会報「タートル」28号(2003.5.15)

1998年10月9日第三種郵便物認可(毎月3回8の日発行)
2003年5月15日発行 SSKU 増刊 通巻第1108号

中途視覚障害者の復職を考える会
タートル 28 号


目次

友達何人できるかな

タートルの会 副会長  松坂 治男

 『一年生になったら、一年生になったら、友達百人できるかな?・・・百人で食べたいな。富士山の上でおにぎりを』
 娘が小学校の頃よく口ずさんだ歌を耳にして、自分には何人の友達がいるのだろうかと考えました。遊び友達、飲み友達、趣味の友達などが頭に浮かんできますがこれらの友達は、その時を楽しく過ごせれば良いという少し繋がりが薄い友達としておきましょう。
 ならば繋がりが濃い友達とは、どんな友達なのでしょうか。同じ価値観を持った人ではないでしょうか。でも十人十色と言われるように人はそれぞれ多彩な価値観を持っています。しかし、一つの価値観を共有することが出来れば友達になれるようです。
 価値観を共有する友達を探す方法は、二つあります。
 一つは同じ価値観を持った人を探すことです。でも闇雲に探す前に自分がどんな価値観を持った人を求めているのか整理することが大切です。探す目的がハッキリしていれば必ず出会うことができます。
 もう一つは作るということです。同じ価値観を作ってしまえば探す必要がありません。ならばどのようにしたら作ることが出きるのでしょうか。それは同じ時を共有することです。
 まったく価値観の違った人たちでも、一定の期間、行動を共にすることにより作ることができます。昔から「同じ釜の飯を食った仲」などというのが典型的な形です。
 大切なのは、同じ時の中で、充実した時を共有することです。充実した時を過ごすには建前でなく、本音で、お互いに対等な立場で語り合い、行動を共にすることだと思います。
 友達作りの第一歩は、出会いです。タートルの会は、視覚のハンディを背負いながら「働きたい」という人たちの出会いの場所です。互いに悩みや苦しみを大いに語り合い、その中から自分には何が出来るかを、また自分の進む方向を探し、そして各自の目標に向かって進み、いつしか苦しかったことが思い出話で語れるような友達を沢山作って行ければ良いと思います。
 私も足腰が丈夫なうちに、歌のように富士山に登れるようにがんばります。


【エッセイ・登山記録】
「文部科学省登山研修所冬山前進基地」に登る

平成15年4月19日[土曜日)
坂田 清

 19日には「大熊山」に登山の予定でしたが、登山口まで自動車が入れないという情報があり、昨日「文登研」から「雪美台」に登り湖水で昼食「のぼり4時間・下り3時間」の予定で隊長とコック長、視覚障害者2人で計4人、天候を気にしながら登りました。このルートを2月に3人で腰までの雪をラッセルして3時間で2km足らず進むのが精一杯で下山してしまったということでした。1週間前、隊長が独りで登り道もしっかりしているから大丈夫だということで、始発に乗り富山駅で待ち合わせ。
 「文登研」の、正式名称は「文部科学省登山研修所冬山前進基地」です。冬山のリーダーの養成のために全国から募り、研修するための所です。ここも夏道がないために冬しか登山できません。去年研修中に独りが滑落して死亡。指導員の責任が問われ全国的なニュースにもなりました。
 2月に喫茶「クムジュン」から人津谷に向かい3時間かかってラッセルしたという道を30分で通過。雪崩とともに、落ちた岩がダムのすぐ傍にあり、その岩石を横にして登りを進めました。途中で雪崩の跡が残っている箇所を渡り自然の冬の厳しさの一端の跡を感じさせられました。
 しかし、「猩々袴」は薄い紫の花をつけ、鶯が盛んに鳴き、すぐ傍の木から私たちの姿に驚きキジ鳩が羽音を残して飛び立ちました。山も完全に春に模様替えをしています。立山は、今日全ルートを開通します。そのためか、ヘリコプターが荷を運んで何度も往復していました。
 緩んだ雪道は、足にかなりの負担をかけます。2時間ほど汗をかきながら登った後、少しの休憩を取ることにしました。隊長が「冬山も終わりだな。登りたい山もたくさんあったのに。」と、頂上の方を眺めながら、コック長に淋しそうにポツリとつぶやいています。まだ、10時を過ぎたばかりなのにここで飯を食べ、下山するとのことです。確かに天候は良くなくいつ雨が降り出すか分からない。しかし下山の理由が天候だとは思われなかったので下山の理由を聞いてみました。文登研までの間に雪が欠落している箇所がある。この状況だとたとえロープを張ってその場をしのいで欠落している所を登ったにしても、雪のある所はもっと危険だ。木の下の根の周りは空洞になっていてこれだけ雪が緩んでいると、足を乗せた途端に体とも2、3メートルも落ち込んでしまう事があるそうだ。岐阜県の「大鼠山」の下山の時、ワカンジキと長靴とを雪の中にとられ、掘り出すのに苦労したことを思い出した。この2、3日、20度を超す気温でかなり雪が溶けたらしい。下山が決まれば、雨の降らない間にコック長の料理を楽しめば良い。
 隊長はガスボンベと鍋のセットを持ち出して、私に使用方法を教える。次の登山からこれと新しく購入したデジタルカメラの保管が私の役割だそうだ。「サポートはするがボランティアはしない。登山の指導は押し付けるが人生観は押し付けない。」これが隊長の口癖である。会の重い道具や食材・水を背負うよりは楽である。この1年間、自分以外の荷物を背負ったことはない。私の荷物も会の皆さんに背負って貰ったことはない。せめて自分の荷物は自分で背負い、何とか遅れずに迷惑をかけないようにしてきた。これが私のこの会に対する精一杯の努力であった。他人の命の危険には、自分の命までかけても見捨てない強者である。このことは何度も経験している。私を単なる視覚障害者ではなく、山の仲間として受け入れてくれているようだ。
 最近、個人山行の誘いの電話もあるようになった。山を愛し、人を愛し、そして山道の横に咲いている一輪の花にも話しかける優しく強い人たちである。酒を飲んでは愚痴を吐露し、愉快に騒ぐ子供みたいな男たちである。この一年間の彼らとの付き合いは私を大きく成長させてくれた。
 コック長が作った美味い焼肉を食べているうちに雨が降り出してきた。すぐに雨具を着て焼肉が「シャブシャブ」にならない前に腹におさめた。早々に後片付けをして下山。コック長は、30歳後半か、40歳前半であろう。毎週土曜日、日曜日は登山とスキーで過ごしているとのことだ。経験、体力ともに一番充実している時である。下山の速度は歩きではない。駆け下りるような速度で私を誘導。それでいて頭上の枝や危険な箇所の心配りには余念がない。隊長たちをかなり引き離してしまった。途中で彼らを待って休憩。姿を確認すると、またかなりの速度で下山。これだけの速度で歩行した(自然の中を走った)のは何十年ぶりであろうか。幼いときを思い出し、心の弾む思いをしながら下山。
 11時には、喫茶「クムジュン」の駐車場に到着。残念ながら喫茶店はまだ開いてはいない。近くの「とんがり山」(UFOで有名な山)は2時間もあれば往復できるそうだ。雨足がだんだん強くなってきたので、「湯豊温泉」(UFO(ゆーふぉ)おんせん)に行く事にした。雨で登山が中止になってもまた良いものである。入浴料金600円を支払って昼間から温泉を楽しむ。久しぶりにゆとりのある充実した日を送った。有り難い一日であった。

 最近、少し落ち込んでいましたので、エネルギーの補給のために山に登ってきました。
 私の感情は寄せては返す海の波のように、やる気が出たり落ち込んだり、その繰り返しをしています。
 自然との触れ合いが精神のバランスを保持しているようです。


【職場で頑張っています・その1】
地方の旅行会社で働いています

高橋義光

 私は、岩手県北上市に所在する、ジャパンツーリストサービス株式会社という旅行会社に勤めております。入社してから今年で丁度10年目になります。この会社は、従業員5名という中小企業です。網膜色素変性症で、中途失明で45歳です。これまでに4つの企業に勤めておりますが、これほど長く継続勤務するのは初めてです。
 最初の会社では、経理を3年6ヶ月やりましたが、次第に病気が進行してきて、数字が見づらくなってきたので、退社しました。そのころは、見えなくなったら退社するものと考えていたので、何の躊躇もなく退社してしまったのでした。その後、所沢の国立職業リハビリテーションセンターに入所し、プログラマーの訓練を受けました。視覚障害者としての就職は3つ目となります。全盲の視覚障害者が、プログラマーとして、就労を継続するのは、とても難しいと感じて、あきらめかけているときの就職決定でした。
 現在の職場での私の主な職務は、自社業務用のプログラム開発とメンテナンスです。しかし、プログラム開発は、自社業務用となれば、永遠に仕事があるわけではありません。それで、もう一つの大きな職務として、毎日の経理関係の数字のチェックや、毎月の試算表と総勘定元帳の作成をしております。このほかにPHPでのホームページ作成を勉強しながら、これに取り掛かっているところです。パソコン環境は<Winsows98SE>で、音声ソフトは[2000Reader]と[Outspoken]をインストールしています。また、点字ディスプレイとして、パワーブレイル40を接続しています。使用するアプリケーションによって、音声を切り替えながら適宜利用しています。
 私は、視覚障害者がプログラマーとして就労を継続するためには、プログラム言語の知識だけでは不十分だと感じております。その理由は、一つはプログラム開発をする場合でも、ただプログラムが作成できるというよりも、簿記の知識を持ち合わせていれば、経理関係の一連のプログラム開発にとても役立ちます。また、もう一つは、先にも記述しましたが、ソフト開発関係以外の中小企業では、新規プログラム開発が永遠にあるわけではありません。そのためにも、経理等の知識を合わせて持つことにより、プログラム開発以外での業務を行うことができるからです。このような企業に就労している場合、プログラム開発の新しい言語やコンピュータシステムのノウハウの学習はもちろん、それ以外にもいろいろなことができるように、視覚障害者自身もスキルアップを図っていかなければならないと感じているところです。
 私は、プログラマーとしてのスキルアップのために、2年程前からメールによる通信教育を受けております。視覚障害者にとって、このようにメールでの通信教育は、便利で有効だと感じております。メールですと、地方に住んでいるとか、近くに教えてくれる施設がないというようなハンディを取り払ってくれます。
 これからも、少しずつ自分自身のスキルアップを図りながら、就労を継続できるように努力していかなければならないと思っています。


【職場で頑張っています・その2】
「楽しいからこそ頑張れる」

滝 憲一郎

 私は、今から4年前、大学4年の頃、緑内障により、弱視になりました。病院の先生の紹介で、タートルの会と出会ったのも、その頃でした。タートルの会には、大学卒業から就職にいたるまでの間、いろいろとお世話になりました。
 現在の目の状況は、左目については、ほとんど見えていませんが、右目については、中心視野が欠けているものの、視力としては、「0.1」あります。また、障害者手帳2級を取得していて、拡大読書器、単眼鏡、ルーペを使用しています。
 仕事に関してですが、現在、名古屋にあるコンピュータ関連の会社で、プログラマーとして働いています。この会社には、3年前、新卒の障害者枠で就職しました。仕事内容は、プログラムを作成し、それをテストすることです。他にも、システムの調査、ドキュメントの作成、開発に必要となる情報技術の勉強、といったことがあります。
 仕事で使うパソコンには、[2000Reader]、[ZoomText]をインストールしています。[2000Reader]が読み上げてくれるところは、音声で操作していますが、読み上げてくれないところは、[ZoomText]を使って画面拡大をしています。[ZoomText]にはいろいろな拡大方法があるのですが、私は拡大前の画面の一部を画面全体に拡大する方法を使っています。画面の白がまぶしい時は、[ZoomText]の白黒反転機能も使います。また、[2000Reader]、[ZoomText]に限らず、どんなソフトでも、ショートカットキーがあれば、便利なので、使うようにしています。
 職場には、「アラジンジニー」という拡大読書器もあります。「アラジンジニー」は、パソコンとディスプレイを共有することもできるので、パソコンの21インチディスプレイを「アラジンジニー」用の画面として使用しています。拡大読書器を使うのは、手書きが必要な場合や、紙の書類や書籍を読まなければならない場合です。特に、仕事上、コンピュータ関連の書籍を読むことが多いので、大変助かっています。
 仕事とは別になるのですが、年2回実施される情報処理試験を 毎回、受験することにしています。会社が受験を奨めているということもあるのですが、自己啓発が目的です。現在までに、「基本情報技術」「初級シスアド」という2つの試験区分で合格することができました。
 情報処理試験では、身障者特別措置があります。私の場合、拡大文字の問題冊子や解答用紙を用意してもらったり、拡大読書器を持ち込ませてもらったり、試験時間を1.5倍に延長してもらったり、といろいろな措置をとってもらっています。
 試験勉強の方法は、市販されている参考書を拡大読書器で読むこと、会社で開催される試験対策のセミナーに参加することなどです。
 今回も「ソフトウェア開発」という試験区分で受験してきました。今回合格できるかどうかは、五分五分という感じです。もし不合格になったとしても、再度受験しようと思っています。また、逆に、合格していたら、その時は、別の試験区分に挑戦するつもりです。
 私の場合、仕事として、プログラマーを選択しましたが、その選択は、今のところ、正解だったと思います。というのも、今は、プログラミング自体も楽しいからです。楽しいからこそ、「職場で頑張る」こともできるのです。


【1月交流会抄録】 2003/01/18
歩行訓練と白状について

講師:東京都視覚障害者生活支援センター 歩行訓練士 長岡雄一氏

 本日は歩行の話ですが、例えば、杖の操作であるとか、どういう杖かということは後半に話をさせていただき、前半では歩行訓練の考え方とか、どのようにして私たちは歩行訓練を進めていこうとしているのか、ということをお話しさせていただきたいと思います。
 もともと歩行訓練が日本で始まったのは、そんな昔ではありません。今、私どもがやっているような訓練を始めたのは、まだ40年弱前ぐらいです。これは大阪の日本ライトハウスという所です。ここは視覚障害のリハビリテーションでは老舗中の老舗です。
 その後、京都のライトハウス、七沢のライトホーム、それから国立の身体障害者リハビリテーションセンターや他の4つの視力障害センターです。それらが順次始めてきて、東京都視覚障害者生活支援センターが1983年ですから、今から20年前です。その後、埼玉県リハビリテーションセンターや他の所も始めています。
 ただ、全国的にはまだ余りこういう形の施設ということで訓練している所がそう多いわけではありません。それと、施設にこだわらずに訓練をしている所はいろいろあります。訪問ですとか、都の心身障害者福祉センターのように通所で訓練するとか、形式はいろいろありますが、歩行訓練そのものはまだ始まって日本では40年弱ぐらいとお考えいただければいいと思います。
 これは日本独自のやり方というよりは、アメリカからの輸入です。アメリカは、大体第2次世界大戦終了間際ぐらいから始めてます。傷痍軍人が対象で、特にバレーポージという陸軍病院で始めたということになります。1943年ですから戦争が終わる少し前ぐらいです。ですから、アメリカでは始めてから60年になります。そこでいろいろな白い杖の操作などについて、これから話していくことになりますが、ある程度その基礎をつくったのはフーバーだと考えていただいていいと思います。杖の操作については、フーバーテクニックと言われるくらいに、フーバーがかなり大きな役割を担ったと考えていただいていいでしょう。
 ただ、アメリカのやり方を基本的には踏襲してきていますが、実際に細かい技術のことでまたお話しますけれども、日本は日本の土壌があって、それに合わせた形で多少訓練のやり方は日本風にアレンジしています。
 視覚障害者が歩行する場合、白い杖の方もいらっしゃれば、全国で今でもまだ1,000頭に満たないのですが、盲導犬を使って歩かれる方もいるし、当然のこととして白い杖を全く用いないで歩いている方もいらっしゃる。それから、手引きというガイドの形で、人と一緒に歩いている方もいるわけです。ガイドされて歩く場合には、特に訓練はいらないですが、ほかの白い杖や盲導犬についてはそれなりに訓練を必要とする、と理解いただければと思うわけです。

 (長岡先生には本当に失礼でしたが、今回、紙数の都合でお話の最初の部分だけに留め、詳細な記録は次回に譲らせていただきました。大脇俊隆)


【交流会・2003/03/16】
仕事と生活に生かすカウンセリング

小山聡子氏(日本女子大学人間社会学部社会福祉学科助教授)

はじめに

 本日は、カウンセリングという仕事を生業としている人たち、即ちカウンセラーにとってのカウンセリングのみではなくて、私や皆さんを含む私たちが仕事や生活の様々な局面で利用可能な「カウンセリング」について考えていくこと、これをねらいとさせていただきたいと思います。
 ピアカウンセリングの勉強をされたとか、その仕事を既にされている方もいらっしゃるようですが、大半の方はそうではなく、生活や仕事のいろいろな場面でカウンセリングスキルとか、カウンセリングマインドをどのように使えるのか、ということでおみえのような気もしますので、その辺にポイントを置いて話をしたいと思います。
 なるべくわかりやすくするためにキーワードを3つ、最初に皆さんに提示させていただきたいと思います。1つが「共感」、2つ目が「気づき」です。それから3つ目が「関係」。関係の前に「対等な」という言葉をつけてもいいかもしれないんですけど、なるべく短いシンプルな言葉でと思いまして、「共感」、「気づき」、「関係」という、この3つをキーワードにしてお話をさせていただきたいと思います。

1.カウンセリングとは

(1)カウンセリングの定義付け

 カウンセリングとは何かという、私のお話の中での定義づけです。私が常日ごろ、尊敬している方で、元筑波大のカウンセリングの教授だった国分康孝さんという方がいらして、カウンセリングの本をたくさん出していらっしゃいます。その方がカウンセリングに関するたくさんの理論を研究されて、その上で最大公約数的に短く次のようにおっしゃいました。
 「カウンセリングというのは、言語的および非言語的、両方のコミュニケーションを通じて、相手の行動の変容を試みる人間関係である」と。これが国分康孝さんのおっしゃった最大公約数的なカウンセリングの定義づけなんです。私、この定義づけがとても気に入っていて、短くてわかりやすいですし、すっと入ってくるので、この定義づけを採用してお話を進めたいと思っています。
 カウンセリングというのは「人間関係」なんだ、相手の行動を変えることを何かお手伝いするものらしい、と。それをするときの手段は単に話をやりとりする言語的なものだけではなくて、表情、身ぶり、手ぶり、声の様子、トーン、そういったものをすべて含んだ非言語的なものもあるんだ、と思っていただければよろしいのではないでしょうか。
 行動を変えるといいましたが、私の解釈では、「行動を変えなければと思っていたけれども、別に今のままの自分でいいんだとわかった」ということも、行動の変容の中に含まれています。ですから、単に何でもかんでも変わりなさいと言っているわけではないんです。
 定義づけをするというのは実はとても大事です。言葉のイメージとか使用方法というのは人によって、さまざまですよね。カウンセリングという言葉は、案外、十人十色の解釈とイメージで皆さんの中にあるものなのではないかと思うので、本日の話の中では何を意味するかを一応統一させていただきました。

(2)心理療法、カウンセリング、ケースワーク

 心理療法とかケースワークという、似たような感じの活動とどう違うんだろうということにも触れておかなければいけないと思います。心理療法とかケースワークということに関しては、ここは学校の授業ではないので定義づけをだらだらと言うよりは、イメージでお伝えしたいと思います。3つの少しずつ重なり合った輪を頭の中に浮かべていただきたいんです。
 少しずつ重なり合った3つの輪の一番左側の輪のところに心理療法、ないしはサイコセラピーという言葉を入れてみます。これは、自分の中の、個人の中の問題であり、かつやや神経症的な、ないしはやや病理に近い、もっと言ってしまうと、やや精神科領域に少し近くなるような課題を扱う。
 具体的に申し上げると、何度も何度も手を洗わないととても気になるとか、高いところに登ると震えが止まらなくて失神しそうになるとか、人に見つめられると一言も話ができなくなる対人恐怖なんていう言葉ありますね。どちらかと言えば、そういったやや神経症的な「個人内」の課題を扱うのが心理療法です。
 真ん中がカウンセリングです。心理療法の領域も少し含みながら、個人内の課題にプラスして、個人とほかの個人の間、「個人間」の出来事を扱うのです。そして、課題というのはもう少し一般的な、言いかえると発達上の課題を扱うことが多くなってきます。
 さらに、一番右側の輪がケースワークです。カウンセリングとも少し重なりながら、個人間の課題にプラスして、「個人と環境」のやりとりについて、具体的に扱う。個人が変わることをお手伝いしつつも、何らかの制度を利用して状況そのものを変えていくということを手伝っていくのがケースワークであるというふうに、少し雑駁な整理ですが、このように言うととわかりやすいかなと思いました。
 その真ん中にあるカウンセリングというのが、先ほどの申し上げた定義づけのカウンセリングということで、何となく位置関係がイメージしていただけましたでしょうか。ですから絶対ここからここがサイコセラピーで、ここからここがカウンセリングというふうに、はっきり領域が分かれているというものではなく、お互いの仕事で重なり合う部分が大いにあるということなんです。だからこそ私のように、ソーシャルワーカーを自認しながら、その仕事の中に大いにカウンセリング的な仕事をしているということが起こりうるということであります。
 カウンセリングにはたくさんの理論があって、中身が非常に多様なんです。その理論がどこでどう違ってくるかと申しますと、まず人間をどう捉えるか。性善説とか性悪説、白紙説があります。ほうっておくと欲望のままに走り出してしまうものであると捉えるのか、ほうっておけばどんどん成長していく良い存在と捉えるのかといった違いによっても、また、性格というものはどうやってできあがってくるのか、こんなことからも違います。
 「病理」といってしまうと言い過ぎならば、何か困った状況に個人が陥るのは一体どういうことなんだ、というのも理論によって見方は全然違います。それから、病理ないしは課題が解決して、「治る」というのは何を意味するのかというのも、理論によって全然捉え方が違うんです。ですので、そこから導き出される手法も、さまざまあります。
 皆さんも一度はお聞きになったことがあるかと思いますが、カール・ロジャースが提唱した「自己理論」を中心にしつつ、いろいろな理論のいいところを取り込む折衷主義の立場で語りたい、ということをお断りしておきたいと思います。

(3)3つの代表的理論

 理論の中で3つだけ代表的なものについて、一言ずつ申し上げます。
 1つは有名な「精神分析理論」です。カウンセリングはお医者さんしかできないと言った代表格ですが、フロイトやアドラー、ユングなどがその代表者です。どちらかというと過去志向、幼少期に何が起こったかがその後を決めてくるとか、いろいろな応用はありますが、診断主義ということがあります。
 2つ目はカール・ロジャースによる「自己理論」です。これはどちらかというと関係、人と人のリレーションというものを重視するということと、人が自分がかくありたいと思う自分と、それから実際の自分がどうかという、そこのずれの部分に何か困り事が起きてくるということを提唱している理論です。
 3つ目が「行動主義」です。人の心とか気持ちなどという目に見えないものを、変えるの、変わったの、変わらないのというのはやめて、行動を変えてしまえと、行動を変えたら、場合によっては、気持ちは後から変わるでしょうという、ちょっと単純な言い切りなんですが、そういう考え方なんです。例えば、悲しいから泣いているんで、悲しい気持ちを何とかして泣かずにすむようにしましょうというのではなくて、泣いてる人がいたらまず泣くのをやめなという。泣くのをやめたら、悲しさもおさまってくると。ちょっと強引なんですけど、よく勉強すると、程度にもよりますが、この考え方も案外いけてる部分があるんですね。
 あと、きちっと相手と契約を結んで、今からこういう形でお互いにあなたの問題解決に向かってこういう方法で取り組みましょう、いいですか、はい、サインしました、と。最後こうなりました、実際契約どおりにうまくいったかどうかを評価しましょう、というあたりを非常に対等に相手と考えていくことのできるやり方であり、かつ私たちが子どものしつけの中でよく使うようなさまざまな手法を豊富に取りそろえている理論であります。そのほかにもこれらを混ぜ合わせたようなものもあれば、新たなものもさまざまな理論があります。
 我が国ではさっき申し上げた、カール・ロジャースの自己理論というのがどちらかというとカウンセリングの代表格のようにして導入された経緯もあって、これを御存じの方は比較的多いのではないかなと思います。どちらかというと骨抜きのカウンセリングをつくったなんていう批判をする方もいらっしゃるんてすが、弱点も欠点もあるということを自覚しながら使う分には、初心者がやって比較的間違いのない方法を提示しているという意味で、とても役に立つものだと思います。

(4)カウンセリングの技法とスキル

 まず実際のカウンセリングは、どんなふうに行われるんだろうか、その中の技法、スキルは何があるのかを次に考えてみたいと思います。
 まず、仕事の中のカウンセリングです。仕事のカウンセリングの中には2つありまして、1つ目は実際に利用者の方を目の前にしたカウンセリングです。だから私なんかが仕事の中で行う、もしくは先ほどピアカウンセリングに取り組むとおっしゃってた方が実際にご自身のお仕事の中でなさるカウンセリング、それが1つです。
 2つ目はどんな仕事をしていようと自分が何の立場であろうと組織の中で働いていくときに使えるものとしてのカウンセリングスキルというのが考えられると思いますので、その両方を順番に考えてみたいと思います。技法という意味では、そしてその応用という意味では別に仕事としてやるものでも、クライアントになる方を前にやるものであっても、普通の生活の仕事の中で使うものであっても基本は同じだと思いますので、まずスキルについてお話をしたいと思います。
 スキルの代表的なものを5つ申し上げます。

@「受容」、「繰り返し」、「支持」、「明確化」、「質問」
 1つ目が受容です。受け入れるということです。これは非審判的な態度、相手を裁かない態度というふうに言いかえることもできるんですけど、相手の世界にふわーっと漂うような状況を言います。もうちょっと別の表現で言いますと、自分の器、自分のコップを空っぽにしておいて、相手の言ってることを注ぎ込むゆとりをつくる。そして自分の価値観もどこかに別のコップを用意しておいてちゃんとそこになみなみと入れておけるというような、何かそんなイメージかなと私は思っているんです。言ったことに対して、最初からそれ違うだろうとか批判されて嬉しい人は誰もいませんから、さっき言った関係づくりにもかかわってくるんですけど、まず第一が受容です。
 2つ目が繰り返しです。これはオウム返しのように言葉を繰り返すこともやり方の1つとしては含まれるんですが、そこでやっていることは本当は心を繰り返す作業なんです。実はこれを、本当にきちんとやっているととても疲れます。人の話を真剣に聞いて魂を持っていかれるような経験されたことないですか。もしくはこういう言い方は語弊があるかもしれないんですけれど、「気」を抜かれると言いますか、本当に真剣に話を聞くとそういうことってあると思うんです。枝葉末節を捨てて、ひたすら相手の意味するところをつかもうと、要点を繰り返す作業なんです。それが表面的には相手の言葉を繰り返す作業だったりはするんですけれども、それを通して相手は自分を映し出す鏡のようにこちらと対面をして、そして自分自身で、自分の心の中を整理していかれるということです。言いかえれば自分自身との対話を進めることをお手伝いをするということだと思います。
 これもまたイメージで考えると、とっても上手なテニスのコーチが、へたくそな私がラケットで打った球をどこに飛んでいこうときちんと受け止めてこっちの打ちやすい所にまた返してくれる。すぐにあなたの考えのそこがおかしいよとか、ここをこうしたらとアドバイスに入っていくのではなくて、あなたの意味するところはこれでしょうかと、カウンセラーなりワーカーが解釈した内容を投げ返すんです。それが違っていればまた「いやそうではなくて」という、また別のボールが返ってくるわけですから、そういう意味で繰り返しをする。
 3つ目は支持です。この世の中では、特に大人になると、非難されることはあっても、なかなか「ああ、それでいいんだよ」と承認されることは少ないですよね。それに対して、一人ひとりが経てきた経験であるとか、それから感情、それを本当にそのままでいいんだと、もしくは何か経てきたことに、「それは辛かったですね」とか、「大変でしたね」とか、「頑張られたんですね」とサポートしていく。そこには自分がその状況だったらどうなのかなということの想像力を働かせることが必要になります。後で申し上げるピアカウンセリングと関連しますが、ここにお集まりの皆さまのように、多かれ少なかれ「視覚の制約」という部分で、類似の課題を抱えていらっしゃる方同士では、その想像力を働かせるという部分に大きなメリットがあります。
 4つ目が明確化です。これは相手が薄々気づいているんだけれども、なかなか整理された言葉にできないことをやんわりと指摘して返す行為です。これは私たち日常会話でも、センスのある人はしょっちゅうやっていらっしゃると思います。例えば「あなたは職場が近くていいわね」と言ったら、「あなたは遠いの、それで通勤で苦労していらっしゃるの」というように返したくなりませんか。あなたは職場が近くていいなというのは、ただうらやましそうに言ってるだけなんですけど、何でそういうふうに言ったかなと何となく考えますよね。そういったたぐいの、間違えると深読みになっちゃって余計なこと探られちゃってみたいなことになりますけども、練習です。薄々気づいているけど、言葉にできないことを指摘すると、「そうだよ、私はこういうふうに感じているんだよ。」ということを、相手自身が整理していくのを手伝えるということにもなるんです。
 5つ目が質問です。なるべくイエス、ノーで答えられない、開かれた質問をしてさらに深く語ってもらえる態勢をつくるんですけれど、私たちの心の中って案外矛盾しているので、「行きたくないけど、行ってみたい」とか、「好きだけど、嫌い」とかっていう、その複雑な思いを両方とも整理して語っていただくためには、「好きなの嫌いなの、はっきりしなさいよ。」とか、「行くの行かないの、どっちよ。」というようなことを性急に迫ってはどうにもならない時というのがあるんですよね。そこら辺いろいろな例で体感されることはあるかとは思うんですけれど、なるべく開かれた質問をしてさらに深く語ってもらえる態勢をつくるというのが質問です。

Aテクニックの練習
 5つのテクニック、スキルを簡単にご紹介しました。頭で考えると「ああ、そうそう」と思うけれども、やってみると案外できないです。私がスキー滑れないように、練習しないことはできないわけですから。なるべく練習の機会をつくっていただくのはいいんだろうなと思うんです。
 例えば日常生活の中で割と簡単にできることをほんの1つ2つご紹介申し上げますと、相手の感情を言いかえるためには、まず自分が自分の気持ちを表現するのに、なるべくたくさんの言葉のレパートリーを持っている必要があるんです。だから、例えば「私はうれしい」と表現するときに、ほかにじゃあ、うれしいという言葉を10個の別の表現で言ってみてくださいというふうに言われたとしますよ。そしたらパッと10個出てきますか。何か首振っているような方いらっしゃいますね。なかなかむずかしいんですけど。「嬉しい」にもいろいろなレベルのうれしさがありますので、ご自身の過去に、例えばプロポーズして受け入れてもらったときの気持ちを思い出すと、これだ!とかっていろいろあると思うんですが。
 例を申し上げます。「恐がっている」にしますね。恐がっているということを別の表現にすると、例えばこんなふうにあります。「逃げ出したいような気分だ」、「とても居心地が悪い」、「自分の中に閉じこもっていたい」、「自分が役に立たないような人のような気がする」、「どうも集中ができない」。これらはすべて恐がっているという状態を別の言葉で言い換えたものなんです。皆さんは皆さんなりの全然違った表現をお持ちだと思います。
 そういうレパートリーをなるべくたくさんお持ちになるのが良いので、日常生活の中でふと今のこの気持ちはこんなふうに言える、あんなふうに言えるというのをちょっとゲーム感覚で、時間のあるときなんかに試していただけるといいんじゃないかと思うんです。そうすると相手が言ってる言葉を、それってこういうニュアンスかな、いや違う、じゃあこういうニュアンスかなといろんな手段で返すことが出来て、より正確に相手の気持ちを推しはかったり整理するお手伝いができるのではないでしょうか。

B事実より気持ちに答える
 それから、これらの5つのスキルをやっていくためのコツの1つとして、まずは「事実より気持ちに答える」という鉄則があるんです。気持ちファーストと、私はよく学生に言うんです。私たちは人は話をする時、大きく分けて自分の「経験」と「価値観」そして「気持ち」について語っています。そして、話を聞いたときに、まずはその中の「気持ち」に答えるというのが、とても大事なことなんです。
 今から1つの例をお話ししますから、「あなたってこういう気持ちなんですね。」というふうに、ちょっと心の中で返すつもりで思い浮かべていただけますか。19才の女性、大学生2年生が言った言葉、大学のカウンセラーに話しているという状況だと思ってください。
 「これでもうほとんど2年間大学生活を送っていることになるけど、これといったこともありませんでした。ここの先生たちはまあまあとしか言えないし、もっとすごいって期待していたのにね、少なくとも噂ではそうだったんですよ。ここでの学校生活についてもとりたてて言うほどのことはないしな、毎日毎日、毎週毎週が同じことの繰り返しなんです。」
 と皆さんに語りかける人がいたら、何て言いたくなりますか。
 例えばですよ、「あんた、そんなこと言うけど、どれだけ努力をしたんだい?」とか言いたくなる人はいませんか。割と言いたくなるでしょう。多分、前向きな人は言いたくなると、私は想像するんです。言ってもいいんです。もちろん後々そういうことが展開されていくことを想定しつつ、でも最初は「あなたはこう感じているんだね」ということを、繰り返しとか、明確化というスキルを使ってやっていかないといけないんですね。「ああ、あなたって大学生活に期待して入って来たけれども、何か期待外れで退屈しているんだね。やってみたけれども、思ったものと少し違っていて、飽き飽きしているんだ、がっかりしているんだ。」というような言い返しができるわけです。
 自分の価値観は別個にありますから、「こんなぶつくさ文句を言って、いかほどのことをしたの?あんた。」というのがあっても、それはもちろん構わないのです。それは別のコップに入れといていただいて、まず受容です。相手のうんざりとか、退屈とか、期待外れという水をコップの中に注ぎ込んで、ちゃんと受け止める行為をすることなんです。
 これは「言うは易く、行うは難し」です。ですから、ひたすら練習です。実際に何か講座とかトレーニングのコースに入って、もちろんスーパービジョンのもとに、練習されれば一番いいんだろうとは思うんです。しかし、日常生活の中でも、例えばご家族との会話の中で、もしくは職場のだれかとの会話の中で、ちょっとその辺に留意をした受け答えをやってみるのが、毎回ではなくても、たまにはできる。これは意識的になればどなたでもできることだと思いますので、やってごらんになってはいかがでしょうか。そしてそういうことをするプロセスの中で、実は自分自身はこういう価値観を持っているんだなと気づいてくることがあるんです。それはいいとか悪いの問題ではなくて、気づくこと自体が面白いと思いませんか。

C感情や経験を整理する
 それではもう1つだけ例を申し上げます。今、まず感情に答えてという話をしたんですけども、人はそのほかに、経験とか、何か目にしたこととか、実際自分がやったこととか、やらなかったこととかについて語っているわけです。それを整理する方法です。中学1年生の少年が、とても信頼を寄せている担任の先生にお話をして、ためらいがちに話しているんですけど、何か言いづらいことなのか、先生の方を見ずに話しているという状況を思い浮かべてください。
 「すごく気になることがきのうあったんです。放課後、僕は外を眺めていました。かなり遅かったと思います。2人の不良が僕の一番の親友を殴るのを見ちゃったんです。でも僕は恐くて下へ下りていけなかった。このことを誰にも言わなかったし、何もしなかったんだから、僕は臆病者です。」
 こういうふうに言う少年がいたとします。そうすると、この人は何を感じているかと。まず、「そうか君は下りて行かなかったのか、でも仕方ないさ」とかすぐ励ましちゃったりしたくなる人も、多分いらっしゃるでしょうね。
 そのときに、それでもいいんですけれども、感情としてはこの少年は何を感じているかなということ。そして、なぜそれを感じたか。直接それに関係のある経験というのは何なのだろうか。また、直接それに関係のある行動というのは何なのだろうか、ということをさっさっさと頭の中で整理をして返していくことも必要です。
 この際この少年が感じている感情というのは、まず「後悔」がありますね。それから「恐怖感」、それから助けなかったのだから「恥じ入っている気持」。それからもしかして、僕の親友がそういう不良仲間と関係あるなんてどうしたんだ、という何か「疑い」のようなものも感じているかもしれない。それから「直接関係のある経験」としては友達が殴られているのを上から見ていたことがあります。それから「直接関係のある行動」としては、それに対して何もできなかったし、しなかったということがあげられます。
 ふだん話しているときにこんな理屈っぽく、こう分けて整理して考えたり、もちろんしませんけど、たまには人の話をそういう脈絡で、これは感情で、これはそれに関係ある経験で、これは行動だよなと。場合によっては、これはこの人の価値観だわ、物の見方だわというふうに、ちょっと分けて一呼吸自分の中に置くような心づもりもやっても悪くはないんじゃないかと。そうすると、いつか自動的に、ぱぱっとそこら辺を整理して返せるようになるかもしれませんね。
 私がここで申し上げたいのは、練習しなければできないので、聞いただけではなかなか難しいんですけど、いろいろなチャンスをとらえて、できたら練習をしてみていただきたいなということなんです。先ほども申し上げたように、それを通して自分の持ってる哲学みたいなものがだんだん見えてくるときもあって、これはとてもおもしろい作業なんだろうと思っています。

2.仕事に生かすカウンセリング

(1)組織の中でのカウンセリング

 次に組織の中で働いていくことに関わるカウンセリングスキルというところにお話を移します。クライアントを目の前にするカウンセリングは、いわゆるカウンセリングのイロハを身につけてやっていくということでいいんですが、私たちが日ごろ働いていく中で、実はいろいろな所にこのスキルを活用することが可能なんです。当たり前の話なんですが、コミュニケーションの必要のない仕事、職場など考えられないですよね。一日中、家にこもって何かをつくっている職人さんであったとしても、それを注文先に届けるときには何かやりとりをするでしょうし、コミュニケーションというのは必要です。そのときに目的は何かというと、もちろんいい関係をつくっていくことがあります。
 また組織の中でお仕事をなさっていけば、その組織の仕事をよりいい方向に向ける、いい方向に変化させていこうと思う。もっと具体的にいうと会議で発言して、その発言を受け入れてもらうというようなことが、そのコミュニケーションづくりの目的であるわけです。そのときにも先ほど5つ申し上げたようなスキルというのは、そのまま使えます。特に敵対関係にあるような相手とも私たちはやっていかなければならないわけですよね。そのときに、敵対関係にあるんだからこれはどうにもならんとか話は通じない、あいつは何を言ってもだめだ、ということで終わっていては仕方ありません。では、どうやってその関係を打開していい方向に持っていこうかというときにも、先ほどの技法を使えると思います。人はいろんな価値観を持つ自由があるので、相手は何でそういうふうに言っているのかなということを、ちょっと一歩立ち止まって自分の価値観も客観視しながら受け答えていくというようなことは、何かできそうですよね。
 もう少し具体的な例で言うと、自分には受け入れられないような行為を示した相手を、例えば皆さん自身が職場の上司として管理したり、罰したりする、少しきつく言ってしまう。そういうことが必要なときがありますよね。ところが同じ職場の人間関係ですから、罰するのみで終わってはいいわけないので、同時にその先のことを考えながら援助をしていくような姿勢も必要になっていくわけです。
 昨今、新聞などでパワーハラスメントなんていう言葉を聞きますけども、皆さん、部下の方が何か顕著な失敗をしたときにどのように注意なさいますか。そのときにも、実はこのカウンセリングスキルが使える。人前でどなりつけて、「とっとと帰れ」みたいに言ってしまっては、やはり人格をすべて否定してしまうようなことになるので、どう考えてもまずいだろうななんていうのは、すぐ思いつくんですけれども。叱って、それが重大な責任問題であれば、きちっと責任もとってもらいつつ、でも何でそうなったのかな、相手は今後その責任をとりつつ、次のより良き仕事に向かってどう踏み出していくかなってことを支えなければいけないわけですね。そのときにやはり先ほど言ったスキルが使えるのではないかと思うんです。
 これを私がやっいてる仕事の範囲で考えますと、例えば、年間の単位がちゃんと取れなくて、どうもこのままいったら、卒業ができないという学生がいたとします。だけど就職も決まってるし何とかしてほしい、だけど規則のどこをどう見ても抜け道はなさそうだ、なんていうときに頼みに来られると困りますよね。
 実はそんなときにでもカウンセリングスキルは使えるということが言いたいんです。それはどういうことかというと、規則を曲げてズルしろとかそういうことを言ってるわけでは当然なくて、相手の言ってることを全部聞く、あなたはこれこれこうで、困っているんだね、と。それから多少怠けて単位が取れなかったことに後悔もしているんだねとか、事情がこうだね、ああだねとかいうようなことを先ほどのスキルを駆使して、まず聞きますよね。
 私にも、手持ちのカードは何もないように見えるけれども、万々が一何かほかに方法がないか、何とか八方努力してみますから、あなた自身も関係のセクションを回って何か方法がないか調べてごらんなさいというふうに丁寧に対応をします。そして一日二日お互いに調べた、けれどもやはり方法はなかったと、それでいいんです。
 つまり、規則は規則で、「おまえが怠けたのが悪い。では、さよなら」と、ばしっと切ってしまうのも、それから1日、2日おいて、「やはり、だめだったね」というのも結果は同じなんですが、もしかするとその先につながっていく、その人の人生が違うかもしれないな、と思うんです。それを見越してカウンセリングスキルを駆使したような対応ができる。

(2)管理と援助を両立させる行為

 私が以前勤めていた国立身体障害者リハビリテーションセンターでのソーシャルワーカー経験を振り返りますと、入所者寮の規則を破ってしまった利用者の方の例が思い浮かびます。そのことに対して、一定程度の罰則を与えなければいけないということがあって、組織の中での決まりですから、しなければいけないんだけど、人には事情があって何でそうなったかなということを丁寧に聞いていく。これは、私は管理と援助をある程度両立させていく行為というふうに言っているんですけれども。そういうことをしていくときにカウンセリングスキルというのは案外役に立つのではないかなというふうに思っているんです。
 それからもっとシビアな例で言いますと、児童の分野で昨今虐待の問題がいろいろ言われています。場合によっては、親元からその子どもを引き離して、児童相談所が一時保護をしなければならない事態になることがあります。そのときに、親は子どもを連れて行かれたくないので、その児童相談所の職員と大変厳しい対立関係になってしまわざるを得ない。児童相談所の職員は子どもの安全を確保しなければいけないので、そこで厳しい方針をもって一時保護をするんだけれども、いずれはその親ごさんの所に関係修復して返してあげなければいけない。その帰り先としての親ごさんに丁寧な対応をしなければいけないんです。抵抗し非常に敵対心を向けてくるかもしれない親ごさんに対しても、厳しく子どもを保護する姿勢を貫きつつ、同時に相手の事情を良く理解して、「いずれは返していくからね、できることがあったら言ってよ」、というような難しいバランスをとり、やりこなしていかなければならない。そのときも、やはりカウンセリングスキルが使えるということを申し上げたいと思います。

3.生活の中のカウンセリング

(1)子育てとカウンセリング

 生活の中のビックイベントのひとつに「子育て」があります。子育てに生かすカウンセリングをトマスゴードンという人が、『親業』という書物の中で仔細に説明をしておられます。その本を読んだら、真髄はいかにもカウンセリングだと思いました。カウンセリングマインドにのっとったカウンセリングスキルの使用だと思うので、例としてお話したいのです。子育てといいますが、実は夫婦の関係の中にも応用ができる、要は家庭の中の人間関係にもカウンセリングが使えるということが言いたいんです。年齢にもよりますが、子どもというのは必ずしも言語によるコミュニケーションが十分できるとは限らない人たちです。
 私ごとの事例でお恥ずかしいんですが、子育てのとても印象的な一つのシーンをお話したいと思います。私の下の子どもが今、7歳ですが、その子がまだ4歳ぐらいのときのことです。女の子ですが、ちょっと勝ち気で、その時にやっていた具体的な作業は何だったか忘れてしまったんですが、自分のおぼつかない手で、何かのキャップを閉めようとしたか、外そうとしたか、とにかく自分で一つの作業をやろうとしていたんです。ずっと取り組むんだけど、どうしてもうまくいかなくて頭にきて、ばんと、それを投げてしまうという場面がありました。その時に、普通私は、こういう時「何でそんなことするの、拾いなさい!」というような、よくありがちな反応をしてしまいますが、その時はなぜかその子が一生懸命努力していたこと、自分でやりたいと意欲満々だった、だけどうまくいかなかった、それで爆発したなというのが手にとるようにわかったのです。そこで、まず行って抱きしめたか、頭をなでたか忘れましたが、「あなたはとても負けず嫌いで、自分でやりたかったんだよね、すごく頑張ったんだよ、だからできなかったから、すごく悔しかったでしょう。」と言ったんです。「そういうふうに負けず嫌いというのは先で伸びていく素質だから、偉いよ、あなたは偉い。」とまず言ったんです。「だけど、あれ投げちゃったから、あそこに転がっているんだけど、それどうする」と言ったら、本人すっとおさまって拾いに行きました。こんなこと言うと、私が何か自慢しているように思われると困るんですが、まず相手の気持ちをくんでから処理させるとか、罰するというような行為が家庭でもできるということを言いたいだけです。そしてもちろん、こういう一種理想的な対応を私がいつもできるわけではないということは、はっきりと申上げておきたいと思います。
 仕事の中で生かすカウンセリングと比べて、生活の中に生かすカウンセリングはどこが違うかというと、「勝率100%」を狙わないことだと思っているんです。仕事の中で生かすカウンセリングは対外的な大人の世界でのやりとりですから、相手がクライアントであれ、部下であれ、上司であれ、限りなく100%に近くやりこなすことを目指すべきだと思っています。
 でも、家庭生活において生かすカウンセリングというのは、私の主観なんですけど、6割いければ、まあよしとしてもいいかなと。つまり10回やるうちに6回ぐらい、こういう対応ができたら、後の4回はヒステリックにどなっちゃったりしてもちょっと許してもらおうかな、というぐらいの感じでやるのが家庭の中ではいいんじゃないかなと。というのは、家庭というのは全部構えを外してそのままの自分に戻ってわがままを出せる場所ですから、そこではもうちょっと失敗が許されていいんだろうと思っているんです。ただ失敗してしっぱなしはいけないので、私も本当に何であんな言い方したかなというように怒鳴ってしまったようなときに、子どもに謝るんですよね。よく考えてみると、次にやらなければいけない課題がこれだけ重なっていて早く寝てほしいなと思っていたところへ子どもが牛乳をびしゃっとひっくり返したとか、何かいろいろなことが重なってこうなってくるというのがだんだん見えてくるので、「あんなふうにどなっちゃたけど、あなたが悪いのも多少はあるけど、お母さんの方も、ちょっといらいらしててさ。」みたいなのを率直に言って、謝るということをしています。
 そういうのをやっていたら、だんだん上の子に、今5年生なんですが、「あのさ、お母さん、今何か機嫌悪いのは論文が書けなくて、いらいらしているからなんでしょう。」とか言われるようになってしまって・・・・(笑)。

(2)頭ごなし型と共感型

 トマスゴードンの話に戻りますと、言葉のキャッチボールをきちんとしなさいということです。相手が黒いボールを投げてきたら、黒いボールで返せ、白いボールなら、白いボールだと。私が以前、自作したオリジナルの会話例を持って来ましたので、読ませていただきますね。これは実は子どもの通っている小学校のPTAの広報紙に載せたことがある会話例なんです。頭ごなし型と共感型の2つをつくりました。

 9時になるころテレビを見ている子供に向かって、父と子が出てきます。
 最初は「頭ごなし型」です。

 父 「おい、もう9時になるけど宿題はすませたのか。ふろもまだだろう。」
 子 「えー、まだだけど。」
 父 「だめじゃないか、さっさとすませなさい。」
 子 「何だかやる気しないんだ、量が多すぎるし難しくて。」
 父 「難しいからってやらなければますますわからんだろう、逃げてちゃだめだよ、もう5年生なんだからしっかりしなさい。」
 子 「…。」

 次、共感型です。

 父 「おい、もう9時になるけど宿題すませたのか。ふろもまだだろう。」
 子 「えー、まだだけど。」
 父 「何だか気が乗らないって感じだな、どうしたんだい。」
 子 「この間のテスト悪かったんだ、頑張ったのにさ。」
 父 「どれ、持ってきてごらん。」
 子  持ってくる。
 父 「こことここ間違ったんだね、頑張ったのにがっかりしたのか。」
 子 「うん。」
 父 「なるほど、それで宿題はどうする。」
 子 「やろうとは思うけど、量が多過ぎるし難しくて。」
 父 「じゃあ、とにかくできるところまでやってあしたじっくり相談しないか、本当に量が多すぎるのか、それとも時間のやりくりで何とかなるのか、一緒に考えてみようよ。」
 子 「わかった。」

 何かちょっとくさいですね(笑)。でもこういう違いが非言語的なメッセージに答えているかいないかということなんですね。
 「えー、まだだけど」と、この言い方に何か気乗りしない様子で、どうかしたのかなという、そこの非言語的メッセージに答えることのできたお父さんの例なんですね。これを能動的に聞く行為と呼んでいますが、言葉のキャッチボールがちゃんとできるかとうかというところにカウンセリングスキルが使えるんです。

(3)私メッセージ

 それから、これっていけてるなと思ったのは、「私メッセージ」という提案です。わかりやすい例で言うと、私が何か家で仕事しているときに子どもが二人でバタバタ騒いでけんかか何かしていたとしますね。「うるさいね、ほんとに、静かにしなさい!」とかっていうのはすぐ言いやすい言葉なんですけど、そのときの主語になっているのは「あなた」は、なんですね。
 あなたはうるさいね、あなたは静かにしなさい、あなたはおばかだね、あなたはどうしようもないね、というようなつながりがあるんですけれど、それをそうではなくて私を主語にして言えと言いますね。それを言い換えるとどうかというと「そういうふうにバタバタすると お母さん頭痛くなってくるのよ。頼むからもうちょっと静かにしてくれる?」あなたがバタバタすると、私の側が気分が悪いというふうに言うと似たようなことに感じるんだけれど何が違うかというと、別に相手を否定しているわけではなく、相手がおばかだと言ってるわけでもなく、相手の今起こしている状況が私にどういう感情や状態を与えるかを説明しているんですね。
 そうすると同じことをやっても私たちの対応は違うときがありますが、そういうものも含めて「あっ、お母さんは今は、いらいらしているから、同じことをやっても怒るな、だけど明日はいいのかもしれない」とか、「今日は機嫌がいいから大丈夫だな」とかいうのも子供の側がこちらを慮って対応することができるようになってくるんです。
 カウンセリングの世界で「抵抗」という言葉、自分が変わりたくない、変わってやるものかという意味の抵抗という言葉があります。この抵抗を乗り越えるためにも「私メッセージ」を使うというのは有効のようなんですね。つまり相手の持っているこちらを気遣ってくれることのできる力を引き出すのが「私メッセージ」です。夫婦の間の会話なんかでも、「あー、皿洗っておいてくれたの、うれしい」とか言うのは「私メッセージ」ですよね。そういうものを使うという方法は大いにカウンセリングスキルの応用なんですね。

(4)勝ち負けなし法

 それから私もやっと下の子どもが小学校に入って、育児が少しバージョンアップした気がしているんですけど、さんざん今まで経験してきたのが「勝ち負けなし法」です。こちらの言い分に全面的に相手を従わせてしまうか、または相手の言い分に全面的に屈服するかというそういう二者択一ではなくて、二人で意見がずれたときにお互いに一生懸命考えを出しあって、何というんですかね、妥協できるポイントを見つけていこうとする話し合いのことを「勝ち負けなし法」といいます。
 例えば、冬の寒いさなか何も着ずに外へ飛び出して行こうとする子どもに「このジャンバー着なさい。」「嫌だ。」「ジャンバー着なさい。」「嫌だ。」「じゃあ勝手にしなさい。」というのが屈服型で、「何が何でも着なさい。」といって、もう泣いても着せてチャックを上げて押し出すというのが何というんですかこっちに従わせる型なんですけど。
 共感的な対応をしていると「このジャンバーは何かもこもこしていて動きにくいから嫌だ。」とか、子どものそれなりの理由が出てきて「じゃあ、このジャンバーではなくて、せめてこちらのごついセーターは、どう?」、「じゃあ、それを着て行くよ。」というようなことです。話はこんなに簡単に済まないことも多いですが、そういう解決法の見つけ方です。どっちかが勝ってどっちかが負けるのではないやり方というのがあるんだということなんです。
 ここら辺は心の余裕と時間がないとできないですけど、どっちかというと日ごろからそういうことをやる姿勢をみんなが持っておくというのはいいことなのかもしれないなというふうに思います。

4.ピアカウンセリング

 日本における障害観、障害をどう見るかという障害観の変遷は皆さんもいろいろご存じかと思いますが、1986年に日本に初の自立生活センター、八王子ヒューマンケア協会が設立されたときに、初めて公式にピアカウンセリングという言葉が使われたのです。ピアというのは、仲間とか同志という意味です。
 実質的にはピアカウンセリング的なその精神を持って、対応し、やりとりするというようなことは長らくやられてきたと思うんですけれど、そこにその講習会を実際つくったり、そのためのプログラムを立てたりするというようなことは、大体1980年代の半ばから日本全国の自立生活センター系を中心に始まりかつ発展してきた、というようなことが言われています。
 ただタートルの会のパンフレットなどを拝見すると、この中でなされていることも本当にピアカウンセリングだなというふうに思いますし、あと私、立上げの直後に出された手記集も読ませていただき、それにつたない感想文を載せていただいたこともあるんですけど、ああいう手記の中に綴られていたことを間接的に読んで、自分の中で「ああ、私は一人ではない」ということを感じればそれも立派なピアカウンセリングかなと、いうふうに思います。
 援助者と被援助者の関係というところから見るピアカウンセリングということで、ポイントをいくつか羅列しますと、こういうことだと思います。

 まず最初は、当事者のことは当事者が一番よく知っている、当事者のことは当事者が専門家だからなんです。
 2番目、孤立しないでいるためには同じような課題に向き合っている仲間がやっぱり必要なんだと。
 私は結婚が比較的遅かったんです。そして、なかなか子どもに恵まれなかったんですね。といっても今から思えば、5年目に第1子が生まれたので、そんなにすごく長くはなかったのかもしれないんですが、子どもができないときに、とてもつらい思いをして、そのときに不妊の人たちが書いた手記とか、医療を受けていく中で、どんなことに傷ついたかとかいう話を聞いて、すごく癒される思いを持った経験があります。それから、もっと子育てがバタバタしていた時期に、保育園の保護者会で、「子どもと1対1で向き合っていると、ついどなってしまうことがある」などの話を聞くと、「ああ、私だけじゃないんだわ。」ということをしみじみと感じたりします。私自身の例でも、同じ課題を抱えている人同士の助け合いみたいなものもあったんですが、孤立しないでいるためには、やはり同じ課題に向き合っている仲間が必要なんです。
 3つ目は、ピアカウンセリングを通じて何をするかというと、自己信頼感とか、自分で何かを決定していこうとする能力を取り戻すことです。
 4つ目が、関係の話です。相談をする人とされる人が完全に対等な関係であるというのがピアカウンセリングなのだと思います。本来、どのカウンセリングもそうでなければいけないんですが、なかなかそうならないところがあります。

 ピアカウンセリングのもう1つの意味は、仲間の中で相談を受ける人がロールモデルになる。皆さんの例でいえば、実際いろいろ迷ったり、悩んだりなさったけれども、こんなふうにしてしがみついて、粘って、あと好奇心を持って、復職したとか、新たに仕事を見つけたとか、仕事をやめさせられそうになったがやめずに頑張っています、といったことがロールモデルになるということです。そういう状態の人と話をしていくと、私もあんなふうにというイメージが意外と得やすい。この辺のことがピアカウンセリングの真髄ではないかなと思っているんです。

おわりに

 以上、最後のほうが駆け足になってしまいましたが、本日のお話の中から、最初に申し上げた3つのキーワード「共感」「気づき」「関係」を汲み取っていただけましたでしょうか。ご清聴ありがとうございました。

会員からのお知らせ

【LIVE】 時代は流れそして今・・・桜司博子

 タートルの皆さん こんにちは お元気ですか 私は会員の宍倉博子です。網膜色素変性症で、中途視覚障害者です。交流会に何回か参加していまして、第2会議室でお会いした方もいらっしゃるのではないでしょうか。
 この度「桜司博子・サクラシ゛ヒロコ」という名前で 渋谷でライブをやることになりました。
 曲目は70年代〜80年代の、山口百恵さん、五輪真弓さん、テレサテンさんの曲です。
 初めてのライブなので とても緊張していますが 楽しいライブになるように頑張ります。歌に興味のある皆様のご来場をお待ちしています。是非 お気軽にご連絡ください。
 会場の「渋谷Terraplane(テラプレイン)」は 魚屋さんがやってらっしゃるライブハウスで、メニューは魚料理が主なようですが、その他にもいろいろなメニューはあるそうです。

【連絡とお問い合わせ】
 宍倉博子[tel. 0480-43-3584 ](事前の連絡を歓迎)

【 LIVE TICKET 】
 『時代は流れそして今・・・桜司博子』
 会 場:渋谷Terraplane(テラプレイン)
 開 演:2003年6月27日(金)18:00〜
 入場料:¥1,000(ドリンク、フードは別会計です)

【ライブハウス】
 渋谷Terraplane(テラプレイン)
 tel. 03ー5459ー4639
 渋谷区道玄坂2-21-3ホテルサンエイトB1
 (しぶや百店軒の一角)

【交流会日程のお知らせ】


【編集後記】

<会報「タートル」の媒体及び配信方法について>

 現在、墨字のものは啓蒙の意味合いからすべての方に郵送しています。そして、希望者に朗読テープ版、メール配信のいずれかを選んで頂いています。
 会員でこれから希望される方は、テープまたはメールのいずれかを申し出てください。
 申込先:tel:03-3351-3208、mail:turtle.mail@anet.ne.jp

<会費納入のお願い>

 会員としての登録が曖昧のまま会報や通知等を送っています。それは最初に当会に結びついた当事者や関係者に情報提供を行うことが大切だと考え、その人達を会員とみなして継続的に送ってきたという経緯があります。
 送付する数が増えてきたことと、会の運営を会費のみによって行なっているため経費削減の必要性から、この度会員の範囲を明確にすることとしました。マスコミ関係、講演者(外部)などは会費を徴収せず、協力者と位置付けます。
 そして、その他で会費未納の方々に会員登録の諾否と会費の納入依頼をさせてもらいます。その後未納が続くようであれば退会とさせていただきます。宜しくお願いします。
(事務局長:篠島永一)

中途視覚障害者の復職を考える会【タートルの会】会報
『タートル28』
2003年5月15日発行 SSKU 増刊 通巻第1108号
■編集 中途視覚障害者の復職を考える会 会長・下堂薗保
■事務局 〒160-0003 東京都新宿区本塩町10-3
     社会福祉法人 日本盲人職能開発センター 東京ワークショップ内
     電話 03-3351-3208 ファックス 03-3351-3189
     郵便振替口座:00130−7−671967
■turtle.mail@anet.ne.jp (タートルの会連絡用E-mail)
■URL=http://www.turtle.gr.jp/


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