるスキルやマナーをしっかりと学び、身につけ、就職したいと思い、このOA実務科を受講いたしました。

入校してからは主に、音声パソコンを用いてワード、エクセルなどのオフィスソフトを使用、インターネット検索やビジネスマナー、話し方など、働く上で必要となることの訓練に励んでまいりました。私は日々の様々な訓練を通じて、特に、相手の立場に立って物事を考え、行動する大切さと重要性を学びました。

音声パソコンを使用してのワードやエクセルなどの訓練では、ソフトの音声操作についてだけでなく、その機能を生かして指示の通りに課題をこなすことまで行いました。その際に使用する機能、文章、レイアウトなどをどのようにしたら相手にもわかりやすいものになるかを考えながら臨みました。このようなところまでできることが、パソコンを使って仕事を行うことであると実感いたしました。

また、ビジネスマナーの訓練では職場訪問や来客、電話の対応などの実践訓練を通じて、人と関わる際には、相手の立場に立ち、思いやりの気持ちを持つことで良い人間関係を築くことができることを学びました。実践を行ったことで、働くときの自分の自信にもつながりました。このように訓練では、知識や技術を身につけることに加えて、視覚障害者として実際に働いて貢献することへの意識も高まりました。その他にも訓練の中には点字を読むことや英会話もあり、私は英語が好きで得意であったため、楽しみながらも訓練を受講することができました。

日々、訓練を受講しつつ就職活動にも一生懸命励んだ結果、私は地方公務員試験に合格し、無事に就職が決まりました。これまでに訓練で学び、身に着けたことを生かして社会へ貢献していきたいと思います。

就労移行支援 応用コース18期生 白樫 伸敏(しらかし のぶとし)氏

私は1997年から某官公庁で常勤公務員として働いていました。先天性緑内障で視力が左眼0.1、右眼0という強度の弱視だったため、障害者枠として採用されました。20代の頃は、窓口や入力業務等の大量単純作業に携わっていましたが、30代頃から当時の政権の方針である非正規雇用拡大の影響から官公庁も常勤公務員を減員し、非常勤職員の増員及び民間企業への業務委託で運営していくことになりました。現場は疲弊していましたが、皮肉なことに大量単純作業が他者と比較して劣る弱視の私にとっては追い風となり以降は主にそれまでの経験を活かして業務マニュアルや契約仕様書を作成するといった仕事にシフトしていきました。

ビッグデータを扱うシステムの調達や法改正に伴うチューニング担当等もしていたため、情報処理に関するパソコンスキルも随分修得できました。この調子で長く勤められればと目論んでいたのですが、40代半ばに差しかかる頃から急激に視力が低下し始め、2年間悩んだ挙句、2019年3月で退職することとしました。手書き文字判読や歩行困難による強度のストレス、後輩・非常勤職員へのサポート力低下等、退職理由は多岐にわたりました。

自ら下した決断でしたが、現状の自身の障害状態に合わせた仕事に改めて就きたいと考え、2019年5月から職能センターに通所することにしました。実は私には4歳上の姉がおり、私と同様先天性緑内障の全盲で、ちょうど退職の頃、パソコンスキルを習得するため職能センターに通所していました。人生はまだまだ続くし、再就職できないまでも、快適に生きていくためにも音声パソコンは扱えて損はないと、通所を勧められました。

センターでのパソコン訓練は約1年かけて、OSやアウトルック、ワード、エクセル等の標準ソフトの基礎から応用までを学び、並行して各種日商PC検定試験対策も行うというものでした。長年情報処理系のパソコンを扱ってきた私にとっては、事業系の仕事に重きをおいているパソコン訓練内容は物足りない部分もありましたが、それまでの主なインターフェイスだったマウスが、キーボードと音声に変わったことで、新たな発見も沢山ありました。自分なりに課題を見つけ、音声パソコンだと、これもできない、あれもできないといったネガティブな思考と、音声パソコンでも、これはできる、あれはできるといったポジティブな思考の葛藤の中で、日々学んでいました。

第1回目の緊急事態宣言解除後の2020年6月から本格的に就職活動を開始しました。エージェント登録やハローワークにも通い、20社以上は書類選考に応募しましたが面接まで漕ぎ着けたのは1社だけで、そちらも筆記試験が課せられ粉砕しました。なかなか手応えのないまま秋頃、職能センターを通じて採用選考の話をいただき、職場実習、面接を経て運良く再就職できました。

このたびの新型コロナ感染拡大により、障害者はもとより、健常者の方の労働環境も一層厳しくなってしまいました。仕事の様々なシーンで障害者は健常者からの支援を必要としますが、同じ労働者であるということを常に心掛けていくべきと思います。

結び

『共に歩んできた日々』

特定非営利活動法人タートル
理事長 松坂 治男(まつざか はるお)

日本視覚障害者職能開発センターの創立40周年に対して、心よりお祝いと感謝を申し上げます。私たちタートルにとっては、「センター」とか「四谷」で通ってしまう、本当に身近な親しみの深い施設です。この言葉が通じてやっと一人前の、タートルの会員になったという気持ちです。タートルの創立以来、たくさんの相談会や、交流会の開催や、また日々の事務局活動など、全面的にお世話になっています。「センター」のご支援がなければ私たちタートルの活動はできなかったというのが、会にかかわる者の共通の思いです。

日本視覚障害者職能開発センターは、一貫して、事務系の仕事の職域の開発・就労支援に努力されてきました。私たちは、そのような大きな目標に支えられて、「見えなくても働き続ける」ことの大切さを訴えながら、たくさんの中途視覚障害者とともに活動を続けることができました。いつも私たちの隣に「センター」が存在してくれていることが大きな私たちの励ましでした。中途視覚障害者の方から相談があった際には、見えなくても働き続けることの具体的な説明のために、音声パソコンがどんなものか体験していただくことが重要でした。そのような際には、当事者と会社の担当者がセンターに来てくれさえすれば、職場復帰の大きな一歩になることへの安心感がありました。とりあえず、センターに行けば、いろいろな可能性につながるきっかけを与えてくださいました。また、それらが契機となり多くの相談者が実際にセンターで研修を受ける機会を得て、再就職をしたりするなど、本当に心強い存在でした。

一方で、センターで訓練を受けている皆さんにとっても、見えなくても働き続けるために頑張っている私たち会員の存在や、活動も少しだけではあるかもしれませんが、刺激や励ましになっていったのではと勝手に考えております。

このような意味で、大変お世話になりながら、あえて言わせていただければ、見えなくても働き続けるという、大きな目標に向かって共に歩んできたというように思います。ぜひ、このことを大切にしていきたいと思います。

最後になりましたが、日々お世話になっている職員の皆様に心より感謝申し上げますとともに、これからもよろしくお願いいたします。

●お知らせコーナー

ご参加をお待ちしております!!(今後の予定)

◎タートルサロン

毎月第3土曜日  14:00~16:00
*交流会開催月は講演会の後に開催します。
情報交換や気軽な相談の場としてご利用ください。
*新型コロナウイルス感染防止の観点から、当面はZOOMによるオンライン開催とさせていただきます。
他にも、原則 第1日曜日には、テーマ別サロン(偶数月)、交流サロン(奇数月)いずれもオンラインを開催予定です。
奮ってご参加ください(詳細は下記の事務局宛にお問い合わせください)。
*オンラインイベントの詳細は、タートルのメーリングリストでお知らせしています。タートルMLに未登録の方はこの機会にぜひ登録ください。
登録方法は、タートルホームページの「メーリングリストのご案内」を参照ください。
https://www.turtle.gr.jp/hpmain/h04-ml.html

一人で悩まず、先ずは相談を!!

「見えなくても普通に生活したい」という願いはだれもが同じです。職業的に自立し、当り前に働き続けたい願望がだれにもあります。一人で抱え込まず、仲間同士一緒に考え、気軽に相談し合うことで、見えてくるものもあります。迷わずご連絡ください!同じ体験をしている視覚障害者が丁寧に対応します。(相談は無料です)

*新型コロナウイルス感染防止の観点から、相談会は当面、ZOOMによるオンライン方式とさせていただきます。
*電話やメールによる相談はお受けしていますので、下記の事務局まで電話またはメールをお寄せください。

正会員入会のご案内

認定NPO法人タートルは、自らが視覚障害を体験した者たちが「働くことに特化」した活動をしている「当事者団体」です。疾病やけがなどで視力障害を患った際、だれでも途方にくれてしまいます。その様な時、仕事を継続するためにはどのようにしていけばいいかを、経験を通して助言や支援をします。そして見えなくても働ける事実を広く社会に知ってもらうことを目的として活動しています。当事者だけでなく、晴眼者の方の入会も歓迎いたします。
※入会金はありません。年会費は5,000円です。

賛助会員入会のご案内

☆賛助会員の会費は、「認定NPO法人への寄付」として税制優遇が受けられます!
認定NPO法人タートルは、視覚障害当事者ばかりでなく、タートルの目的や活動に賛同し、ご理解ご協力いただける個人や団体の入会を心から歓迎します。
※年会費は1口5,000円です。(複数口大歓迎です)
眼科の先生方はじめ、産業医の先生、医療従事者の方々には、視覚障害者の心の支え、QOLの向上のためにも賛助会員への入会を歓迎いたします。また、眼の疾患により就労の継続に不安をお持ちの患者さんがおられましたら、どうぞ、当認定NPO法人タートルをご紹介いただけると幸いに存じます。

入会申し込みはタートルホームページの入会申し込みメールフォームからできます。また、申込書をダウンロードすることもできます。
URL:https://www.turtle.gr.jp/hpmain/

ご寄付のお願い

☆税制優遇が受けられることをご存知ですか?!
認定NPO法人タートルの活動にご支援をお願いします!!
昨今、中途視覚障害者からの就労相談希望は本当に多くあります。また、視力の低下による不安から、ロービジョン相談会・各拠点を含む交流会やタートルサロンに初めて参加される人も増えています。それらに適確・迅速に対応する体制作りや、関連資料の作成など、私達の活動を充実させるために皆様からの資金的ご支援が必須となっています。
個人・団体を問わず、暖かいご寄付をお願い申し上げます。

★当法人は、寄付された方が税制優遇を受けられる認定NPO法人の認可を受けました。
また、「認定NPO法人」は、年間100名の寄付を受けることが条件となっています。皆様の積極的なご支援をお願いいたします。
寄付は一口3,000円です。いつでも、何口でもご協力いただけます。寄付の申し込みは、タートルホームページの寄付申し込みメールフォームからできます。また、申込書をダウンロードすることもできます。
URL:https://www.turtle.gr.jp/hpmain/

≪会費・寄付等振込先≫

●郵便局からの振込
ゆうちょ銀行
記号番号:00150-2-595127
加入者名:特定非営利活動法人タートル

●他銀行からの振込
銀行名:ゆうちょ銀行
金融機関コード:9900
支店名:〇一九店(ゼロイチキユウ店)
支店コード:019
預金種目:当座
口座番号:0595127
口座名義:トクヒ)タートル

ご支援に感謝申し上げます!

多くの皆様から本当に暖かいご寄付を頂戴しました。心より感謝申し上げます。これらのご支援は、当法人の活動に有効に使用させていただきます。
今後とも皆様のご支援をお願い申し上げます。

活動スタッフとボランティアを募集しています!!

あなたも活動に参加しませんか?
認定NPO法人タートルは、視覚障害者の就労継続・雇用啓発につなげる相談、交流会、情報提供、セミナー開催、就労啓発等の事業を行っております。これらの事業の企画や運営に一緒に活動するスタッフとボランティアを募集しています。会員でも非会員でもかまいません。当事者だけでなく、晴眼者(目が不自由でない方)の協力も求めています。首都圏だけでなく、関西や九州など各拠点でもボランティアを募集しています。
具体的には事務作業の支援、情報誌の編集、HP作成の支援、交流会時の受付、視覚障害参加者の駅からの誘導や通信設定等いろいろとあります。詳細については事務局までお気軽にお問い合わせください。

タートル事務局連絡先

Tel:03-3351-3208
E-mail:m#ail@turtle.gr.jp
(SPAM対策のため2文字目に # を入れて記載しています。お手数ですが、上記アドレスから # を除いてご送信ください。)

●編集後記

全国のタートル会員の皆様、いかがお過ごしでしょうか? 2021年が明けたかと思ったら、もう新年度となりました。本年度も情報誌を、どうぞ宜しくお願いします! コロナが猛威を振るい始めてから1年以上が経過しました。何かと不自由な生活かと思いますが、皆様が健康でありますように。

今回は、タートルになじみの深い「センター」の特集でした。ご寄稿していただいたすべての皆様に感謝申し上げます。私も、10年程前に、OA実務科に通った一人です。今でも四谷に行くと、懐かしさでいっぱいになります。当時から支えてくれた職員の皆様、新たにかかわってくださっている関係者の方々、これからもよろしくお願い致します!

(イチカワ ヒロ)

奥付

特定非営利活動法人 タートル 情報誌
『タートル第54号』
2021年3月24日発行 SSKU 増刊通巻第6983号
発行 特定非営利活動法人 タートル 理事長 松坂 治男