会報「タートル」第20号

1998年10月9日 第三種郵便物認可(毎月3回8の日発行)
2001年4月29日発行 SSKU 増刊 通巻第427号

中途視覚障害者の復職を考える会
タートル 20号

【巻頭言】

復職して6年…
 そしてタートルの会と共に6年
大脇俊隆
タートルの会幹事:千葉県松戸市在住

 平成7年6月に会社に復職し、その同じ6月に第一回目の「タートルの会」の総会が行なわれました。そして、総会の第二部では工藤幹事が呼び掛けてくださって私の復職を二部参加者全員で祝っていただきました。非常に嬉しく印象的な総会であったことが今も思い出されます。復職してから6年間、年間の有給休暇は活用したものの、遅刻や欠勤もなしに民間企業での勤務を継続出来たということは、何と言ってもタートルの会の素晴らしいメンバーの方達との出会い無しでは出来なかったように思います。
 自宅から会社までの通勤途中では壁に頭を下げ、駅のホームの柱には「ご免なさい」と言い、会社に着けば社内でややもすると孤立的になりがちな日々の連続でした。そういった復職当時の産物とも思える“屈辱と挫折の念”を払拭一掃してくれたのがタートルの会の交流会であり、ウィークディに行なわれる幹事会でありました。
 会のメンバーの方達一人一人との交流から、歩行や年金、そして日進月歩のパソコン、また趣味の世界まで、本当に私自身たくさんの智恵を授けていただきました。 私が復職出来てから6年が経過し、その間も、世間と言いますか、世の中はさまざまに変化をしてきました。これからもますます厳しい環境変化の世界に突入していくと思います。もう"待ったなし"のパラダイム転換の社会になってきています。21世紀初頭は健常者はもちろん、私達、障害者を取り巻く環境は、一段と困難さと複雑さを増し、私達、障害者自らが変革なしには生き残れないことを更に明確に自覚することが大切になってきているように思うのです。私は今のこの厳しい環境変化の社会をタートルの会とその仲間達から授けていただいたたくさんの智恵をエネルギーとして、自分自身の日々の活動に生かしていきたいと思っております。
 最後に私の大好きな言葉の一節を会員の皆様にお伝えしたいと思います。 それは140年ほど前に進化論で有名なダーウィンによって書かれた『種の起原』の中の一節です。

 “最も強いものや、最も賢いものが生き残るのではない。
  最も変化に適応したものが生き残る”


【職場で頑張っています・その1】

「業務効率の向上と組織に利益をもたらす企画やアイデアを」
池田敏雄(東京都葛飾区在住)

 今年の11月で40歳になります。眼疾は白子眼底による、先天性弱視です。視力は右0.1/左0.02です。障害者手帳は4級です。
 従業員数3700名の一部上場企業に勤務し、今年で7年目になります。会社の障害者雇用率は1.06%(1999年度)位で、視覚障害者は、本社では私ひとりです。
 入社以来、販売促進部(広告宣伝部)に所属し、専らPOP(プライスカードやチラシ)製作と部内業務に携わっています。会議などでの発表やプレゼンは、OHPやホワイトボードなどが使用されますが、見えないのでメモをとりながら頑張っています。
 パソコンの作業環境に関しては、WINDOWS−NTで、17インチから21インチのディスプレイに変えてもらえましたが、音声・拡大ソフトに関しては、POSデータへの影響を憂慮して全く認められていません。恐らくこれらのソフトの販売元が、POSデータに影響が出た際、損害賠償を支払うくらいでないとインストールはないでしょう。今後も交渉を続けて行きたいです。
 民間企業では、利潤追求、業務の効率化が社員に対しても要求されます。会社に対して利益をもたらさない社員の話には、耳を傾けてもらえることがありません。これは、トップマネジメントの考え方にもよりますが、ほとんどの場合、障害者の作業環境の改善は認められないのが現状です。また、グループ企業全体の問題として、女性にたいする差別や偏見・セクハラ問題も存在し、昨年は社員に人権意識をもたせるよう、全員にリーフレットが配布されました。その中での記述は女性問題が7に対して障害者問題は1の比率でした。このとき、障害者問題が会社にとって、女性問題に比べると、大きな問題ではないのだと言うことを感じました。健常者の社員は、かなりのプレッシャーをかけられる中、毎日時間に追われています。そんな複雑な組織・人間関係の中で働いています。
 弱視である私は、日々、眼精疲労や肩こりと付き合いながら働いています。また、チラシの校正は、間違いが許されず、私自身が、発注者の間違いや法律的な問題をクリアーしているかどうかをチェックしないといけません。
 そんな中、今、取り組みつつあるのは、チラシ印刷を自動組版で作成することです。これは、かなり眼の負担を軽減させてくれるし、会社にとっても、業務効率化につながると考えています。社内的に調整すべきことがまだまだありますが、何とか実現させたいと思います。
 障害者が組織のなかで働くということは、視覚障害者に限らず、いろんな面で大変です。ただ、日々作業に明け暮れるのではなく、何か業務効率の向上や組織に利益をもたらす企画やアイデアを考えて行くようにすれば、障害者も健常者と対等に生きていくことができるのではないかと考えています。


【職場で頑張っています・その2】

私の呪文
会社員A(神奈川県横浜在住)

 「網膜色素変性症(RP)」を宣告されたのは今から15年前であった。医学書に「失明に至る不治の遺伝病」とあった。ガア〜ン!、担当医は「すぐには失明しない」と慰めるが涙が止まらなく、一時相当落ち込んだ。その時、「落ち込んだ時は現状維持がベスト」と肝に銘じた。翌年、地方転勤、仕事で病気を忘れるよう努めた。その後も地方転勤を重ね、10年、RPは少しずつ進行した。、夜間、帰宅途中、どぶ川に落ち頭内出血したり自転車で歩行者にぶつけ事故になったりした。その後、神奈川に転勤した。その頃から軽い白内障になっていた。見える振りはしているが内心は不安で一杯であった頃、保健所の医療相談会でJRPSを知り加入した。昨年、初めて手帳(2級)を手にした。
 その頃、出張先で夜間おもうように仕事ができず同行した先輩に「上司に眼のことを話すよう」助言されていた。言下には「これ以上面倒みきれない」のニュアンスがあった。職場では薄々眼の悪いことは知られている模様だが、できるなら定年まで隠し通したいと思っていた。
 今回、具体的に周囲に迷惑をかけたが、失職するのではとの思いから「上司にはなすこと」を躊躇っていた。
 藁をも掴む思いでJRPSで知った「タ−トルの会」に相談しアドバイスを受けた。
 そして上司に病気のこと、拡大読書器やパソコン音声ソフトの活用などで障害者が働いている実態、定年までは働きたいことをはなした。
 数日後、上司から補助具購入の許可が得られ、休暇、休職制度の活用や定年後の生活設計を指導された。
 かくて会社へのカミングアウトを終えたが上司の話では何人かの幹部上司は眼のことは了知だったとのこと。ずうっと昇格昇給のなかったことにも納得し、なにか定年を迎えたような寂しさと安堵感に包まれた。
 会社へのカミングアウト以後、体調を崩し1カ月余りの入院、職場復帰したが役割はスタッフ的となり面白い仕事から遠ざかった。寂しくなった。
 職場では、グル−プホ−ン(電話器)やワ−プロの操作に時間がかかるようになった。社内伝票などは代筆が多くなった。 「眼が悪くなかったら」と思うと自己の周囲への遠慮、気配りにも腹が立ってくる。
 職場での自主自立のため拡大読書器、音声対応パソコン、スキャナ−の無料貸出制度の活用を上司に提案した。上司は片袖机上に納まるならと了解した。
 まえもって「中央障害者雇用情報センタ−」に電話し、社内の庶務担当者に申請書の記入案を付し申請を依頼した。事前連絡の効果で申請後、2週間で設置となった。
 事前に職場チ−ム会で設置について説明、前席の人には「棚で視界が悪くなるが・・・」と了解を求めた。棚とイヤホンは社費で購入した。チ−ムメ−トが棚を組み立て机上に設置し、社内LANも組み込んでくれた。(嬉しかった)
 棚中に電話器と各種書類、棚上にスキャナ−を置き、据え置き型読書器は机上左隅に置くことができた。前席の人の顔は棚と読書器の隙間にかろうじて見える程度となった。リ−ス品には「障害者雇用支援機器」のシ−ルが貼ってある。「本人が気にする程他人は思っていない」かもしれないが、飲んだ席などで話題になったと思う。
 上司は夜盲症に配慮し「勤務時間の1時間シフト」を指示してきた。冬場は朝星、夜星の通勤となった。早めに帰るのもやや気の引ける思いである。眼が悪くなると今までできていたことが1つまた1つとできなくなる。悲しくなる。職場の「厄介者」と陰口されているかもしれないが行動は前向き全開・笑顔でゆきたい。95リ−ダ−、ヨメ−ル、ブラインドタッチ、マウスレスのパソコン操作など習熟に努めている。
 最近、疎遠になりがちだった社内ノミニケーションにも酒など注げないけれど参加する気持ちになってきた。
 50も半ばの生身の人間、いつ体調を崩し「弱気の虫」に取り付かれ精神的蟻地獄に陥るかもしれない。
 今年は健康が許す限り、人間関係を含め今まで失ったものを1つでも多く取り戻したい。
 RPは確実に進行している。電卓を小さいものから大きいものに、そして音声電卓にとこの1年で変えた。そして、夜間は白状使用が常となった。職場で頑張っていたのは無理して見える振りをしていたカミングアウト前の数年間であったと思う。カミングアウト以降、出張、外勤、時間外もなくなり、周囲の期待も感じられず、仕事への情熱も冷めてしまった。庶務など傍流の仕事をリ−スの補助具と周囲のアシストによりこなしているが物足りなさを感じる。この物足りなさを大きく燃焼させたい。もうじき、人事異動の季節がくる、憂鬱となる。今後の課題の一つは定年まで数年間、眼の不安を抱えながらも、その時々心の健康をどう保つかである。

(私の呪文)「やればできる!、必ずできる!、絶対できる!、できないのはやる気がないからだ!!」


【職場で頑張っています・その3】

「タートルの会」との出会い
寺田民樹(東京都八王子市在住・会社員・53歳)

 皆様の支援をいただき復職して早くも4カ月が過ぎようとしています。復職当初は会社や職場の変化に戸惑い浦島太郎状態に心細い思いをしましたが、周囲の気遣いや援助を得て徐々にですが、変化に対応できそうな気がしています。また、2時間弱の通勤も事故を恐れて慎重に行動していますが、ようやく慣れてきました。
 私の病気は、ちょうど3年前の春に「いやに近頃、眼鏡が合わなくなったな」ぐらいの自覚症状があってのち、わずか1カ月の間に急激に悪化しました。まず視野欠損が起こり、次いで蜘蛛の巣状の飛蚊が目の前いっぱいに飛び、その後視力が指数弁まで落ちました。診断は糖尿性網膜症で眼底出血したのです。視野欠損は眼底網膜の血管が破れ出血し、出血部分は物が写らないので映像の一部が欠けて見えます。さらに出血が続くと硝子体に血があふれ出て、それが塊となって飛びまわり視界を覆い何も見えなくなります。その時には目を開けていると、強い船酔いと頭痛に襲われ目を強く閉じて横たわり耐えるよりすべはありませんでした。受診時から光凝固法の治療を受けましたが、基礎疾患である糖尿病の病勢を押さえなければ、網膜治療の障害となるとのことで食事療法に励みました。しかし、視力は一進一退を繰り返しながらとうとう指数弁まで落ちたのです。発症後4カ月目には、重症の右眼の硝子体手術を受けました。術後経過は順調でしたが、矯正視力は0.03でした。1年後に今度は左眼が全く同様の経過をたどり手術を受けました。
 退院後は、通院加療を続けて徐々に回復(右眼の矯正視力は0.6で部分欠損残る)してきました。症状が落ち着くに従って、職場はパソコン業務が主体なので、この視力で復職できるだろうかと不安で暗澹たる気持ちになり、日々悶々と過ごしていました。そんな折、落胆している私を見て、東大眼科の国松医師が相談してみなさいと「タートルの会」を紹介してくださったのです。
 「タートルの会」では、一面識もなかった篠島先生、和泉会長、そして工藤さんの後押しと紹介で東京障害者職業センターの藤本さんに話を聞いていただき、藤本さんはさらに障害者職業総合センターの那須さんにつないで、施設の見学にも同行していただきました。障害者職業総合センターでは、昨年の夏から13週間にわたり安宅さんの指導でパソコンの職業講習を受けました。この他にもお名前を書けなかった多くの方々の支援をいただき、昨年末に復職できたのです。
 振り返って見て、復職できたのは「タートルの会」とのめぐり合いと支援があったればこそと感謝しています。


短信

再就職おめでとう!!
 会員の坂上実さんは新潟市内の信楽園病院「リハビリテーション外来」をへて「タートルの会」とつながり、所沢の国立職業リハビリテーションセンターで1年間勉強していました。そして、本年6月までの同センターの訓練期間を残し、民間企業に就職が内定しました。
 本当によかった。会員一同拍手。これからも頑張ってください。

テレビ放送はありませんでしたが……
「タ−トル広島フォ−ラム」

佐藤行伸(広島県福山市在住・公務員)

 昨年(2000年)11月11日(土)12日(日)と、仙台に引き続き広島で本部主催のフォ−ラムを実施していただきました。11日は午前中、パソコン活用、午後は年金と就労についての講演、そして交流会。併せて午前中、個別相談をしていただきました。就労の相談は無く、年金相談が4件ありました。
 当日の参加者は72人(宿泊者を含む)でした。参加された皆さんは障害年金について詳しく聞きたかったようで、和泉会長に質問が殺到しました。会長の裏話がよかったのでしょうか。松坂さんのパソコン、工藤さんの就労についても皆さん熱心に聴いておられました。
 12日の宮島観光は、誘導ボランティアの介助のもと、観光ガイド付きで厳島神社を拝観しました。昼食は宮島名物のアナゴ飯で、なごやかなひとときを過ごすことができました。

  1. 「事前の取り組み」
     事前の取り組みとしてマスコミ各社への広報依頼を行ったところ、あるテレビ局から事前報道の依頼がありました。視覚障害者が働いている職場を取材したいとのことでしたが、実現できませんでした。上司の了解を得るひつようがあるし、障害者である私自身、目立ちたくない、そっとしておいて欲しいという気持ちがありました。でも結局は、別の件で、2月4日にテレビに出るはめになりましたが...。また、チラシを盲学校ほか施設へ送ったり、視覚障害者団体へ参加呼びかけを行いました。参加者の大部分が、この障害者団体からの参加だったようです。交流会(夜の部)の「広島風お好み焼き」と宿泊ホテルの予約も早めに行いました。宿泊申し込みをいただいた方の中に盲導犬同伴の人がおられ、ホテルへ照会したところ即答してもらえませんでした。後になって了解の返事をもらい、ほっとしました。
  2. 「感想とまとめ」
     地方都市広島でフォ−ラムを実施いただいたことに深く感謝しています。本部に甘えて、講師を広島在住の方で対応できなかった私の人脈のなさを反省しています。成果として、他の視覚障害者団体との接点ができたこと、そして、広島とタ−トルとのネットワ−クができたことは喜ばしい限りです。3月、広島県呉市の方にタ−トルの会を紹介しました。工藤さんが対応してくださいました。その方は4月から日本ライトハウスで職業訓練を受けておられます。タ−トルには経験豊富な知恵袋が大勢おられ、私も心強く思っています。今後とも、どうぞよろしくお願いします。

「ロービジョン眼球運動訓練道場」に入門して

岩宮正人(JRPS事務局)

 眼球運動の訓練は本当に新しい世界でした。この世界に導いてくれたタートルMLに感謝を込めて以下に2日間(2001年2月10ー11日)の訓練の拙い報告をさせていただきます。
 「岩宮さん、ご自分の目の見え方がどれくらいか分かっていますか?」という問いかけから訓練の第一歩は始まりました。「どれくらい見えないか」ではなく「どれくらい見えるか」に焦点を当てたいくつかの質問に答えたり、実際に見え方の簡単なテストを受ける内に、段々と山田先生の頭の中に確実に訓練生(岩宮)固有の見え方が構築されていくようで、まずこれに驚き感動しました。それから「眼球運動訓練の総論のそのまた入門編」とも言うべきお話をわかりやすく聴かせていただきました。
 「一瞥した時の視野の狭さを眼球運動(眼球を意識的に動かすこと)によって補う。首の運動では視野が狭いと景色が飛んで切れ切れになってしまい全体像の把握が出来憎くなる。眼球の運動を適切にすること(目線を丁寧に動かす)或いは眼は固定して腰をゆっくり動かすことで、細切れではない滑らかに連続した景色・全体像が得られるようになる。眼球運動には以下のような運動がある。@対象物を素早く捕らえる眼球運動。A捕らえた物が眼球の揺れによって視野から消える事を防ぐ為、眼球をしばらく一点で停止する。B大きい対象物の全体像を掴むための眼球運動(対象物を捕らえた点を維持しながら水平又は垂直に眼球を移動させる)。C動いている対象物を追いかける眼球運動(捕らえた物を固守する力・素早い眼球運動)。D対象物全体をさっと眺める、或いは詳しくなぞっていく眼球運動。以上の眼球運動が自由に出来るようになるには、そのための強化訓練が不可欠である。眼球運動が自由に出来るようになると、現在使用している補助具の使い方も広がるばかりか使える補助具が増えることもある。」
 以上が私の理解した範囲の眼球運動訓練総論・入門編の概略です。
 その後補助具(各種ルーペや単眼鏡、遮光眼鏡、パノラマメガネ:凹メガネ、その他)の解説。これは単なる補助具の紹介ではなくその訓練生に適した使い方や改造の仕方も含んだもので、夜間やパソコン使用の時にも遮光眼鏡の活用が有効という事など初めて伺うことも多く、大変嬉しいことでした。

 さて次がいよいよ訓練の実際です。現在スーパーやコンビニなどで数種類の牛乳パック(1000cc)が手に入りますが、それぞれの企業が人目を引くように色や文字の大きさ、写真や牛の絵等工夫を凝らしてデザインをしています。その牛乳パックの一面(一番目立つ面)をそのまま長方形にカットしたものが訓練用の指標として用意されていました。日本各地から集められた幾種類ものデザインの異なる牛乳パックの中から、訓練生にとって最適な指標を選ぶことが訓練の始まりでした。「最適」というのは、パックに印刷された例えば「牛乳」という文字の色・形・サイズ・全体の色と文字とのコントラスト等々、訓練生の眼にとって一番心地良く見えるものということです。
 訓練は、次のような手順でした。

(1) 牛乳パックの指標を目の前約30cmに手で持ち顔の正面に置く。
(2) 指標を視認する。
(3) その中の一文字に焦点を合わせる。
(4) 指標を視認可能な左端に迄徐々に移動させ、その文字を顔を動かさないで眼球で追尾する。
(5) 左端極限で10秒間眼球運動を止め、正視する。
(6) 右端に向かって指標を徐々に移動させ、眼球で文字を追尾する。この時追尾する眼球が左目から右目に変わることを意識しながら行う。
(7) (5)と同様に右端極限で10秒間運動停止、正視する。

 (1)から(7)迄を繰り返し5分間行う。
 以上。

 以下に個人的な感想を述べます。

 最後にこの函館行きのハードとソフト両面から強力に支えて下さった和泉森太先生、そして心強い存在の山田真也先生に心より感謝します。


【交流会:2001/1/17 】

都盲協の中途失明者緊急生活訓練事業について
〜歩行訓練を中心に〜
講師:山本 和典氏(東京都盲人福祉協会歩行指導員)

 東京都盲人福祉協会(以下、都盲協)がどんな所なのか、また、私どもで東京都から請け負っている補助事業、「中途失明者緊急生活訓練事業」についての説明、少しデータは古いのですが数字的な話をします。そして後半に今まで仕事をしてきて、特に中途視覚障害者の方々にとっての歩行について、「都盲協の山本自身はこう思っています」という話をさせていただこうと思っています。
 都盲協で歩行訓練の仕事にかかわり、9年になります。その前に約7年間、盲導犬の育成事業にかかわらせていただいていました。ですから、今でも時々、盲導犬の経験もあるということで、盲導犬を使っている方に対してのフォローアップにも関わっています。
 日本盲人会連合が図式的に一番上にあって、その下に都道府県単位で支部の形であります。さらにその下に自治体の区市町のレベルで、その地域の視覚障害者の方々の集まりがあるという形になっています。都盲協は日盲連の下で、東京都にお住まいの会員を統括する団体であります。
 現在、パートの職員も含めて、約20人でやっています。業務内容は、2,000名の会員がいますので、まず、一番大事な仕事は、会員に対してサービスを提供することです。具体的には、会報を発行したり、都盲協主催のさまざまな行事、都盲協の中に青年部、老人部、婦人部と3つの部会があり、それぞれがさまざまな活動をしており、その活動のサポートをすることです。
 東京都からの委託事業がたくさんあります。毎月1度東京都の広報のテープ版、福祉局で出している刊行物のテープ版と点字版、それと「中途失明者緊急生活訓練事業」です。これは私が関わっているものです。
 それ以外に、細々したことはJR・私鉄・地下鉄等の駅の券売機に、タッチセンサーは別ですが、ボタン式の券売機には料金の点字のシールがついています。あれは都内に限ってで、都盲協でつくっています。東京都の委託ではなくて、今はほとんどその券売機をつくっている会社からの依頼です。
 タクシーの後ろの窓の所に会社の名前と番号が貼ってあり、ここの点字のシールも都盲協でつくっています。公共料金の点字の請求書をつくったり、保険の請求に関しての代行など、とにかく視覚障害者の方々にまつわる細かな仕事をいろいろやっています。

 次に中途失明者緊急生活訓練事業について説明します。これはメニュー化事業の1つです、厚生省から障害者福祉事業だけではなくて、すべての福祉事業に、細かな一つ一つの事業を厚生省がメニューのように並べ、そのなかから選ぶんですね。そのメニュー化事業の中に中途失明者緊急生活訓練事業があります。厚生省がそれぞれの自治体に対して、これだけの中からそれぞれの地域のニーズに合ったものを実施しなさいということになっていて、東京都の場合は中途失明者緊急生活訓練事業をそのメニュー化事業の中から選んで、選択して実施しているということになります。
 実施の主体を都盲協がしている形になります。盲導犬の育成事業もメニュー化事業の1つです。東京都は同じように盲導犬の育成事業もメニュー化事業の中から選択して、それをアイメイト協会に委託をしている形です。したがいまして、基本的に費用は一切かかりません。歩行に関してですと、例えば新しい杖が必要だというときがありますね。そういうときには、その方によっては自己負担の場合もあります。それと、訓練中に指導員と一緒に移動する場合があります。そのときの交通費や休憩のときに入る喫茶店の飲食代は自分の分は出していただきます。
 中途失明者緊急生活訓練事業にかかわっている指導員は7名いますが、それぞれ担当が決まっていて、都内あちこち行き、基本的には午前中1人、午後1人という形で移動をして練習して、また、移動をして練習してという毎日になります。依頼から実施までの流れは、本人から直接都盲協に電話をいただいて受け付けるのが基本ですが、福祉関係、家族、病院関係、さまざまな所から依頼があります。
 訓練の内容ですが、大きく4つに分かれています。1つが相談です。ADLといっていますが、日常生活訓練です。家の中のことをすべてだと思っていただいていいと思います。料理、洗濯、掃除、裁縫という内容になります。点字を中心としたコミュニケーションの訓練、歩行訓練ということになります。
 基本的にはその方のお宅に、あるいは会社に直接お伺いする、入院されている方の場合だと、病院に直接お伺いする、訪問の形で練習を進めていく。これが都盲協の中途失明者緊急生活訓練事業の特徴ということになると思います。
 歩行訓練というとほとんどの方が、白い杖を使って一人で歩く練習をイメージされると思うんですが、実はそれだけではありません。視覚障害者の方々の移動にまつわることすべてが歩行訓練になります。ですから、例えば、病院に入院されている方のところにお伺いして、ベッドからトイレまでの往復の室内の移動についてかかわらせていただいたりというのも、歩行訓練です。私は一人では歩かないんだけども、まだ、どなたかと一緒に、例えば家族と一緒に歩くんだけど、どうもまだ怖いという方のところには、「こんなふうにして家族と一緒に歩かれたらどうでしょうか」ということを一緒に考えたりするのも歩行訓練になります。
 国立身体障害者リハビリテーションセンターや東京都視覚障害者生活支援センターなどは、通所や入所の形で、日常生活訓練、歩行訓練、コミュニケーション訓練を進めていく施設です。都盲協は訪問の形の訓練です。訪問と、通所・入所の練習の進め方とでは、訓練内容そのものは全く変わりはないと思っています。訪問訓練のいいところは、日常生活に関しても歩行に関しても、その方のお宅に伺って訓練するから、練習したことがその日のうちに生かせる。それが一番訪問で練習を進めていくいいところだと思っています。訪問の欠点は、それぞれが地域の中で孤立しているのに、仲間を紹介してあげられないことです。
 「あの人とお友達になりたい、話をしてみたいんだけど紹介してもらえないだろうか」ということがよくあるんです。守秘義務がありますので、どこどこにこういう人がいますよああいう人がいますよと話すわけにはいかないんです。絶対に紹介しないということもないんですが、都盲協としては消極的になります。訪問ですのでその方のご家庭の中に直接伺ったりする、入り込んでいくというのがほとんどですので、プライバシーにかかわることがわかってしまっているわけです。だからあまり言うことができない。つまり訪問だけで練習、訓練を進めていくと、指導員とその方との関係で終わってしまう場合が多いわけですね。「タートルの会」のように横のつながりで仲間というのはなかなかつくってさしあげるきっかけがつくりにくい。それが欠点だと思ってます。
 入所や通所のいいのはそれだと思ってます。いろんな方と知り合いになられて、仲間ができるところでいいきっかけになる場合がすごく多いようなので、その辺が訪問の欠点だなと思っています。
 実績に関して、どのくらいの方にかかわってるのかというと、ここ何年か、延べですが、150人ぐらいの方にかかわっています。都盲協の訪問という形で歩行訓練、日常生活訓練、点字もやりましたという方がいるわけです。それは実際は同じ方だけど3人にカウントしています。
 歩行訓練の場合、特にそういうことがあるんです。再開する場合もあります。その方がどこか新しいこ所に行きたいという場合、2、3回そこの地図的なこと、手がかり的なことだけ2、3回だけかかわるという場合もあります。相談だけという場合もあるんです。そういう方を全部入れて150人ということになります。
 平成10年度の私がかかわったユーザーの数は、全部で47名、その内訳は男性30人、女性17人です。何かこの年はすごく男性の方が多かったんですけど、圧倒的に男性の方が多いってことでありません。これはその年によってかなりばらつきがあります。それと47人というのはかなり多い年です。大体30人台の年が多いように思います。
 1年間に何回訪問したかというと、基本的に午前中1人、午後1人ですので午前中行ったら1回というふうに数えます。そういう方ちでの数え方で、1年間に訪問した回数が458回になります。ユーザーの数で割ると大体平均約10回訪問しているということです。
 例えば中途失明の初めて杖を持つ方で、ある程度その方が動きたいと思う所をカバーするまでには、大体1年から1年半はかかるのが普通です。週に1度伺うのが普通なので、平均すると訓練期間は大体1年強ですから、訪問回数で40回から50回ぐらいになります。平均年齢は、その年は47.7歳でしたが、毎年のデータでは、大体50歳前後になります。その年は23歳から83歳までいました。受障され視覚障害になられた時期に関してですが、いわゆる中途失明の方が47名中40人、パーセンテージでは約85%が中途失明でありました。あとは先天的な生まれながらの方、なおかつ全盲の方、いわゆる先天盲が3人、それと先天の弱視が4人という内容です。この年は、小さい時から弱視だったという方に4人かかわっているんです。この4人にはすべて通勤にかかわらせていただきました。弱視でかなり見えていた方が会社に勤められて、何年かしてかなり視力が落ちてしまって、通勤のルートにかかわってほしいということでかかわらせていただいたのです。
 眼疾は、目の病気についてですけれども、糖尿病性網膜症、網膜色素変性症、緑内障が圧倒的に多いんです。その三つの病気の方を合わせると約55%、半分以上占めているということです。障害の等級は、70%が1種1級の方でありました。
 歩行訓練の内容は、通勤にかかわったのが47人中9人、全体では約20%です。それ以外80%が生活圏内の歩行訓練、相談ということになります。ですから、都盲協で歩行訓練にかかわる典型的な方はどういう方かというと、大体50歳前後で、中途失明で手帳は1種1級で糖尿病の方が多くて、主に生活圏内での歩行にかかわる方が多いということになっています。

 次に、中途の視覚障害者にとって、歩行というのはどんなふうに考えたらいいのかについて少し話をしようと思うんです。これはあくまでも都盲協の山本がこういうふうに思っているということでとらえていただければと思います。
 中途視覚障害者の方々の歩行にとって、何が一番大変かというと、白杖を持つことだと思っています。本当に白杖を持って一歩外に出ることができるのであれば、歩行訓練の7割か8割がもう終わったようなものだ、と。残りの2、3割を「杖を持って外に出るんだったら、こういうふうに使うのが安全だよ」、「こういう手がかりが使えるんじゃないかな」、「横断の時はこういう所に気をつけた方がいいよ」ということをお話することだと思ってるんですね。
 なぜ杖を持つのが大変か。都盲協で歩行訓練を始めて間もないころ、たて続けに2人、女性の方でしたが、電話で依頼があって、「では、とにかく一度お伺いしますということで、その方のお宅までお伺いしますね。歩行訓練の話をさせていただいて、それでは来週からやりましょうという話になります。「じゃあ来週、白杖を用意してきますから」という約束をして、その翌週、杖を持ってそのお宅にお伺いしました。お会いして、すぐに「これがあなたの白杖です」と手渡した途端に泣かれたことがたて続けにありました。「やはりできません」というふうに断られたことが2回ありました。そういう経験がありますので、本当に中途の方にとっては杖を持つこと、持って外に出ることが何より大変なことであるなというふうに思っています。
 「専門家としてあなたの見え方だと歩く上でこういう不都合があるから、ぜひ今の段階では杖を持った方がいいんじゃないかな」という話はもちろんさせていただきます。大半の方がずっと人生の大先輩である方がほとんどなわけで、そういう方に無理やり杖を持たすなんてことはできませんし、するつもりは一切ありません。でも、専門家としてアドバイスはできても強制はできない。杖を持つことが気持ちの上でそれぐらい大変だと思っています。
 こんなこともありました。お恥ずかしい失敗例だと思うんです。網膜色素変性症の男性にかかわらせていただいたことがあります。まだ中心側は見えていたんですが、歩行訓練をとりあえずやってみようかという段階だったんです。その方との話の中で、練習中は杖を持って歩いてくださっているけど、家に帰ったら絶対に使わないだろうなとはかってたんです。だけど強制はできないし、かかわらせていただいている中で1つでも2つでも「けっこう頼りになるな、杖って」と思っていただいて杖を持つきっかけになれば、それでその方のその時の歩行訓練は大成功だろうと思って、それを目標にその方にかかわらせていただいていたわけです。
 訓練の時は杖を使っていたんです。だけどどう考えても自宅の周りでは使わないだろうなというのはわかってたんですね。そうしたら事故に遭ってしまいました。電話をもらって、病院に駆けつけたところ、やはり杖を持っていなかった。自宅のそばで、どういう状況だったかというと、進行方向の建物側、建物が右側にあってそこが歩道の上なんですが、バス停で降りてから、自宅側に帰るところだったと思うんですけれども、スタンドの前だから、そこはガードレールが一部分なくなっていて、出入りがしやすいように歩道が車道に対してスロープになっている前で、左斜め前から入ってくる車のタイヤにちょっと足をひかれたんだそうです。
 中心しか見えないというのは、物が横から出て来る時が危ないんですよということをよく言っていたんです。自分自身も車を運転するので、ドライバーの見方も、ドライバーの立場も何となくわかります。ドライバーはま、さかその方が目が不自由だと思っていないから、自分の車の存在がわかっていないと思っていないから、入ってきたわけですよ。だけど、その方にはわかっていなかった。脇からばーといきなり大きいのが出てきた形になるわけですね。そんなきっかけではなくて、かかわっていく中で、自宅付近でも杖を持ってもらえればよかったんです。
 その方の場合、杖を持っているだけでまず十中八九自損事故はなかったと思うんです。まして車が正面から入ってくるから杖を持っていれば、ドライバーは相当気をつけるはずです。
 なぜ杖を持つのが難しいか。それは杖には幾つかの役割があり、その中で一番大きな役割がシンボルケーンとしての意味が強くあることです。シンボルケーンは白い杖を使って歩いている方を周りの人が見れば、視覚障害だとわかるということです。だから、持っているだけで、操作なんかしなくても、安全性がぐっと上がるということも言える反面、そういう意味合いがすごく強いので、皆さんなかなか持ちにくいんだろうなと思います。
 歩行指導員という立場では、無理やり持たせることはできないし、するつもりも全くないですので、その方がやってみようかなと思ったときに、すーとなるべくタイムラグなくかかわっていくのが一番いい方法なんだろうなと思っています。
 歩くときにいくつか方法があります。一つは白杖を使って1人で歩く方法、どなたかと一緒にガイド歩行で歩く方法、盲導犬を使って歩く方法、電子機器を使って歩く。4つの方法をそれぞれが組み合わせて歩いているのがほとんどかなと思います。大切なのは、その方が選択することだと思っています。少なくとも、歩行方法そのものに優劣は全然ないと思っています。いろんな方がいらるわけですから、その方が選ぶのが一番大事なことだと思っています。
 4つの選択肢を今後も確保していくこと、できれば選択肢がもう少し広がればもっといい。白杖を使って独力で歩いている方がすごく偉くて、いつもガイドヘルパーさんと歩いている方がズルしてあの人は怠け者だとかいう見方は、一切持っていません。歩行方法そのものに優劣はないと思っています。


【交流会 2001/3/17】

「中途視覚障害者の自立と家族の関わり」
講師:内田教子氏(板橋区立障害者福祉センター)

 皆さん、こんにちは。板橋区立障害者福祉センターで、相談を担当しております内田教子といいます。中途視覚障害者の相談が主ですが、肢体不自由、聴覚、知的、精神などいろいろな分野の相談も受けています。身体障害者手帳取得の具体的方法もあれば、不安が大きく夜眠れないと言った心因的なものなど、内容も様々です。電話や来所相談ばかりでなく、訪問相談もしております。障害者になって間もない場合、移動の問題が大きく、家庭訪問をしないと具体的な相談ができにくいからです。これまで当センター事業を通して、様々な障害者とその家族の方々にお会いしてきました。本日はそれを土台に、視覚障害者の家族を主にお話したいと思います。ただ、はじめにお断りいたしますが、家族の実体について、学問的に統計を出したりしたことはありませんので、むしろ、事例を挙げた中での考察と言った形になろうかと思います。
 私どもの障害者福祉センターは、身体障害者福祉法によるB型センターでありまして、身体障害者、知的障害者、精神障害者などの福祉に関する事業、(1)肢体不自由者を対象とした理学療法・作業療法・言語療法などの機能訓練事業、(2)巡回入浴などの入浴事業、(3)音楽療法・点字ワープロ講習などの講習会事業、(4)自立生活支援事業を行っています。自立生活支援事業には(1)相談事業、(2)中途視覚障害者など本人向けセミナー、(3)家族向けセミナー、(4)ヘルパーなどを対象とした障害特性とコミュニケーション方法などの介護セミナー、(5)いろいろな相談、その時の講習メニュー体験、障害者同士の意見交換などのステップアップセミナーを行なっています。

 それでは今日の主題の中途視覚障害者の自立と家族のかかわりということですが、セミナー参加者の事例などから申し上げたいと思います。
 私どもが行っている中途視覚障害者自立生活支援セミナーには、いろいろなメニューがあります。点字やパソコンの体験などのほか、施設見学、レクリェーションを皆で企画して実際行うといったものもあります。このレクリェーションがなかなか大変なもので、企画が決まるまで、内容が何度も変わります。ある年のセミナーで、ようやく浅草に行くこと決まり、実際行ったとき、時間が余ったので、「花屋敷」(遊園地)をまわる事になりました。セミナーに参加される方は、中途で視覚障害になり、しばらく家に閉じこもっている方が多いので、体力が落ちています。ある参加者の方が、ジェットコースターに乗ることになりました。付き添えの私は、この方が気分が悪くなるのではと大変心配しておりました。ところがこの方は、続けて同じような見てるだけでも怖い乗り物に乗ろうとしていくのです。私は心配のあまりご家族に電話をしましたところ、この方は昔からこういった乗り物がお好きだったそうです。
 この方は、確か2年ほど前に、死んだ方がましだと言っていて、奥様に連れられて私どものところへこられたはずなのに。セミナー卒業の頃には、ついにセミナーが終わってしまうのかと名残惜しそうに言い、セミナー終了後には、セミナーのお友達と一緒に、ある遊園地にジェットコースターのフルコースをしに行きました。この事例では、人間は変わるものではなくて、1回がっかりしても、もう1回戻るものなんだと言えるのかも知れないと感じました。
 多くのセミナー参加者は、家族なり、支援者から「行った方がいいよ」、「行ってみないか」と勧められ、奥様などに引っ張られようやくセンターの玄関にたどり着きます。自ら希望してたどりつく方は殆どいないのが実状です。センターの玄関で、「行かないと言ったじゃないか」、「おまえが申し込んだんだからおまえが行けばいいだろう、おれは嫌だ」などと大声で夫婦げんかしている事がありました。
 その方は最初、しぶしぶセミナーに参加されました。しかし、同じ糖尿病性網膜症の方が隣の席で、「あー、俺もそうだったよ」という話をされたら、それまでは、この世の中の不幸が全部自分に来ているというような顔して、もう泣かんばかりだったのですが、だんだん、元気になり、最後にはうるさいぐらいの存在に変わりました。卒業式の時の感想では、「今の自分は少しは見えるけど、妻がいないとだめだから、妻には『捨てないでくれよ』と言って、『うん』と言ってもらうまで、何回でも繰り返し言うのだ」なんてすばらしいことを語っていました。奥様も、「家庭が明るくなった」と言うようになりました。それまでは子供さんも一緒になって暗くなっていたと言う事でした。その事から、本人と家族は、落ちるときも一緒に落ちるし、上がるときも一緒に上がると言うように変化すると思いました。

 私の知る限り、中途視覚障害者本人が苦しんでいるときは、家族も一緒に苦しみ、ご本人が立ち直ると家族も一緒に明るくなれるものですが、そのことをご本人がわかるのは本人が落ち着いたときなんですね。ご本人が苦しんでいるときには、家族が一緒に苦しんでいるっていうことを知ることも、考えることも、そういった余裕をお持ちになっていません。
 家計を支えているご主人が障害者になった場合、家族は新たに家計を支えるため、孤軍奮闘しなければならなくなります。この場合、ご本人は、よく言われる粗大ゴミそのまま、24時間、365日、「俺の気持ちなんかわかるものか」と、ジドーと暗いものを発生させてくれるのです。それでも奥様は、ご主人の収入が少なくなるから、パートの時間を増やしたり、常勤で一生懸命働き、グッタリ疲れた状態で、あのジトーとしたご主人に「ご飯食べる?」とか「今日はどうしたの?」などと会話しながら、必死に「いや、ここで子供のためにも頑張らなきゃ」と、頑張るわけですが、でも、そういったものは長続きしないのです。
 そこまでに先ほどのジェットコースターでも何でもいいから、少しでも元気になっていただけると、軌道修正ができるのですが、心に余裕がなくなった夫婦は、それに耐え切れなくなると、「子供をとろうか、夫をとろうか」とかいうのがどうしても出てくることになります。家族も思いやっているのですが、グチャグチャしたりしていると、心の中で耐え切れなくなり、生きるか死ぬかみたいなことが家族の中に起こり、「将来どうなるんだろう、これから先どうなってくるんだろう。うちのお父さんは本当に元気になってくれるのかしら。」とか、「何であの素的な時のお父さんがいないんだろう。本当に戻ってくれるかしら」などと心細くなり、悩むわけです。

 奥様が視覚障害者で、ご主人が晴眼者の家族の場合、とかく男性は「おれは仕事で忙しいんだ、家の事は何とかしろよ」と、奥様に家庭を押しつけるのです。そうすると、見えないながら家事仕事をしなければならない奥様は、自分の気持の吐き出し口を子供に向けてしまう例があります。その結果、「ま、子供もたくましく育ちまして、かえってよかったかなあ」なんていう方もあれば、「子供自身が将来の生き方で、どうしていいかという不安定なものが出てきてしまう」こともあります。お母さんであり主婦であるその障害当事者の方が、気がついたときは、もうその子供さんはお母さんからもお父さんからも、気持ちが離れているのです
 子供が障害者で、家族が親の場合、これは悲惨としか言いようがないことがあります。親は、視覚障害だけでなく、知的障害や精神障害、先天性の肢体不自由者などになった子供さんに対して、負い目を持ってしまいがちです。「あんな薬飲まなかったらよかった」とか「あのとき早く帰っていれば」とか、「あそこのお医者さんに連れて行かずに、こっちのお医者さんに連れて行けば治ったんじゃないか」とか、すべて自分のせいだと思ってしまうのです。そのために「この子のわがままをなるべく言わせてあげたい、聞いてあげたい」などと甘やかしてしまい、取り返しのつかなくなってしまうこともあるのです。
 親が障害者で子供が家族の場合、親は子供に面倒をかけたくないという気持ちをかなり強く持っています。子供が「どう、大丈夫?」と言うと、「大丈夫だよ」とか。「一緒に暮らさない?」とか言っても、「いや、一人でやっていけるからいいよ」、「何々しようか?」、「いいよ、大丈夫だよ」などと、子供さんに世話になる、迷惑をかけるということが親としてやりにくい。特にお嫁さんをもらった息子さんなり、また、結婚した娘さんのところのご主人とかにも気兼ねをして、「こんな親がいると、おまえはあちらの親御さんの方に肩身が狭いんではないか」などと言い出します。子供は子供で、「自分が親の面倒を看なくてはいけない」と責任感で思っているところと、「親も大切なんだ、愛しているんだ」という愛情と両方で、一生懸命声をかけるのですが、親は多くの場合、なかなかそういうところに行こうとしません。
 兄弟もそうです。迷惑だということで、自分の生活を大事にしたいから「自分たちでやってくれよ」みたいなご兄弟がいたり、兄弟それぞれが所帯を持つと、「どう口を出したらいいんだろう」、「困っているんなら、声をかけてあげたい」、「あそこでは自分の弟のお嫁さんが随分苦労しているようだけれど、どういうふうに言ったらいいんだろう」、「何かこっちが口を出すと、小姑が言っているようになってしまうか」とか、「お金に困っているのかなと思うけれども、家の中に入って、お金のことを聞いちゃいけないのかな」、それとも「困っているなら、少しは経済的なことも相談に乗ってあげなくちゃいけないのかな」等々、うまく支援がとりにくい立場にある例もあります。
 他に、どういった関係であっても、共通しているものに、ご本人ともども家族が障害の受容を一緒になってするということがあります。ご家族は、障害者となり閉じこもっている本人に、何とか立ち直ってほしいと思う気持ちはあるが、右往左往している姿を近所の人や知人に見せたくない、見られたくない、かわいそうであるなどという気持ちがあります。
 また、本人は本人で、当初、白杖を持っている姿を見られたくないなどと思っており、それが歩行訓練士に、誘導介助の受け方とか単独歩行の仕方とかを教えられることにより、白杖使用に慣れ、白杖を買って、使い始めるようになります。しかし、最初から白杖を使って出るのではなく、まず、家から2、300メートルぐらいまでは白状を持たずにいつもの通り奥様の誘導に頼り、そのうち「自分で歩いてみるよ」と、だんだんセミナー会場まで白状を持って一人で来ると同時に、自宅にも近づいて行き、しまいには、家の前から白杖を持ってセンターまで来るように変わるのです。それまで近所の方の会釈に知らん顔し、何て、お宅のご主人ってツンツンとしているの」といわれ肩身が狭かったのが、ようやくご近所などに理解されるようになり、ひと山を超えることになるのです。
 ここにたどり着くまでの間、ご本人も家族も一緒に悩んでいるのですが、この双方で悩んでいる状況は、まさに「双方共、こもっている時代」と言えると思います。これは、プラスになればいっぱいプラスになるし、マイナスになればどんどんマイナスになります。それぞれが孤独な状態で一緒に上がったり下がったりしているというのが、ご本人とご家族の関係かなと思います。この関係がある程度上がってくると、「ああ、そうか」、「今まで苦労させたね」とか、「おい、おまえほかに男なんかつくらないで、おれを捨てないでくれよ」などというジョークも言えるようなご主人も出てくることになるわけです。
 ご本人が障害の受容をしていくと同時に、家族も障害の受容をしていき、本人が悩み苦しんでいる時、家族も悩み苦しんでいるます。でも悩み方が違い。本人は自分の辛さにどっぷり浸かり、家族を思いやる余裕がありません。家族は本人を思い、じっと自分の辛さをこらえます。そしてはけ口がない中で思い悩みます。それを乗り越える前に家庭が崩壊する場合も少なくありません。また、乗り越えたからと言って、幸せな生活ばかりではないのです。見えないと言った現実は変わりがなく、その生活が続くのです。乗り越えなくてはならない山がいくつもあります。それを共に乗り越えていくしかありません。

 本日こちらに伺う前に、ご主人が視覚障害である年配のご夫婦から、お電話をいただきました。初めてファックスを入れたので、第1号のファックスでの手紙を送るというのです。このファックスのセッティングをするために、取り扱い説明書と首っぴきで夫婦げんかしながら一晩悪戦苦闘し、ようやくセッティングができたのだそうです。
 これは、ちょうど本人が閉じこもっているとか、グジグジしている時、ご家族がそれをどう支援していいかわからない、ああやってみる、こうやってみるというところと似ています。その場面ではいさかいもあるだろうし、つらいこともあるのに、いざファクスがつながったら「ああ、このボタン押せばよかったんだ、何だ、簡単じゃない」っていう、「あのときはああだったけれど、だけど、考えてみたら人生捨てたもんじゃないのね」ということで「ちょうど、他人の人生、自分の人生もファックスのセッティングと同じようなものかしら」と改めて思い起こされたものです。
 障害というのはそれこそそのまま障壁であって、その壁は崩れないけれども、壁があったからと言っても生きていけないわけではないし、壁がある中の生活が、折り合いをつけることができないわけではないのです。
 ある家族の方が本人に言った言葉で、印象に残った言葉があります。
 「いつも自分は見えないんだと言っているが、たまには『ありがとう』といって欲しい。見えなくて辛いのはわかるけど、家族も家族の生活がある。本人のためだけでは動けない場合もある。それでも、家族として本人が必要とする介助はできるだけしようと思っている。その時「自分は見えないんだからこうしてくれなくちゃ困る」などと文句ばかり言わずに、せめて『ありがとう』といって欲しい。家族にとってそれだけがおいしいご馳走なのだから。」
 家族は身近な支援者であるため、なかなか本人が『ありがとう』と言えない場合が多いのです。私のような行政の支援者には言い易い言葉なのに。本当は本人が『ありがとう』を一番言いたい相手は家族なのに。なかなか家族に対しては言いにくいご馳走があるんだと思いました。支援者にとって、支援する支えは、本人の手応えだと思います。セミナーを開催し、参加者が元気になっていく様子が手応えです。『ありがとう』は、とてもおいしいご馳走だと改めて知りました。一番おいしいご馳走は、一番おいしいご馳走を食べていい人に食べてもらうようにしたいものと思います。
 今回の事例が全ての家族を物語っているとは言えません。障害者も家族も人間であり千差万別です。その様々な個性が結びつき影響しあっているのが、家庭を構成する家族です。個々の家庭にそれぞれ個性があるように、個々の家庭に様々な障害があります。それが視覚障害というものだったりし、そしてそれはとても大きく家庭に影響していたりします。影響すると言うことは、不便なことばかりではなく、そのことによって一喜一憂することでもあります。見えていた時はごくあたりまえに単独歩行をしていたのに、見えなくなると、単独歩行が可能になったことだけでも、本人も家族もうれしくなります。でも、本人は単独歩行時に極度の緊張を強いられ、疲労します。家族も、本人が無事帰宅するまで、不安に駆られた時間を過ごし、疲労します。本人も家族も、共により豊かに生活するという事は、難しい事ですが、大切な事だと思っています。
 うまくは言えなかったのですけれども、大体おおよその時間になりましたので、この辺あたりでお話を終わらせていただきたいと思います。どうも、ありがとうございました。(拍手)


「世の中動いてるなあ」の実感はあるけれど……

東京都  吉泉 豊晴

 社会福祉基礎構造改革は言われてからしばらくになります。「措置」として決められた枠内で福祉サービスを受けなければならなかったものが、利用者の側がサービスの内容や受ける場所等を選択できるよう改めるというのがその趣旨です。タートルの会のメーリングリスト(ML)で「埼玉県立総合リハビリセンター訓練会のお知らせ」が紹介されましたが、3回を限度とする日常訓練の指導が始まったとのことです。点字を丁寧に教えていただいた旨の書き込みがありました。こうした細かくニーズに応えようとする動きも基礎構造改革の一つの表れだと思います。
 また、同じくMLで紹介されてましたが、社会保障改革大綱というのが政府・与党社会保障改革協議会から出されたようです( http://www.kantei.go.jp/jp/kakugikettei/2001/syakaihosyou/syakaihosyou.html )。高齢化を視野に入れて、健康づくりや病気の予防、あるいは、NPOなど市民生活を支える民間の活動の促進といったことに力点が置かれているのかなと感じられます。
 教育の分野でも「21世紀の特殊教育の在り方について 〜一人一人のニーズに応じた特別な支援の在り方について〜」が1月に出されています( http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/13/01/010102.htm )。これは障害児・者教育の今後の基本的方向を示すもので、ノーマライゼーションの理念を前提にした幅広い支援の在り方が語られており、乳幼児期から学校卒業後までの広い範囲を視野に入れて、福祉・労働行政とも連携しながら障害児・者の支援を考えようとする点が印象的です。
 そのほか、いろいろな資格制度に関連して欠格条項の見直しが進められています。障害があるというだけの理由で資格取得の対象から除くのはおかしい。技術革新等環境条件の変化もあるのだから、資格制度の在り方を見直すべきだという考え方がその背景にあります。労働の分野でも、雇用率制度に組み込まれている除外率について同様の趣旨から見直すべきであるとの議論があります。
 4月19日に、タートルの会と働く障害者の弁護団との懇談会がありましたが、その際に弁護団の方から、今の障害者の雇用の促進等に関する法律が障害者の権利への配慮に欠けるものであることが指摘され、日本弁護士連合会が11月に開催する人権大会に「障害者の差別禁止と権利法」の案を提出する予定であることが説明されました。労働行政に身を置く者としては耳の痛い指摘であり、また、その法案のたたき台作成に当たる桑木さんが以前けっこうお会いしていた方だったことも少々驚きでした。どこで誰に会うか分からない・悪いことはできないなと実感した次第(余談)。
 障害者関係に限らず、構造改革というのが一つの流行のように語られる昨今です。それぞれ関連の資料を読むと確かになるほどと思われるところもありますが、問題は実態がどう変わるのか、暮らしやすい世の中になるのかということです。その視点を忘れずに様々な動きを見つめ、また関わっていく必要があると感じています。


お知らせ

第6回定期総会

編集後記

 この20号の発行は予定より1カ月遅れてしまいました。でも、21世紀に入り、新たな気持ちで臨んだ1月の歩行に関する交流会や3月の家族との関わりについての交流会は、それなりに内容も濃く、充実した紙面となったと思います。
 特に紙面を楽しくしてくれるイラストに関しては、記事間のカット3点を池田憲昭さんにお願いしました。今号に初登場の池田さんは、網膜色素変性症により視力低下が進み今後の進路に悩み、相談会に来られた事が我がタートルの仲間との出会いの始まりです。彼の次の言葉が印象に残っています。
 「将来的に視力が効かなくなる可能性があるという事を考えた場合、今、見える目をどう使うか?という問いかけに対する私の答えは「見える間に絵を描いておきたい」という事でした。そこで、出来る限り絵に打ち込んでみようと頑張っているのが現状です。」 大成を祈ります。
事務局長 篠島永一


中途視覚障害者の復職を考える会【タートルの会】会報
『タートル20』
2001年(平成13年)4月29日 編集
■編集 中途視覚障害者の復職を考える会 会長・和泉森太
■事務局 〒160-0003 東京都新宿区本塩町10-3
     社会福祉法人 日本盲人職能開発センター 東京ワークショップ内
     電話 03-3351-3208 ファックス 03-3351-3189
     郵便振替口座:00130−7−671967
■turtle.mail@anet.ne.jp (タートルの会連絡用E-mail)
■URL=http://www.asahi-net.or.jp/~ae3k-tkgc/turtle/index.html

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